居合道は、
居合術が生まれ変わったもの
今刀を振っているのは、
殺人のためではなくて
生きるためか
居合術がうまれた頃
殺人が正当化の時代
当然ながら今は、
日本刀を持って街歩きはできません。
刀は殺人の武器だからです。
これは、
「鑑賞用の美術品だよ!」と、主張しても
刀は鑑賞が真の目的ではなく殺傷の道具だから
しかし
令和でも刀を振って稽古しているのは
戦国時代から平和な時代になり
居合術が居合道に
武術が武道へと
殺人技(武器)それはもういいから
殺傷できるのは分かった
そういう技術はここにある
殺せるのはわかったから
「その手前で俺たちは、最後までいかなくてもわかるよな!!」
つまり
「道」になった歴史があります。
だから
現代でもその「道」が稽古されています。
それが個別武道である
居合道、合気道‥
術のころの居合道は
殺人の結果、自分が生きることができ
居合道になった今は
殺さなくても、お互いがわかる(勝ち負けが)
しかし、ここに矛盾があります
実力差がある場合等
負けた方が、自分は負けているという事実がわかりません。
勝ちのほうは、わかる。(俺は相手を斬っていると・・)
実力の低いものは、高見が案外見えないものです。
だから勝った者は
「もう勝ち負けにこだわる必要がなく、君の勝ちだよ」と
そっと離れていく、
そういうことです。
分かってもらえたでしょうか。