これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

北朝鮮に向けた風船ビラ飛ばし行事(6月23日)の報告:東京連続集会

2010-07-21 | 朝鮮半島

家族会・救う会等NGOが集まって、「対北風船ビラ日本実行委員会」を結成し、救う会西岡会長、島田副会長、平田事務局長は、6月23日午後2時、韓国の保守団体が主催する韓国江原道鉄原軍白馬高地にて行われた北朝鮮に向けた「風船ビラを飛ばし」行事に参加しました。その結果報告を7月1日(木) 東京都文京区の文京区民センター3階3Aで行いました。 以下、その概要です。

■第1回風船ビラ飛ばし-韓国鉄山の白馬高地から
平田隆太郎・救う会事務局長
 まず写真をご覧下さい。長さ六メートル、直径1.8メートルくらいの風船で、この下にかなり重たいビラがいっぱい積まれています。これを上空高く持ち上げたところで、北向きの風が北朝鮮に向かって吹いており、風船が北朝鮮に向かうことになります。上がり初めは北向きではなかったのですが、雲を見ると明らかに北に向かって流れていました。上空は風の流れが違うことがよく分かりました。

 ビラをまく前のセレモニーでは、韓国側が日の丸と星条旗も用意してくれて、3国の国旗を前に、「これから飛ばすぞ」という感じになりました。これだけの人が集まり、約200人くらいですが、一緒に風船を飛ばしました。韓国の国民行動本部と風船ビラを専門に飛ばす脱北者の団体があるのですが、この中に私たちも入れてもらってビラをまいてきました。ノウハウはこの人たちが持っています。

西岡力(救う会会長)
 この対北風船ビラ運動は、日本では特定失踪者問題調査会が3年くらい前からやっており、飛ばす実務をお願いしていたのが李民馥(イ・ミンボク)氏です。私たちも今年3月の家族会・救う会合同会議で、北朝鮮情勢が流動的になってきた中で、世論を盛り上げて日本政府の姿勢をしっかりさせ続けるという今までの運動方針にプラスして、北朝鮮に対する働きかけを強めようということを決めました。ラジオは我々もやっていたのですが、ビラについてもできることがないかと色々なことを模索し、私も李民馥さんに会いました。

◆「海の魚雷」に対しては真実の「空の魚雷」を元々風船ビラを送っていたのは韓国政府です。70年代、80年代、90年代は大々的にやっていました。2000年の南北首脳会談で金正日が、「やめてくれ」と言って、2004年に止めてしまった。それを見ていた脱北者の人たち、特に李民馥さんは風船ビラを向こうで拾ったことがある人で、「ビラで認識が変わって韓国にまで来たのに止めてしまうのは困る」と。「北に真実を伝えるのは北の人たちに一番必要なことだ」ということで2005年から独自の技術で風船とビラ散布時限装置を開発して本格的に始めたのです。

 これは自由北朝鮮放送という脱北者の人たちが始めたラジオ放送とだいたい同じです。韓国政府が対北心理戦ラジオをやめてしまったので、民間の脱北者の有志が、韓国社会に支援者がほとんどいないという中で、立ち上がって始めたのです。

 これに対し、今年3月の天安艦事件以降、韓国社会の主流である保守団体「国民行動本部」が、韓国国民の大規模な寄付を集めて風船ビラを送る運動に立ち上がった。これまで韓国の国民運動としてビラを送ることはほとんどなく、脱北者の人たちが特に盧武鉉政権時代に、周りから圧迫もある中で細々と続けていたのですが、韓国国民の大規模な寄付を集めてやろうという機運が盛り上がってきました。

 「海の魚雷」に対しては真実の「空の魚雷」を送ろうという意見広告が大新聞に何回も出て、お金も集まっている。年間1万個くらい送るという運動です。家族会の飯塚代表、増元事務局長と救う会の私と島田副会長が4月に北朝鮮自由週間でソウルに行った時に、運動の中心になっておられる国民行動本部の徐貞甲本部長や、ここにも何回も来ていただいた韓国保守派のリーダー趙甲済さんからその話を聞き、「1万個送るなら千個くらい日本から送りたい」と申し出ました。

