居合道は、
居合術が生まれ変わったもの
今刀を振っているのは、
殺人のためではなくて
生きるためか
居合術がうまれた頃
殺人が正当化の時代
当然ながら今は、
日本刀を持って街歩きはできません。
刀は殺人の武器だからです。
これは、
「鑑賞用の美術品だよ!」と、主張しても
刀は鑑賞が真の目的ではなく殺傷の道具だから
しかし
令和でも刀を振って稽古しているのは
戦国時代から平和な時代になり
居合術が居合道に
武術が武道へと
殺人技(武器)それはもういいから
殺傷できるのは分かった
そういう技術はここにある
殺せるのはわかったから
「その手前で俺たちは、最後までいかなくてもわかるよな!!」
つまり
「道」になった歴史があります。
だから
現代でもその「道」が稽古されています。
それが個別武道である
居合道、合気道‥
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/0b/b7d5842d78da8f5e5f69fc9b18395696.jpg)
術のころの居合道は
殺人の結果、自分が生きることができ
居合道になった今は
殺さなくても、お互いがわかる(勝ち負けが)
しかし、ここに矛盾があります
実力差がある場合等
負けた方が、自分は負けているという事実がわかりません。
勝ちのほうは、わかる。(俺は相手を斬っていると・・)
実力の低いものは、高見が案外見えないものです。
だから勝った者は
「もう勝ち負けにこだわる必要がなく、君の勝ちだよ」と
そっと離れていく、
そういうことです。
分かってもらえたでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ee/dc222ef17aa798e6f5358adcc1934403.jpg)