10月10日と11日にかけて原爆の惨禍を知りたくて広島市に行ってきたが、行く準備をしていたらオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞するとのニュースが耳に入った。
演説しただけでノーベル平和賞とは、一体なんだといやな気分になった。
原爆ドーム、平和記念公園内各所にある55の慰霊碑、原爆資料館に展示されている資料や市内各地にある慰霊碑を見るにつけ原爆の恐ろしさを痛感した。
原爆の投下目標になった相生橋
原爆ドームが世界遺産に登録されておりオバマ大統領のプラハにおける演説のためか、外国人を市内のあちこちで見かけた。
団体で来日したもの、家族で来たもの、一人で見て回っていたものなど、どの人も慰霊碑の周辺や原爆の爪あとが認められる所ではしゃいでいる者はいなかった。
原爆の恐ろしさに思いをめぐらしているようであった。
これは原爆の惨禍を一目見たいと広島に来た人に共通する心境である。
原爆ドーム 風化が著しい
1発の原爆が約20万の無辜の人々の命を一瞬にして火炎と爆風で消滅させ、家屋は崩壊霧散したことを思えば、この地でオリンピックを開催するのは、原爆死没者の御霊を冒涜するに等しい。
オバマ大統領は「核のない世界を目指す」と演説したが、アメリカの核兵器を削減したとでもいうのか、原爆を落とした国アメリカの指導者が広島・長崎の死没者や遺族に謝罪の言葉を述べたこともない。
原爆投下を指揮したカーチス・ルメイ少将(当時、戦後、航空自衛隊の創設に貢献した功で勲1等を授与されている)は、アメリカが負ければ自分は「戦争犯罪人だ」と戦後語った。
戦時下といえども一般国民を無差別に殺傷するのは、重大な戦争犯罪である。
呆然と立っている被災者
この写真を見た瞬間、怒りに襲われた
曲がった鉄骨
大やけどをした女性
この女性が何をしたと言うのだ!
大やけどをした男性
腹巻の部位は焼けていない
崩れ落ちる皮膚 地獄!
たった、いっぺんの核廃絶の演説に対し「ノーベル平和賞」を与えるとは、西欧の独善的な思い上がりに過ぎない。
原爆ドームを見ていた時、2人づれの若者が「オバマは演説しただけでノーベル賞か、(原爆死没者は)たまらないな!」と言っていた。全く同感である。
死体焼却の準備
帰りの車中で広島・長崎の2つの市が、オバマ大統領のノーベル賞受賞に便乗してオリンピックを招致する旨の字幕ニュースがあった。それを見た瞬間、不愉快な感じがした。
64年間、原爆投下を受けた広島市、長崎市は、核廃絶、戦争のない平和な世界の実現を目指して活動を行ってきた。
にもかかわらず、2つの都市の平和運動は、ノーベル賞受賞に値しなかったことに2人の市長が思い至らないのかと腹立しく思った。広島、長崎の平和運動の限界は、次の3点にあるのではないかとも思った。
左翼反体制的体質
「核廃絶」、「戦争のない世界」という誰にも文句のつけようのないスローガンを掲げながら、一部左翼平和活動家の支持を受けても日本国民全体が、これら連中の運動に心底から共鳴したことはない。
いわんや、共産圏の国を除いて外国が広島、長崎の平和運動に共鳴したともいえない。この点の思慮が、この2つの都市に欠落している。
原爆資料館の「世界の核兵器」に関連する展示資料は、反米反安保運動のころ流布したアメリカの核体系を糾弾する資料に良く見かけたものがある。
「反体制はかっこいい」とばかりに”いいカッコをする”女優が吹き込んだ貸し出し用の「音声ガイド」、財団法人「広島平和文化センター」はソ連・東欧よりな出版物を手がけているなど広島市と関連団体の“反体制的”体質が随所に目に付いた。
このような体質があったので日本人全体が、広島・長崎の平和運動に共鳴することが無かったのだろう。
事大主義的な体質