 日本から送る場合は、そのビラの内容に拉致問題や日本人妻の問題など日本にとって関心があるということも入れてもらえないだろうかという話をしました。
最初は韓国のビラの一部に日本の主張を入れることも模索したのですが、「それよりも日本は日本で独自のビラを作って撒いたらどうですか。それを一緒の枠組みでやりましょう」ということになり、家族会・救う会だけではなく、日本にある北朝鮮関係の団体が集まってやれないかということで関係団体で会議をしました。

◆脱北者が安上がりの風船を開発
 今日は共同代表の三浦さんが来ていますが、家族会・救う会と北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会とNO FENCE(北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会)の4つのNGOで「対北風船ビラ」日本実行委員会という組織を作り、私と三浦さんが共同代表になりました。調査会には協力団体となっていただきました。こうして日本の北朝鮮人権団体も韓国の運動の大きな枠の中に参加し、10%くらいできないかと思って始めたわけです。

 韓国では既にビラを送る運動が始まっていたのですが、6月25日がちょうど朝鮮戦争勃発60周年で、韓国では意味のある時期でした。その前後の風向きのいい時に100個飛ばしたいという話があり、「そのとき10個日本のビラを送らないか」ということでした。私は6月初めにそのための打合せでソウルに行き、色々な調整をし、ビラの原稿を書き、それをソウルに送って修正してもらうなど色々なことをやりました。

私たちのビラはこの大きさ(と言って会場に示す。約10センチ四方の裏表印刷)です。この大きさで、風船1戸に6万枚、10個なので60万枚になります。23日からの風向きのいい時にやるということでしたので、22日の夜にソウルに入りました。できれば三浦さんたちも来てもらえればと思ったのですが、急に決まったので三浦さんのところは調整がつかず、増元さんたちは同じ時期にモンゴルに行っていたので、救う会だけになりました。

大型バス3台など200人くらいの人が集まりました。主として退役軍人の人たちが多かったのですが、「みんなで集まりましょう」という意見広告を出したのでたくさん集まりすぎて、断るというような盛り上がりでした。
日本のメディアは産経、共同、時事、TBSで取材がありました。また韓国のメディアからもたくさん取材され、私はずいぶんインタビューを受けました。これは今までなかったことで、拉致でソウルに行っても、日本の特派員はたくさん取材をしてくれましたが、韓国で拉致の集会をやっても、あまり韓国のメディアは書かなかったのです。今回は、韓国の主流の運動団体が朝鮮戦争60周年でやり、その中に日本も入っているということでしたので、たくさん取材を受けたのです。私も、MBCテレビというちょっと左傾しているという評判があるテレビに初めて出まして、友人たちから、「お前ソウルに来ていてなんで連絡しなかったのか」と言われたりしました。

朝鮮戦争の時の拉致被害者団体も同じ大きさのチラシで14個飛ばしていました。
 さらに李民馥さんたちが作っていたのはこういう少し大きいもの(約15×20センチ)で、さらにこういう大きさ(約40×42センチ)のちらしも飛ばされました。
6月23日に200人で行ったのですが、実は行ってみたら風向きが悪く、最初1個飛ばしたら北に飛んでいかなかった。しかし、200人もいて、マスコミもたくさんいる以上、そのまま帰ってという訳にはいかず、李民馥さんは「実弾は撃たない」と言って、主として雨が降ったら濡れてしまう紙のものを9個、つまり合計10個だけ飛ばし、あとは風向きがよくなってからやるということで23日は帰りました。

 そしたら25日の朝、「風向きがよくなった」という電話が来て、急遽行くことになりました。当日の朝招集されたのに、韓国の運動団体は、平日の昼間ですが25人くらい集めていました。現場には韓国の拉致家族会も来ていました。そこで一緒に105個飛ばしました。

 今回の風船は安くできる技術を開発したのが特徴です。民間ですからお金がないわけです。この風船は本当のビニールです。大きなかばんにまるめて入っていました。風では割れません。中に入っているのは水素です。ヘリウムの方がいいそうですが、水素の方が安いので水素を使っています。ビラもスーパーの袋やごみ袋のようなものです。そして、風船の下にビラを入れるビニール袋があり、下に口が空いています。それをまるめて紐で結んであります。

