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金賢姫氏と拉致被害者の家族との面会概況------北朝鮮の嘘が満天下にあばかれた

2010-07-23 | 朝鮮半島

金賢姫氏と拉致被害者の家族との面会概況------北朝鮮の嘘が満天下にあばかれた
救う会全国協議会ニュース(2010.07.22)

■横田めぐみさんと金賢姫の面会時期は1987年1月と推定できる。
西岡 力(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長)
7月22日午前、軽井沢で持たれた記者会見で、横田滋、横田早紀江ご夫妻は、21日夜金賢姫から聞いた、めぐみさんとの面会について次のように語った。
・ 金賢姫がめぐみさんの会ったのは1回だけだ。
・ 中国とか海外での仕事を終えて北朝鮮に帰ってきて淑姫から「久しぶりだからめぐみちゃんに会いに行くから一緒に行かないか」といわれて会いに行った。
・ 時期、場所は分からない。
・ 何回も会ったとか、お腹が大きいのを見たという話しは間違いであり、金賢姫から訂正を頼まれた。

 金賢姫と金淑姫の当時の動向を調べてみると、金賢姫は1984年12月と1987年1月の2度、海外での任務を終えて帰国している。このうち1987年1月の帰国後に、金賢姫、金淑姫、横田めぐみの面会があったと思われる。

 金賢姫は1985年7月に淑姫と共に中国広州に行って中国人化実習をし、86年8月マカオに移りやはり2人で自炊生活をしながら実習を行なった後、1987年1月に2人で平壌に帰った。2人は帰国後、同年9月まで粒子路5号招待所で思想再武装教育を受ける。

 1987年1月に田めぐみさんは、田口さんと86年に分かれ韓国人拉致被害者金英男と結婚した。同じく86年に中和郡忠龍里招待所を出て、北朝鮮の発表では太陽里、安明進証言では金正日政治軍事大学境内の外国人教官宿舎に住んでいた。実は、太陽里も金正日政治軍事大学も、金賢姫と金淑姫が入った龍城5号招待所と近い場所にある。本来、任務と関係ない教官に会いに行くことは禁止されている。しかし、近くにめぐみさんが住んでいることを招待所関係者から聞いた淑姫が「久しぶりだからめぐみちゃんに会いに行くから一緒に行かないか」と金賢姫に誘ったということは十分あり得ることだ。

 もしこの時期に面会があったとすると、めぐみさんは妊娠1から2ヵ月であったことになる。金賢姫の話しのように「お腹が大きいのを見たのは間違い」だが、妊娠中のめぐみさんに会ったことにはなる。情報が一部ゆがんで伝達されたとするとつじつまが合う。

 一方、もう一つの可能性である1984年12月は、同年7月に金賢姫が金淑姫と別れて金勝一と一緒になり海外実習を行なって帰国した時になる。この時のことを金賢姫は2009年3月11日、釜山で飯塚繁雄、飯塚耕一郎親子に次のように証言している。
 「85年1月、海外実習から帰ってきて淑姫と合流した。そのとき淑姫は、84年末に田口さんとめぐみさんと淑姫の3人で市内から遠く離れた招待所で一緒に生活したと言っていた。淑姫によれば、そこは電気事情が悪く寒いので、服を何枚も着重ねていたということである」
 また、帰国した被害者は同じ時期のことについて以下のように証言している。
「(平壌市南にある中和郡忠龍里1地区の1号招待所に蓮池夫妻、7号招待所に地村夫妻が生活していた。)1985年1月前後に、1地区3号招待所に、田口八重子さん横田めぐみさん、スッキと呼ばれる朝鮮女性の3人を見かけた。その後、スッキは見えなくなり、田口八重子さんと横田めぐみさんが1地区3号招待所で暮らしていた」
 もしこのとき金賢姫がめぐみさんと面会したのであれば、当然、めぐみさんと同居していた田口八重子さんとも再会していなければならないし、中和郡忠龍里の招待所だと特定できなければならない。だが、金賢姫はその時期の田口さんと会っていない。会っていれば飯塚さん父子に伝えているはずだが、それはない。したがって、金賢姫がめぐみさんに会ったのは、1984年12月ではないだろう。

