上高地と涸沢を訪れる。松本からの野麦街道は梓川の急峻な段丘を削って進む。奈川渡ダムで左岸に渡ると、沢渡付近を除いてはトンネルが続く。その間には崖崩れで埋まった旧道が亡霊のように現れては消える。その先代の旧道はもう分からない。そして釜トンネル(釜トン)の入口に着く。
釜トン横の梓川は川幅が狭く、滝と淵が渦巻き、水しぶきが釜の湯けむりのようだ(釜ヶ淵)。通行の難所で、かつて上高地に入るには島々から長い谷を詰めて徳本峠を越えていた。その釜ヶ淵の傍をトンネルで抜けるわけだ。とはいえ、トンネルは2車線で歩道もある立派なもので、難なく上高地に入ってしまう。
初代の釜トンは昭和2年竣工で、全長約300mの手掘りだった。昭和12年に延長して乗合バスが大正池まで入った。次いで拡幅、舗装、シェッド設置などの整備を行ったが、交互通行だった。筆者はこの時代の釜トンを徒歩で抜けたことがある。壁は素掘りで荒々しく、傾斜も急だった(最大斜度16.5 %)。
平成11年には、土砂崩れで入口が塞がれ上高地が孤立した。これを受けて、新トンネルが平成17年に竣工した。長さは約1300mに延び、最大勾配も10.9%に緩和された。それでも平成23年には土石流が発生し、トンネル内を流れ下って全長を通り抜けた。今でも大雨には厳重警戒だ。
釜トンを抜けると、左から荒れた山容の焼岳が迫る。そして小尾根をかわすと、突然風景が変わる。広々とした平原を思わせる空が広がり、その遠くに巨大な穂高岳の山塊が思いもよらない高さで姿を現す。静謐な大正池が近づくと、ここが水と高原の別天地だと実感できる。やがてバスの終点だ。
ザックを背負い歩き出す。河童橋の人だかりは閉口だが、橋を渡った展望所からは、梓川の流れの向こうに均整の取れた穂高岳の姿を望める。東を向けば六百山(2450m)が迫る。他の山々に隠れて目立たないが、その猛々しい姿は穂高と同じ火山岩が作り上げたものだ。更に下流に進めば、ウェストン碑がある。
ウェストンは英国の宣教師で、欧州で登山経験があった。明治21年から日本に滞在し、富士、槍・穂高、木曽駒、赤石、立山などを始め各地の山々を登り、近代登山を日本にもたらした。日本アルプスを世界に紹介した著書「日本アルプスの登山と探検」は、登山に関心がなくても十分楽しめる。(続く)