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支流からの眺め

老婆心と歴史を畏るべし

 危険物の4回目。
 今まで述べてきた危険物は、金、女、酒、病気、事故、犯罪、怨念などだ。これらを避ける方策は「処世術」と呼ばれる。自分の経験、友人や先輩などの助言から獲得するもので、一般に年長者の方が長けている。しかし、年寄りの言葉は分かり切ったことが多く、繰り言となり、特に若者にとっては説教臭い。

 その若者が聞きたがるのは、成功譚だろう。ところが、成功とは多数の要因が重なった結果で、その重要な要因には生まれつきがあるのだから、他人の成功譚は自分には当てはまらない。それに引き換え、失敗の要因(つまり、危険物)の多くは共通している。危険物の特性を知り失敗を避けることが、実は成功への近道なのだ。

 そこで「老婆心ながら一言献上」となる。老婆心とは、辞書には「年とった女の親切心がすぎて不必要なまでに世話を焼くこと。必要以上な親切心。主として自分の忠告などをへりくだっていう語」とある。経験年数においては、どのような姿であれ長く生きた人に若者は及ばない。処世術については、「年より畏るべし」である。

 とは言え、年寄りの経験は一世代だ。もっと過去のことや、国の興亡や社会の変革などの大きな動きを眺望するには、歴史に学ぶしかない。歴史とは過去の事実や人物評からなる雑多な堆積物だ。その意味では年寄りの経験と同じなのだ。より大きな危険物の有り様を深く知るには、「歴史こそ畏るべし」である。

 その資格もないが、歴史の解釈について一言加えたい。歴史には偶然と必然が混在している。だから、科学性にこだわり偶然を排して必然(史観)だけで説明しようとしても無理だ。また、人々の心理やその時代の社会通念(共に記録が残りにくい)に思いを致すことが必須だ。その上で、流れの複合体として歴史を理解すべきだろう。

 そう思って見ると、歴史の流れは集団のぶつかり合いだ。集団とは煩悩(金と女と酒)や怨念を抱えた人々の集まりで、支配者は集団の人々の期待を背負う。しかし時に、またはしばしば、支配者はその期待を無視・利用して己の煩悩だけを満たそうとする。こうなると、支配者は大変な危険物となる。処世術的な対応ではとても太刀打ちできない。(続く)

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