武漢コロナウイルス感染症:WARS (https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/84da922cdd25a87b24d80a3e0c6df67b)の基準となる診断方法は、鼻粘膜細胞を検体としたPCR検査である。PCR法とは、ウイルスに特有のRNAを増幅して検出する手法で、犯罪捜査のDNA検査に近い。わが国では、PCR検査の件数がきわめて少ない(人口当たりで韓国の1/6、米国の1/9)。この点は流行初期から指摘されており、安倍首相や加藤厚相が何度も検査件数を増やすと言い続けて3か月が経った。
発熱や咳などの症状がありWARSを心配して病院を受診しても、PCR検査はしてもらえない。検査を希望して保健所に電話してもつながらない。つながっても、いくつかの条件から検査不要とされる。医師から強く頼んでも、却下される。感度・特異度・陽性的中率などと言われて、広く検査を行う意味はないという説明を聞かされても、自分の結果だけはどうしても知りたい。有名人やコネのある人は検査を受けていると聞けば、人々の不安と不満は高まるばかりである。
検査を制限するのは、検体採取と検査能力に問題があったらしい。検体採取は鼻孔に綿棒を入れて行うので、採取者への伝染防止のため完全防護で臨む必要がある。それに手間がかかる。検体は保健所経由で衛生研究所に持ち込まれるが、検査は人力で処理数に限界がある。しかし他国は、それらの問題は首尾よく解決されたではないか。PCR検査は結核菌の同定検査などで広く使用され、特殊な技術ではない。病院の検査室でも検査会社でも可能である。手際よく検査数を増やして、早々に検査数を増やすことができたはずである。
では、検査は誰に行っていたのか。重症者のほか、病歴や症状から強く疑われる患者(帰国者、濃厚接触者、クラスター関連者等)に限定して行っていた。この限定には医療崩壊を防止する目的があった。広く検査を行なえば、軽症者も疑い者もそれ以外の人も我先に病院に押し掛け、そこでかえって感染が広がってしまう。秩序だった外来運営ができない。検体採取には時間と手間がかかる。検査結果でWARSと診断されると、軽症者であっても法に基づき強制入院となる。軽症者の入院医療は静養で自宅療養と変わらないが、感染症患者である限り手間はかかり、結局は病院の負担となる。これらの負担を減らして、病院には厳重観察・酸素吸入・人工呼吸器管理等が必要な重症患者の医療に専念してもらい、医療崩壊を防ごうという作戦である。
その結果、わが国の死者数は驚異的に少なく(人口当たり欧米より2桁も低い)、大きな医療崩壊も起こらなかった。費用を意に介さず全体を見てから絞り込むという大技ではなく、全体を知ることで起こる雑念を避け気配で察知して要所だけに切り込む・・まるで座頭市の剣のようであった。検査数の抑制には裏があり、某研究者がデータを独占する、検査技師の利権を守る、官僚の無誤謬性を保つ、政治家が海外の模倣を嫌うなどの邪まな動機があったのかもしれない(多分違う)。しかし、政治は結果がすべてである。この成果は、限られた資源で感染を抑えた世界に誇るべき奇跡ともいえる。
但し、実は相手が弱かったからこの成果なのだとすれば、誇れるほどのものではなくなる。確かにWARSは、SARSなどと比べて危険度は低かった(指定感染症を返上しては:https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/d74fa70adac7ac5d0400edd7a7b2e85b)。日本人の民度、医療人と医療制度の完成度、生活習慣(衛生観念、接触しない挨拶、特別な食品?)、生物学的背景(遺伝的素因、肥満が少ない、BCG接種や他の感染症による免疫賦活?)などが有利に働き、検査の運用方法がどうであれ、流行はこの程度で済んだのかもしれない。今後の検証に待ちたい。されど、得られた成果は目を見張るべきものである。
見ざるの効用は猿も知るところであるが、それを実践・貫徹した座頭の心眼に敬服する。