風の行方

   愛知県で霊能者をしています。

   豊幡香穂が視たこと、感じたことを自由に書いていま
   す。

巨木

2012-02-15 | 心霊探索
  巨木、そこに存在するだけで命の証のよう。
 永い永い時代をじっと見続けている。
 巨木の前に立ち、巨木に触れ、視る。
 香穂は生きてきた記憶を垣間見る。
 その記憶は自然に流れ込む。
 
  人の生きる一生の短さを感じる瞬間でもある。
 人のように言葉を発するわけではないが、その想いを伝えてくれる。
 静かに、優しく・・・・
 巨木と共有出来る時間はとても静かで好きです。
 機会があれば色んな巨木、巨石などと語り合いたいと思うのです。



   

   

   

   

  この巨木達は何を語ってくれるのでしょうか?
 

フリーな日は。

2012-02-10 | 雑事
  久しぶりにフリーの1日が手に入りそうで、
 今からどうするか考えています。
 いつも完全なフリーというのは仕事の関係上とても難しい香穂ですが、
 今回はいい感じで自由です。

  香穂は放浪癖があって、同じ所にずっといられないのです(;^ω^)
 今は温泉に行きたいのですが~、行きたい温泉は遠くていけそうにありません。
 では山に、海に・・・・って寒すぎです。
 ついでにちょっと体調不良だから無理かも?
 ということで何十年も行っていない神社に行こうと決めました。
 それも朝っぱらから。電車に乗って(笑)
 また記事に出来たらと思います~。

  ずっと考えていたこともありますからその理由もあって行くことに決めました~。
 その準備で2月に入ってから夜中に車でウロウロと何カ所か周り、あるモノを拝借し、
 さらにするところはさらにしてきました。

  香穂は自分の感じ続け、視続けていることの誠を知りたいと思う。
 理論めいたことはこの時点で云えるわけではないけれど、
 ただの感覚で動いているわけでもない。
 誰かに話して理解してもらえることでも、理解してもらいたいことでもない。
 それはきっと無理だからね。
 一つ云えるとすれば、どの場所に行ってもその場所の二面を視ているのだと云う事。
 だから何?って思うでしょうね。
 香穂からすれば、何故表立った姿だけではいけないのか?
 と思うのです。

  香穂は普通の能力者さんとは違う視え方をしているのかもしれませんね。


  余談ですが、地震がやっぱりちょくちょくありますね。
 だいたい前日くらいに自分だけ揺れているのでいつも2度体感してます。
 うれしいことではないんですけどね~~。
 地震大国ですから致し方ないと云えばそう言う事になるのですけれど、
 大きな地震は・・・・嫌ですね。

パワースポット

2012-02-09 | 心霊探索
  パワースポットとは「気場」とか「エネルギースポット」などと
 も云われていますね。
 元々信仰の場でもあり自然崇拝が行われていた場であったところが多いともされて
 いるので「霊場」とも呼ばれていたりもします。

  最近はこういったパワースポットがブームでもあり、誰しもが一度は行ったことがあると
 思います。
 山・大地・川・湖などの場所であったり、神社にあるご神木であったり、様々ではありますが、
 パワースポットと云われる場所に行くことで人はエネルギーをもらえていると思ってしまいます。
 エネルギーがみなぎっていたり、吹き出すような場所はあり、気を感じる事がしやすくなる。
 感じる事とエネルギーをもらえることは違うことなのだと香穂は思っている。
 
  神社のご神木にしても、人々が皆手を当てている光景をよく見ますが、その行動をすることで
 木々が皆に気を分け与えているのでしょうか?
 それはありえないと思うのです。
 自然はすべての人に応えるわけではない。
 自然と語り合い、その声を聞けなければ応えてはくれない。
 大半の人は、触れることでそんな気分になってしまうのではないかと思います。

  人は求めるばかり。
 そんな人間にすべて応えてくれるはずがない。

  感じる事はとても大事な事。
 求めるのではなく、語って欲しいと思うのです。
 そして、それぞれの場所でその気質は違い、反応も違う。
 自分に合った場所に行かなくてはなんの意味もなさない。
 単純にパワースポットだから行けばいいと云うものではないのです。


 
 

岡崎城

2012-02-02 | 心霊探索
  身近にありながらなかなか書いて来なかった岡崎城について今回書くことにします。
 

  岡崎城は、菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られ、
 龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と呼ばれていた。
 もちろんだが、徳川家康の出生で有名でもあります。
 ここもまた「龍」にまつわる。
 徳川家康とはほんと、何処まで知っているのでしょうか?
 と思えてなりません。

  この日はとても風が強く、寒かったのですが、雲一つありませんでした。
 そんな空に龍が駆け上がる姿をしばらくの間視ていました。
 それから岡崎城に初めて入ったのですが、入るなり「ゴー」という音が何度も
 聞こえてくるのです。
 その音を確かめるために急ぎ天守閣へ登りました。
 天守閣に登ると、一定の間隔で風が舞い上がります。
 そう、龍が通り抜けているときの音だったのです。
 ここから、「新田白山神社」の大クスがよく見えます。
 龍はお城を駆け上がり、大クスに向かっていました。
 この光景は本当に綺麗で、思わずしばらく見続けてしまうほどでした。


   

   

  お城を出て、周りを散策がてら歩いていると時間も夕方にさしかかっていたのもあって
 過去あったであろう姿を目にすることが出来ました。
 時を渡ってしまっていたのでしょう。
 匂いも、風景も現在とは全く違うもの。
 信頼・忠誠心・団結・・・・
 今のこの世界に欠けているものを感じる事ができ、うらやましくも思いました。
 言葉ではない繋がり、心意気。
 命を賭けた繋がりの強さを視たようです。

  現在に生きる人間はどんな人であってもどこか傲慢で、自分の気分を第一にしがちなのだと思う。
 人間という形をなしている限りみなそうなのだと思った。
 ちょっとしたすれ違い、自分のして欲しいことをしてくれない事への不愉快さなど、
 人はすぐ第三者へその気分の悪さをぶつけてしまう。
 それほど、昔と違って器が小さくなったということでしょうか。
 現代における便利はただただ人の持つ心のキャパを狭くしているようにしか思えないことも多い。
 香穂も人間であり、こういうところがあるのだと思う。
 そして、人間である以上完璧ではなく誰にでも当てはまる事なんだと、
 特別はないと改めて感じるのです。
 そして、忘れてはいけない事なんだと思うのです。


  龍たちの駆け上がる姿を視ると心救われるものを感じました。