 そしてぜんまいみたいに廻す時限装置が付いています。3時間、2時間、1時間というめもりが付いていて、廻すとカチカチという音がして紐が引っかけてある部分が回転していく。時間になるとひっかけてある紐が逆側に行き、自然にほどけるようになっています。そして下に口がついていますから、ビラが落ちます。
大変原始的ですが、ひっかけている紐が落ちるだけですからあまり壊れず安い。韓国政府がやめて民間でやらなければならないので、なるべく安いものを開発しました。

 2003年に始めたのですが、最初は北朝鮮から文句がこなかった。2005年にこの風船を開発して大々的にはじめたところ北朝鮮から抗議が来た。これまでに30回くらい、北朝鮮から抗議や脅迫が来ていて、これを発明した李民馥さんを警察が24時間守っています。
 彼は、「なるべくマスコミの前には出たくない」と言っています。風向きがいつ、どうなるか分からないのだからということです。今回は特別にやってくれたのです。風がいいとなると、ぱっと行ってやるんです。今回天安鑑事件があった白?島(ペンニョンド)という島は、韓国側で一番北に近い島です。夏は気圧が南が高く北が低いので、風は南西から北東に吹きます。あの島から飛ばすと、うまくいくと平壌までいくそうです。

 今回はみんなが船に乗るわけにはいかないので、江原道鉄原郡白馬高地という朝鮮戦争の時に激戦があった所で、38度線より北側にあるところです。この地域は国連軍側が北側までとっていたところです。白馬高地を国連軍側が死守したため、38度線が北側に少し突出しています。そこまで行って飛ばしましたので、北朝鮮地域の北または東側方向に飛んだのではないかと思います。

 北朝鮮では今、都市から農村に、田植えなど労働動員で来ている時期なので、農村に落ちても都市の人にも届くと聞きました。
 ビラの内容は、我々が原稿を書いて李民馥さんが北朝鮮の人に分かりやすいものに修正してもらい、色々なやりとりがありましたが、「日本でもみなさんがひどい目に会っていることを心配していて、早く解放されることを願って活動している民間団体があります。金正日が配給をやめてしまったので餓死者が出て、生活ができなくなって中国に逃げる人がたくさんいる。その人たちを韓国の良識的な民間人が助けているが、日本でも助ける運動をしています。また北朝鮮の国内に政治犯収容所があって、大変な虐待をされている。この情報が世界に伝わっていて、世界が関心を持っています。日本でも収容所をなくそうという運動をしています。また、金正日が謝ったことを知っていますか。2002年の9月、小泉総理が平壌を訪問した時、『拉致があるだろう』と言ったら、拉致を認めて謝ったのです。しかし、世界12か国から拉致しているのに日本の拉致しか認めませんでした。日本人は100人くらいいると思われるのにたった13人しか認めませんでした。13人のうち5人は返したけれど、8人は偽の遺骨を送るなど嘘をつきました。拉致についての情報を求めています」として、瀋陽の日本領事館や政府の拉致問題対策本部や我々救う会や調査会等の連絡先を書きました。

 最後に、三浦さんが原稿を書いた、「北朝鮮にいる日本人妻のみなさん、そして帰国者の皆さん、あなたたちのことを忘れていません。自力で中国まで逃げてくれば日本に戻れます。日本では約200人の人たちが既に帰ってきて、一部の人たちは朝鮮総連相手に裁判までやっています。朝鮮総連は逃げ回っているだけです」というようなことを書きました。

 我々が書きたいものだけを書いても向こうの人たちにとって拾うことは罪ですから、関心のある内容でなければ拾ってもらえない。そこで、まず、日本でも北朝鮮の人たちに関心を持っている、孤立していない、ひどい目に会っていることは分かっていると書いた上で、拉致のことについても、日本人妻のことについても協力してもらえないかというコンセプトで書きました。

 どれくらいの反応があるかは分かりませんが、送ることができたことは成功だったと思います。これは対北風船ビラ日本実行委員会の銀行口座を作り、国民のカンパでやっていきたいと思っています。家族会も救う会も、守る会もNO FENCEもそれぞれ自分の活動をもっています。そこに寄付していただいている以外の関心のある方の寄付をなるべく集めて、カンパの食い合いにならないようにしながら、広く関心を持っていただきたいと思っています。

