ナイフ護身術じゃなく
皮膚操作の稽古-ナイフを掴まない絶対に してはいけない
《体術=刀法》
刀を手にもって一歩外へ出てみてください。
居合刀であれ真剣であれ通報されてしまい
近くのコンビニすらいく事も困難ですよね。
それじゃあ、刀法を習う意味がないじゃないか?
その通りですよね。
でも、そうじゃんない.と思うんです。
そうじゃないと、
それこそ
居合道をやる意味ないじゃんという事です。
刀や木刀、ナイフは理由なく持ち歩けないし
真剣は所持すら手続きを踏まないとできません。
じゃあどうして
居合道から護身ができてしまうのか、
それは空間操作をしています。(専門的な言い方で恐縮ですが)
分かり易く言います。
合気道や護身術、柔術、組み打ちの元ネタは何かという事です。
その形式(型)のことではありません。
その元ネタが刀(武器)にあること。
そして
刀を直接持たなくても出来る身体技術が発明されてきたという事
つまり
刀を直接持ち歩かなくても護身が出来るという事です。
これは出鱈目ではなく
名だたる武術家、名人がそうであったということで
理解して頂ければと思います。
令和の現代でもそういう先生
私よりはるかに人間的にも技も
立派な方はたくさんいらっしゃいます。
刀一会のレッスンは
刀法=体術-=護身術 なんです。
数学と地理は違います。
国語と理科も違います
医学と政治学、物理と音楽も違っています。
なぜか?
それは科目に分けているからです。
もともと一つの世界を"科"にバラバラにして理解していく
そういう学問体系になっている。
武術もそうですが
空手道、合気道、少林寺拳法、ブラジリアン柔術、システマ
・・・など科に分かれています。
ということは、元は一つなんです。
相手を倒すという事です。
相手を殺すということです。
武術は、相手を仕留める体系。
学問でいうと、哲学に当たるということです。
世界観ですね。
だから、生死を問題にするということ、つまり
活かす(生かす)ことも生き残って負けないということも
教えるわけです。
話が
少し大きくなりましたが、
刀を学ぶことと、体術を学ぶことは
180度違う事ではなくて、実は違わなかったという事を
言いたいだけなんです。
だから刀法的に体術をやっていけば本質に気付けます。
なんだ刀は最終的に要らないじゃないかと。
そこを生徒さんたちに分かってもらえるようレッスンをしていきたいと
いうことです。