原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督
インタビューに答えるオリバー・ストーン監督(広島市中区で)=近藤誠撮影 「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。
ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。
インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい。日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。
(2013年8月5日08時53分 読売新聞)
「平和に対する罪」と「残虐事件の罪」とは?
国際裁判所条例制定時の論議
極東軍事裁判は、「平和に対する罪」と「残虐事件の罪」をともに刑事犯として裁いた。「平和に対する罪」は、当時の国際法の規定」になかったが、1945(昭和20)年6月からアメリカ、イギリス、フランス、ソ連がロンドンで会談して国際裁判所条例を作り、その中に事後法として創設されたものである。
アメリカ代表ジャクソンは侵略の定義を提案したが、他の代表の容認しなかった。ジヤクソソ氏がトルーマソ大統僚に提出した雑告書によると、下記のような状況であった。
「(1)他国に対する宣戦布告
(2)軍隊をもって他国の領土に対する侵略
(3)陸軍、海軍または空軍をもって他国の領土、艦船または航空機に対する攻撃
(4)他国の沿岸または港湾に対する海軍による封鎖、
(5)自国内にて組織された他国の領土に侵入した武装集団に対する援助を与える等の行為、
政治的、軍事的、経済的そのほかいかな考慮も、
これらの行為に対する弁護、またはこれを正当化する理由とはならないものとする。
ただし、適法および自衛権の行使、すなわち、侵略行為に対する抵抗、または、侵略を受けている国を援助する行為は、侵略戦争を構成しないとする。」
それに対し、フランス代表ロゲは、
「われわれは侵略戦争を開始することは犯罪となるべき違反行為でないと考える。もし、われわれが、ここで戦争を個人の犯罪行為であると宣言するならば、われわれは現行の法律を越えようとしていることになる。
われわれは、今後幾年間かに侵略戦争を開始する国家はそれがいかなる国家であれ、道徳的に、また、政治的に犯罪責任を負わされるであろうと考える。
しかし、今日現に存在するままの国際法を基礎とすれば、こういう結論を出すことは正しいことではないと信ずる。ある国が侵略戦争を開始し、その戦争を国際法の原則に従って遂行しない場合、侵略戦争を開始するというだけでは犯罪にならない。・・・・
この問題は、国際連盟でもしばしば論議されたところである。侵略戦争が国際犯罪であり、結果として、侵略者は、その侵略によって他人に与えた損害を賠償すべき義務を負うということが、しばしば言われたのである。しかし刑事的責任は認めていない。」と主張した。
この主張に、イギリス、ソ連の代表も同意をした。個人に刑事的責任を問えないとするのが、多数であった。
また、侵略の定義も定かでなかった。不戦条約締結時、アメリカのケロッグ国務長官は、アメリカ議会に批准を求めるとき、「この条約は政策の手段として戦争に訴えること、すなわち侵略戦争は放棄したが、自衛の戦争は放棄していない。
アメリカの安全が脅かされたり、権益が侵されたりすれば、アメリカは決然立って自衛の戦争を行うことが出来る。そして何が自衛であるかは、アメリカ政府が決定し、他の何者の指図を受けなるものではない。」との解釈を示している。
日本が行った一連の戦争を侵略と決め付けても、当時の国際法上これを犯罪とすることは出来ない。然るに極東軍事裁判では、日本の戦争を侵略とし、有罪と断定した。
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アメリカの犯した戦争犯罪は誰が裁くのか
1945(昭和20)年3月10日、東京・下町一帯が米軍の無差別爆撃で10万人が死亡した東京大空襲の日だ。8月6日と9日の広島、長崎の原爆のともに、日本人の記憶にとどめておおかねばならぬ日である。
米軍の長距離爆撃機「B29」による本格的な本土空襲が始まったのは、1944(昭和19)年年夏以降だ。当初は、軍需工場などに目標を絞った精密爆撃だったが、1945(昭和20)年1月、米極東空軍司令官にカーチス・ルメイ少将が赴任してからは、住宅密集地などを標的にした無差別爆撃に切り替えられた。
それは、まず、爆撃目標地域の周囲に焼夷弾を投下し、逃げ道を塞いだうえで絨毯爆撃を加えるという非人道的な方法だった。無差別爆撃は東京大空襲の後も、大阪、名古屋などの大都市や地方都市にも行われ、広島・長崎の原爆被害を含めると、50万人以上の民間人が犠牲になった。
1922年、ハーグで日米英などの法律家委員会が作成した「空戦に関する規則(24条)」は未発効ではあったが、軍隊や軍事施設以外の目標に対する爆撃を禁止していた。東京大空襲や原爆投下を、当時の米国政府は「戦争終結を早めるため」などと正当化したが、日本の敗色が濃厚な時期に、非戦闘員を標的にした都市爆撃は必要ではなかった。
1945(昭和20)年3月の東京爆撃以後、本土においては、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていたし、米側が日本の旧ソ連を通じた和平への試みなどを知っていながら原爆を投下した。原爆はソ連との政治的戦争の道具だったのだ。
アメリカは、ベトナム戦争でソンミ村虐殺事件を起こした。戦争に従事していないソンミ村の村人を虐殺したが、これを自国の裁判にかけたか。アメリカ兵は、イラクの刑務所に収容されていたイラク兵を虐待したが末端の兵士に責任をかぶせてごまかした。
現場の指揮官、軍司令官、戦争を開始、実行した国防相、大統領の責任を追及したとでもいうのか。キューバのグアンタナモ基地に収容されているテロ容疑者に対する虐待についても同じだ。アメリカは、自国の犯した戦争犯罪にダンマリを決め込んでいる。
これが重大な戦争犯罪でないのか
日本軍は真珠湾軍港を空襲した。米国は住宅地に原爆を投下した。
毎日新聞社「その瞬間 ショック写真百年史」164,165頁
●1945年原爆投下を検討する暫定委委員会の結論
「労働者の住宅を含む軍需工場に、できるだけ早く警告なしに使用されるべし」
労働者を抹殺する“警告なし”の原爆投下は、重大な戦争犯罪である!
原爆投下は必要なかった 関係者はみなNO!と言った
戦争終結を早めるための投下ではなかった!
●トルーマン大統領
「ソ連が参戦すれば日本はお手上げだ」(1945年7月17日 ポツダム会談初日)
「原爆」を投下すれば、ロシアがやってくる前に日本はお手上げだ」
(翌8日 原爆実験成功の電報を受け取り)
●スチムソン陸軍長官(原爆投下責任者)
「(投下の目的は)満州に侵攻したロシアが日本に到達する前にできるだけ早く幸福を実現することであった」
スチムソン陸軍長官は、ルーズベルト大統領(ユダヤ人)のドイツ人を抹殺したいとの執念には断固阻止するつもりであったが、日本に対する原爆投下に反対しなかった。
●バーンズ国務長官
「原爆は日本を打ち破るために必要でなく、ソ連を最もコントロールしやすくするためだった」
●マッカーサー
「私の幕僚たちは一致して日本は崩壊と幸福寸前の状態にあると判断していた。原爆投下は軍事的にみれば全く不必要である。日本は降伏を準備している」
●米戦略爆撃調査団の報告(1946年)
「原爆が落とされなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても確実に1945年11月の九州上陸予定日までに、日本は降伏しただろう。」
【続く】
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