居合道を稽古していくうえで
そのやっていること(武道稽古)から
何かを得ようとしても
暖簾に腕押し的な想いをもってしまうことあります。
そのこころは?
その
ちぐはぐさってどこから来るんでしょうか?
それは
自分をみない
自分を棄てきれない
自分のことを棚上げにしてみていない
意識を自分にむけるところからきます。
意識は外にむけないと
そうしないと
自分・自分と意識を内に向けていく事をしている限り
武道のコンセプトとは仲良くなれません。
長年、33年の間
武術武道にかかわってきてそういうふうに結論されると思います。
当会のレッスンではよく意識の話をしますが
意識って大事です。
しかしその大事さが、現実の世界でどうなのかが
実感できていない、体験できる機会をもたないために
意識の大切さを言葉として知っていても
知識として頭に残っていても
腑に落ちるレベルまでは届いていないという事です。
居合道で稽古をしていくというのは
単に刀を振るだけです。
それだけといっているのに
信じられないから、刀から好かれない
一体にならないのです。
そういっても刀を振るだけってものすごく単純ながら
難しいと思います。
人は確信がなければ続かないからです。
飽きるのです。
こんなんやーめた!! といって三日坊主になるんです。
そうなんですよ、だからその
刀と一体になる意識をつくります。
極刀クラスのレッスン(第一講座)
通称「第一講(だいいっこう)」で刀と一体なって
刀を扱う術(シークレットテクニック)を伝授しているわけです。
刀をカッコよく振るんじゃないんですよ。
身体操作を極めるんでもないんですよ。
自己満足でもないんです。
自分を空っぽにすることです。
そうするといろんなものが入ってきます。
もっとシンプルな方法で(意識操作)で刀の自分化はできます。