次に事大主義的な体質ということである。東西冷戦のころは、国内の平和運動は共産党、社会党の独断場であった。政治と無縁であるべき核廃絶の運動は、原水協と原水禁に分裂し、一段と、一般国民が寄り付きにくいものに変質したが、2つの都市の平和運動もこれら勢力に利用していた。
社会的に大きな力をもつ勢力に“すりよる”体質は否定できない。
それと通ずるのが、オバマ大統領がノーベル賞を受賞すると決まった途端に同調する体質である。
自らの言葉で核兵器廃絶に向けて世界に訴えかけてこなかった。
独善的な歴史観
原爆慰霊碑の碑文を見れば、一般国民の実感と異なっていることがよく分かる。
慰霊碑は、ここに眠る人々の霊を、雨露から守りたいという気持ちから、埴輪の家の家型に設計された。埴輪の家には、中央に原爆死没者名簿を入れた石棺が置かれている。
石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 私たちは繰り返しませぬから」と、刻まれている。
当時の浜井市長は、自分で考えつかず、秘書を通して広島大学の雑賀忠義教授に碑文を考えてもらった。案出された「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」との文言に浜井市長は狂喜し、誰もが賛成すると思った。 ところが碑文が完成してみると、浜井市長の意図が全ての人に円滑に受け入れられることは無く、賛否両論が沸き起こった。
当たり前である。慰霊碑に参拝していやな感じに襲われた。
この碑文に「過ちは繰り返しませぬから」 とある。これは日本を指している。それがどんな過ちなのかわからない。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人ではない。
落とした者の手は、まだ清められていない。
この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。
その戦争の種は、西洋諸国が東洋侵略で起こったことも明らかである。
原爆死没者慰霊碑
戦争で敗れたとはいえ、ぺりーの来航で開国、明治維新ごの富国強兵は欧米のアジア進出に対応した日本の生き方であった。欧米流の生き方を選択した日本が欧米流の対外進出で活路を見出そうとして衝突し、その力に屈したに過ぎない。
勝った欧米が善で負けた日本が悪という単純なものではない。だからこそ老いも若きも一億国民挙げて戦った。それが昭和20年までの日本であった。
「過ちは繰り返しませぬ」とは、大多数の国民が共鳴できる文言ではない。
核の廃絶、戦争のない世界と言いながら、このような偏った考え方のもとで行われた平和運動は上滑りし、日本人だけでなく地球上の国家・国民を動かすに至らなかった。核廃絶・戦争のない世界を目指してきた広島市と長崎市の平和運動の限界がこの碑文に良く現れている。
動員学徒の慰霊碑
原爆は、この上空600mで炸裂した
原爆ドームの南約160mの地点
核兵器の廃棄されるまで
広島・長崎でオリンピックを開催すべきでない
環境重視のコペンハーゲンで、鳩山首相が温暖化ガス削減を訴えたがオリンピックの招致に失敗した。自らの言葉で核廃絶を訴えて来なかった広島市・長崎市が、世界人類の心をとらえることは出来ないだろう。オリンピック招致に失敗した東京の二の舞を演じることになる。
オリンピックはスポーツの祭典と言いながら、それ以上に、経済活動の側面も持っているし、勝敗に勝った負けたで驚喜することは、当分の間、広島市、長崎市には相応しくないと思った。
核兵器の削減が何も進展しない状況下で、鎮魂・慰霊の地である広島市、長崎市でオリンピックを開催することは、原爆死没者20万人の御霊に対する冒涜である。
原爆ドームや原爆資料館などを見物しながら痛感した。
年をとった欧米系の人が涙で目を瞬きながら慰霊碑の説明に聞き入っていたが、平和公園に来た者誰しもが広島に抱く感情だろう。
核兵器の廃絶が実現するまで原爆が投下された広島、長崎オリンピックを招致すべきではない。