 今回の訪韓では、自由北朝鮮放送(FNK)も訪れました。実はFNKも今経済的に苦しいのです。アメリカ政府の支援金を貰っていたのですが、3年と期限を切られていて、今年からは減額になっています。そこで自分たちで食堂を運営したりして利益を出そうとしています。韓国政府は今のところ、ラジオ放送への支援をしていません。代表の金聖?さんには何度もこの場に来ていただきましたが、FNKを支援するカンパ活動も並行してやっています。

 真実を北朝鮮に伝えるということが広い意味で拉致問題の解決に絶対つながると思っています。我々がこの間届いている支援金を届けたところ、私の番組は毎週「西岡(教授)の拉致の話」というのを10分から15分しているのですが、「今回特別番組にしましょう」ということで、西岡、島田、平田の3人と救う会拉致研究プロジェクト委員の惠谷治さんの四人と、FNKの人と座談会形式で1時間の日本人拉致特別番組を作ってもらいました。それも近く放送されると思います。

◆朝鮮語を話せる自由北朝鮮放送が連絡先に
 実は残念なことですが、日本政府の方から、瀋陽の領事館と拉致問題対策本部の住所と電話番号を書くことに対して、止めてほしいという要請がありました。「日本政府が、ビラを飛ばしていると誤解されると困る」ということのようです。
 事前に止めてくれと要請がありましたが断り、今回は領事館と対策本部の住所電話FAXをビラに書きました。私たちは日本政府の許可をもらって公開されている情報を書くわけではありません。

 しかし、せっかく情報が来た時に、私たちの知らないところでうまく情報が使われないともったいないと思います。FNKの金聖?さんが自分たちの電話番号を書いていいということでした。朝鮮語で電話がかかってきますから、救う会の事務所に朝鮮語で電話がかかってきても私がいないときは取れません。FNKは脱北者がやっているラジオ局ですから北朝鮮のことを一番よく知っていますので、情報が来た後、これが本当かどうか確かめてもらうことも可能です。それで、せっかくの情報が政府に行ってもきちんと対応されないかもしれないので、今後は救う会のFAXとFNKの電話番号を書くようにしたいと思っています。そういう微調整をしながら今後も続けていきたいと思っています。

 風船1個の経費は1万円くらいだそうですが、飛ばしにいくには人件費も交通費もかかります。今回はバスの費用も国民行動本部が出してくれたのですが、日本のビラを飛ばしてもらう場合は、毎回我々がいかなくても、1個6万枚を2万円でできるということが分かりました。みなさんがいくらか寄付してくださいますと、風船の半分分とか4分の1分ということになりますので、是非今年は北朝鮮に対する働きかけを続けていきたいと思っています。

 それから、まだ具体的にお話できることは少ないのですが、今回も色々な所から色々な話を聞きまして、北朝鮮の内部は相当動揺しているなという兆候をたくさん掴みました。拉致問題を含む色々な情報が外に出てきています。幹部の人たちが激しく動揺し始めています。何かあった時に一番必要なのは外貨で、個人的に情報を売ろうという動きがあるのかな、と思いました。

 もちろんその中には詐欺もあります。確認できないものもありますが、私は、特に2002年以降は毎年何回もソウルに行って脱北者にインタビューをしているのですが、今回くらい「あれっ、こんな高位層からの情報も来るのか」と思ったことはありません。

◆金正日が攻撃を指示-国民は「思想だけではサッカーは勝てない」
 金正日の健康問題、北の内部で、特に権力中枢部で、長くもたないだろうということはみんな分かってきているわけです。そして20代の息子が後継者として安定するかどうか。金ジョンウンは中国的な改革開放をやらないと言われている人です。中国とは一定程度の緊張関係を保ちながら核を持って軍事優先でいくという方針を守る者が、金正日が望む後継者なのです。それが三男だということです。中国という強い経済力も軍事力もある国が横にいて、金正日という強い個性の人間がいなくなった時に、金正日が望むような状況が金正日死後も続くかどうか。これは全く未知数ですし、金正日本人も不安を持っているようです。

