これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

拉致被害者 寺越外雄さんの死亡認定取消しが決定

2010-05-13 | 朝鮮半島

寺越外雄さんの死亡認定取消しが決定
 5月12日、海上保安庁第9管区海上保安本部が、拉致被害者寺越外雄さんの死亡認定を取消した。3月23日に兄の寺越文雄さんが同本部に要請していたが、その決定がなされた。これで寺越外雄さんの家族が、救出の対象になるという点で一歩前進した。

 寺越外雄さんは、兄の寺越昭二さん、甥の寺越武志さんとともに、昭和38年5月11日から12日未明にかけて、石川県志賀町沖合の海上に出漁中、日本に侵入した北朝鮮の工作船と衝突し、抵抗した昭二さんが銃撃され海に沈められ(安明進元工作員証言)、外雄さんと武志さんが北朝鮮に拉致された。
  北朝鮮は、「北朝鮮の船が遭難していた3人を救助した。3人は北朝鮮で生きていくことを選んだ、昭二さんは1968年3月30日に北朝鮮で死亡」と一方的に主張してきた。「拉致」ではなく「救助」で、「本人の意思で北朝鮮で暮らすことを選んだ」と主張している。 
  しかし、日本政府は平成19(2007)年11月6日、福田康夫首相名で、同事件は「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に該当」との見解を示している。

 寺越外雄さんは、昭和45年5月1日、元在日で帰国した韓福生さんと結婚し、長男の明哲さんが昭和47(1972)年、長女の明心さんが昭和50(1975)年に生まれた。これまで外雄さんから文雄さんに100通以上の手紙が来ている。

  平成9年6月27日、寺越武志さんの「死亡取り消し決定」を受けて、海上保安庁から寺越文雄さんに「外雄さんはどうしますか」と尋ねられたが、文雄さんは、「もう死んでしまった人間の、死亡日を変えても仕方ない」と思い、この申し出を辞退してしまった。
 その結果、甥の明哲さん、姪の明心さんが生まれながらに持っているはずの日本国籍が確認できなくなってしまった。そこで、文雄さんが改めて死亡認定の取消しを要請し、取消しが決定された。なお、外雄さんは、平成6(1994)年9月5日死亡している。
  今後は、死亡日の変更を行うとともに、韓福生さんと結婚したこと、明哲さん、明心さんの二人の子どもがいることを届け、戸籍を回復することをめざしている。
 上記の手続きが確定すれば、外雄さんの家族が救出の対象になる。

  2月24日に、寺越文雄さんは、家族会・救う会・救う会兵庫とともに、政府に対して、「寺越事件の拉致認定と外雄さんの家族を被害者家族として位置づけること」、「北朝鮮との交渉において外雄さんの配偶者及び直系子孫について、安全を確保し日本への帰国を求めること」等を要請している。

 本日5月13日、増元照明家族会事務局長及び平田隆太郎救う会事務局長が、拉致問題対策本部の山口室長とともに、法務省民事一課に行き、今後の手順について打合せを行った。
 また、明日、5月14日11時、寺越文雄さんが在住する兵庫県で活動している長瀬猛・救う会兵庫代表が、兵庫県議会拉致議連とともに、これまでの経緯と今後の展望について県庁内の会見室で記者会見を行う予定。
 なお、寺越外雄さんは、入院中につき出席できない。
                                   以上
       
救う会全国協議会ニュース(2010.05.13)から


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国に続き台湾も“排他的経済... | トップ | 口蹄疫で鳩山政権“脳死”状態... »
最新の画像もっと見る

朝鮮半島」カテゴリの最新記事