◆金正日が拉致指令-「まさに私たちがその1期生です」
・招待所のおばさんなどから、「日本人の夫婦がいるという話を聞いている。それも一組じゃないと聞いている」「男の工作員が日本人の夫婦から日本語を学んでいるという話を聞いた」と証言。

・「田口八重子さんが金賢姫を教え、めぐみさんが金淑姫を教えた。それは76年に金正日が『指導核心工作員を作りなさい』、『その指導核心工作員は現地化しなければいけない』と指令したことによるものか」と聞いたら、「まさに私たちがその1期生です。金正日から直接は聞いていませんが、教官たちから聞いていました」と答え、76年の金正日の拉致指令を確認した。

・「あなたの同級生の男性があと6人いた。その人たちも日本人化教育を受けたのですか」と聞きましたら、「その人たちは日本人化教育ではなく、東南アジア担当だった」と答えた。東南アジア人化教育が並行して行われていた可能性が出てくる。そして、「自分と金淑姫が日本人化教育を受けた。女性がもう一人いたが、その人は中国人化教育を受けたのじゃないか」と証言した。

・「他に日本人化教育を受けた人はどれくらいいたのか」と聞いたら、「分かりません」ということでした。

・ 家族の各人に対してくりかえし「生きていますよ」、「皆さん生きていますよ」、「希望を持って生きてください」という話をした。その根拠としては、まず、「外国人としてきちんと待遇をする」ということで、増元さんが、「処刑というのはどうですか」と聞いたら、「外国人は処刑しません」と答えた。

・男の被害者は、最初は「ひどい目にあわされる」「ひどい目にあわされ、言うことを聞くようになれば外国人としての待遇がなされるので、そんな簡単に死ぬようなことはありません」と証言。

・「北朝鮮の体制に関わるような秘密、重要なことをさせられているので、生きている人が『死んだ』とされている。しかし、北朝鮮という国は日本のようなきちんとした国じゃないから、ある日、『やっぱり生きていました』ということは十分あり得る。希望を持ってください。とにかく皆さんと会えて嬉しかった」と話す。

・「工作機関の内部で、『当初は拉致した人たちを教育して工作員として使う計画だった。しかし、試してみたら心変わりして使えなかった。やはり外国人は信用できない、ということで方針が変わって、教官として使うことになった。そして工作員の先生として使うことになった』と聞いた」と証言。

7月22日面会後の記者会見における西岡・救う会会長のコメント 
◆あばかれた北朝鮮の嘘-大韓機事件はでっち上げで金賢姫は北朝鮮人ではない
一点私の所感を申し上げます。今回の訪日は大変意味があったと思っています。
世論喚起という意味もありますが、それよりも、未だに北朝鮮は大韓機爆破事件を認めてないのです。金賢姫さんは偽物だと言っています。北朝鮮人じゃないと言っています。その金賢姫さんが覚えていた横田めぐみさんの特徴で横田さんのご両親が感動したこと、あるいは飯塚さんが覚えている妹の八重子さんの特徴と、金賢姫さんが現地で会った特徴が合って、だからこそ心の交流がどんどん深まっていっている。金賢姫さんが偽物だったら我々全部がだまされたことになります。

 そんなことはないということで、日本政府が公式に、本物だという前提で呼び、北で聞いたことについて当事者が聞いたら、失踪する前の状況と合っているということが確認された。ここで、北朝鮮に言いたい「大韓機事件はでっち上げだという嘘はもう通じないですよ」と。

 通じなくなった嘘、金賢姫さんも言っていましたが、30年前の嘘にこだわらなくなれば田口八重子さんや横田めぐみさんが帰ってくる可能性が出てくる。そこは私と金賢姫さんの意見が一致したのですが、秘密が秘密でなくなってしまうようにすれば死亡とされた被害者が帰って来れる道ができる。そういう点で今回、金賢姫さんが偽物だという北朝鮮の嘘は、完全に、完膚なきまで否定されました。

 心と心の交流が、飯塚さんや横田さんたちにできたということが、金賢姫偽物説の嘘を暴露したことになったのです。心と心が通じたということは、偽者だったらありえないのです。つまり北朝鮮の嘘を一つ、満天下にあばくことができたということで、大変、戦略的に意味があったと思います。ですから、家族が心と心の交流ができたというのは、家族だけがよかったのではなく、そのことに本当に意味があったということを強調しておきたいと思います。
                                以上

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