 張成沢という金正日の妹の夫がいますが、彼が今、急速に地位をあげているわけです。テレビや新聞では、張成沢は金ジョンウンの後見人と言っていますが、今まではそうではなく、今どうなっているかもよく分かりません。

 これまで張成沢は反金ジョンウンといわれていた。長男の金正男派だったのです。金正日の妻の高英姫(コ・ヨンヒ)と夫の張成沢一家は、最初の頃は関係がよかったのですが、その後よくなくなり、張成沢は一度、粛清まではいきませんが組織指導部の第1副部長を外されて学習に送られたのです。送った側が高英姫であり、この5月の初めに交通事故で亡くなった李済剛(イ・ジェガン)組織指導部第1副部長だったのです。高英姫と李済剛は金ジョンウン派です。ところが金ジョンウン派のトップが交通事故で亡くなった。その前4月にもう一人の組織指導部第1副部長、組織指導部第1副部長李容哲(イ・ヨンチョル)が心臓麻痺で亡くなっています。李済剛は党幹部の人事を、李容哲は軍幹部の人事を担当していた実力者です。張成沢と争うくらいの権力をもっていた人です。
 そのジョンウン派と言われていた二人が相次いでいなくなった。そして張成沢が事実上のナンバーツーになろうとしている。この動きは金ジョンウン体制への継承が順調に進んでいる兆候とは見えない。むしろ、ジョンウン後継の動きがこれで止まる、あるいは停滞する可能性もありえる。

 そのことについて色んな人が色んな話をしているのですが、権力中枢部が金正日の下で固まっているということではない。金正日に逆らう人は誰もいないということは間違いないことですが、金正日の健康がおかしくなって執務時間がどれくらいになっているのか。韓国の国情院長が韓国の国会で、「ぼけが進んでいる」と言った。「時々おかしなことを言うようになった」と。そう言ったと、聞いた国会議員が伝えています。

 そういうことがもしもあるとすると、権力中枢部の人は、次はどうなるのかと思う。その中で中国との関係をどうするのか。自分が誰に付いたらいいのか。そういうことの中で、最高幹部がバタバタと死んでいく。不安定な状況の中でどちらについたらいいか。自分の身の安全をはかるためには韓国に逃げようか。中国に逃げるにしても外貨がほしい、そういう状況が生まれつつあります。そこに大量のビラがまかれると、自分たちの体制自体も終わりなんだな、という社会的な雰囲気ができる一つの要素になると思います。

 もう一つ。ワールドカップサッカーの話です。島田さんがブログに書いています。これはFNKで聞いたのですが、7対0で北朝鮮が負けたんですね。それを北朝鮮で生中継したわけです。あのチーム自体は守りの強いチームだったそうです。ところが、攻撃しろと指導したのは金正日であるということを、北朝鮮の内部からFNKが確認したのです。噂ではなく事実としてそうだということが確認できたということです。

 さらに一つ。これは体制が揺らいでいることと関係するのですが、今北朝鮮の住民たちの間で、こういう言葉がはやっているそうです。「思想だけではサッカーは勝てない」。北朝鮮ではずっと、主体思想、思想が第一だと言っているんだけれど、思想を固めてテレビを見たら負けちゃった。そして、「思想だけでは経済はだめだ」とか、「政治はだめだ」ということに住民の意識が進むかもしれない。

 同じようなことが90年代の後半にあったのです。その時は、「配給所だけ信じていたら餓死する」という言葉だった。配給がなくなり、人口の15%が餓死していった。しかし、配給所の後ろには党がある。「党を信じたら餓死する」ということを住民が考えたとしても、韓国の謀略とは言えない。実際配給しなかったのですから。そして今度は生中継のサッカーで負けてしまったことから、北朝鮮の中心である主体思想、そして金正日の権威を公然と批判するような言葉が出てきている。

 ということで、様々なことが起き得るかもしれない、起き得る中で、日本でも皆さんの味方の人たちがいるんだということを北の人に分かってもらうというこの風船ビラとラジオの活動は、是非続けていきたいと思っています。以上です。

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          救う会全国協議会ニュース(2010.07.16)


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