みなさん こんばんは
愛知県豊橋市にある
レディース鍼灸さいとうです
平成30年2月18日(日)に
四日市総合会館にて
明日の地域医療を考える住民の会
・あした葉主催の講演会
それぞれの最期
~地域とのかかわり~に
参加してきました
講師は
ご主人の最期を
4人の子どもたちと自宅で看取り
それを
ドキュメンタリー映画
「いきたひ」を自身で
製作されました
長谷川ひろ子さん
介護職などの経験を経て
平成14年に
看取りの家「なごみの里」を
設立されました
看取り士の柴田久美子先生
平成21年に
三重県の四日市市に緩和ケアを
中心とした在宅医療専門の
「いしが在宅ケアクリニック」を
開設されました
いしが在宅ケアクリニック院長の
石賀丈士先生の御三方です
今回のテーマは
看取り 在宅医療です
今から50年程前の日本では
畳の上で産まれ
畳の上で死を迎えていましたが
現在は
患者さん自身の希望としては
自宅で最期を迎えたいというのが
一番であるにも関わらず
病院の病室で最期を迎えることが
一般的となっています
看取りの文化が衰退し
子どもが臨死の場面に
立ち会えないことも多く
そのため
死をわからない子どもが
増えているのが現状です
長谷川ひろ子さんのお話の中で
看取りの「看」という字は
「手」の下に「目」と書き
看て取るためには
まず手で触れないと
始まらないということを
教えてくれている
息を引き取られた方の体が
「冷たくなってきた」
「硬くなってきた」と
感じている最中に
尊く大きなエネルギーが
看取る側の人にどんどんチャージ
されていくとあります
病院で看取ることが増え
最期のときに立ち会うことが
難しかったり
触れることが
できなかったりするため
死に対する恐怖も
出てきてしまっている今
死に対して恐れず
最期まで生きるところを見届け
手助けをし
エネルギー「生命のバトン」を
受け取ることが大切だそうです
私達鍼灸師は
治療院まで行くことが
できない方の所へ
往診に行くことがあります
看取りに立ち合うことは
ありませんが
最期を迎えるまでの間
その方が最期まで
生ききる手助けや
本人や御家族の心と体に
第3者の立場として
寄り添うことができます
今回の講演を通して
改めて患者さんの人生に
そのような形で
関わることができていることを感じ
これからも誇りを持って
診療に臨みたいと思います
愛知県豊橋市にある
レディース鍼灸さいとうです
平成30年2月18日(日)に
四日市総合会館にて
明日の地域医療を考える住民の会
・あした葉主催の講演会
それぞれの最期
~地域とのかかわり~に
参加してきました
講師は
ご主人の最期を
4人の子どもたちと自宅で看取り
それを
ドキュメンタリー映画
「いきたひ」を自身で
製作されました
長谷川ひろ子さん
介護職などの経験を経て
平成14年に
看取りの家「なごみの里」を
設立されました
看取り士の柴田久美子先生
平成21年に
三重県の四日市市に緩和ケアを
中心とした在宅医療専門の
「いしが在宅ケアクリニック」を
開設されました
いしが在宅ケアクリニック院長の
石賀丈士先生の御三方です
今回のテーマは
看取り 在宅医療です
今から50年程前の日本では
畳の上で産まれ
畳の上で死を迎えていましたが
現在は
患者さん自身の希望としては
自宅で最期を迎えたいというのが
一番であるにも関わらず
病院の病室で最期を迎えることが
一般的となっています
看取りの文化が衰退し
子どもが臨死の場面に
立ち会えないことも多く
そのため
死をわからない子どもが
増えているのが現状です
長谷川ひろ子さんのお話の中で
看取りの「看」という字は
「手」の下に「目」と書き
看て取るためには
まず手で触れないと
始まらないということを
教えてくれている
息を引き取られた方の体が
「冷たくなってきた」
「硬くなってきた」と
感じている最中に
尊く大きなエネルギーが
看取る側の人にどんどんチャージ
されていくとあります
病院で看取ることが増え
最期のときに立ち会うことが
難しかったり
触れることが
できなかったりするため
死に対する恐怖も
出てきてしまっている今
死に対して恐れず
最期まで生きるところを見届け
手助けをし
エネルギー「生命のバトン」を
受け取ることが大切だそうです
私達鍼灸師は
治療院まで行くことが
できない方の所へ
往診に行くことがあります
看取りに立ち合うことは
ありませんが
最期を迎えるまでの間
その方が最期まで
生ききる手助けや
本人や御家族の心と体に
第3者の立場として
寄り添うことができます
今回の講演を通して
改めて患者さんの人生に
そのような形で
関わることができていることを感じ
これからも誇りを持って
診療に臨みたいと思います