オルセー美術館の続き。
さすがに、足がキツイと言い出した年老いた母親にキツイ言葉はいえませんでしたが、
「大丈夫ね?」
母は、
「うん、大丈夫ばい。」
「あんたが、行きたい所はどこね?何ば見たいとね?」
(また、質問な?本当に足が痛いと?)(人がおる所で聞かんでも・・・)
と、思いつつも、
「うん、ちょっと。」
誤魔化しながら言いました。そうすると、同行の奥さんがすかさずに提案。
「じゃ、まことさんの見たいのを、それだけ見たら出ましょうか?」
(いや、あなたは、フリーのツアーをリードしなくても・・・)
「ちょっと、すみませんけど、もう少し見たいので。」
と、またまた誤魔化して、また鑑賞することにしました。
ロートレックの所に来て、離れている母親に、
「ちょっと来てんない。これば見てんない。」
母は、
「何な?これは、汚かねー。看板なこれ?」
と母は言い。
私は、
「これは、ロートレックって言うとばい。」
「ムーランルージュの看板ば書きよんしゃったとよ。」「貴族の出身ばってん、子供の頃、乗馬の事故で両足ば骨折して、足が極端に短かったったいね。絵が上手かったけん、家族の反対ば押し切って絵を書きんしゃったらしいよ。」
と。
母は、
「フーン。」
まるで、気にもかからないみたいで、
私、
「親父のごたぁろうが?」
母、
「あっ!・・・・・。」
と思い出しました。
私の父親は、若い頃、絵が好きで絵が書きたいと、家を飛び出し看板屋に住み込みで勤めながら絵を描いていたらしいのです。父親の絵は相当上手かったらしく(自分で言ってただけなので)ロートレックを見て母親は思い出しました。私の記憶の中では、小さい頃、仕事の合間に、私と兄を海岸に連れて行き、あっという間に海に浮かぶ小島を描き上げた事(見事な絵でした。)
と、小学校1年生の時、母が、ブックカバーを作ってくれたのですが、真っ白の生地で作ったので、学校で「おしめみたいやん。」と皆に馬鹿にされて、家に帰ってから、泣いていたのを父親が、墨汁で凄いスピードで風景を書いてくれた事です。が、私は、
「こんな、黒くて気色の悪い絵は嫌やん。さっきの方がまだマシやん。」
と、言って泣き止まずにいたら、兄がその日本画みたいな絵が描かれてあるブックカバーを、
「俺の学級にはそんが事ば言うヤツはいないから、俺がそれば持って行くけん。俺の白いカバーば持って行け。」
と言って泣いている私をなだめて、私が兄の白いブックカバーを、兄貴が絵が入ったブックカバーを使う事になりました。(有難う兄貴。忘れてないよ。)
翌日、兄はその事でバカにされる事もなく、私もバカにされても「どえんもない。」と開き直り、実際はバカにされる事はなかったので。
ただ、あの墨汁の風景画は、かなりのものであったのではないのか?
本当に父親は、絵が上手かったのではないのか?
と、この年齢になって感じることです。そうすると、私は子供ながらも、父親に
「そんな絵は大嫌いやん。」
と駄々をこね、父親を困らせてしまっていたのです。(ごめんね。オヤジ)(懺悔)
と、そんな昔の事を思い出しながら、しみじみとロートレックを見ていました。
・・・・・つづく
さすがに、足がキツイと言い出した年老いた母親にキツイ言葉はいえませんでしたが、
「大丈夫ね?」
母は、
「うん、大丈夫ばい。」
「あんたが、行きたい所はどこね?何ば見たいとね?」
(また、質問な?本当に足が痛いと?)(人がおる所で聞かんでも・・・)
と、思いつつも、
「うん、ちょっと。」
誤魔化しながら言いました。そうすると、同行の奥さんがすかさずに提案。
「じゃ、まことさんの見たいのを、それだけ見たら出ましょうか?」
(いや、あなたは、フリーのツアーをリードしなくても・・・)
「ちょっと、すみませんけど、もう少し見たいので。」
と、またまた誤魔化して、また鑑賞することにしました。
ロートレックの所に来て、離れている母親に、
「ちょっと来てんない。これば見てんない。」
母は、
「何な?これは、汚かねー。看板なこれ?」
と母は言い。
私は、
「これは、ロートレックって言うとばい。」
「ムーランルージュの看板ば書きよんしゃったとよ。」「貴族の出身ばってん、子供の頃、乗馬の事故で両足ば骨折して、足が極端に短かったったいね。絵が上手かったけん、家族の反対ば押し切って絵を書きんしゃったらしいよ。」
と。
母は、
「フーン。」
まるで、気にもかからないみたいで、
私、
「親父のごたぁろうが?」
母、
「あっ!・・・・・。」
と思い出しました。
私の父親は、若い頃、絵が好きで絵が書きたいと、家を飛び出し看板屋に住み込みで勤めながら絵を描いていたらしいのです。父親の絵は相当上手かったらしく(自分で言ってただけなので)ロートレックを見て母親は思い出しました。私の記憶の中では、小さい頃、仕事の合間に、私と兄を海岸に連れて行き、あっという間に海に浮かぶ小島を描き上げた事(見事な絵でした。)
と、小学校1年生の時、母が、ブックカバーを作ってくれたのですが、真っ白の生地で作ったので、学校で「おしめみたいやん。」と皆に馬鹿にされて、家に帰ってから、泣いていたのを父親が、墨汁で凄いスピードで風景を書いてくれた事です。が、私は、
「こんな、黒くて気色の悪い絵は嫌やん。さっきの方がまだマシやん。」
と、言って泣き止まずにいたら、兄がその日本画みたいな絵が描かれてあるブックカバーを、
「俺の学級にはそんが事ば言うヤツはいないから、俺がそれば持って行くけん。俺の白いカバーば持って行け。」
と言って泣いている私をなだめて、私が兄の白いブックカバーを、兄貴が絵が入ったブックカバーを使う事になりました。(有難う兄貴。忘れてないよ。)
翌日、兄はその事でバカにされる事もなく、私もバカにされても「どえんもない。」と開き直り、実際はバカにされる事はなかったので。
ただ、あの墨汁の風景画は、かなりのものであったのではないのか?
本当に父親は、絵が上手かったのではないのか?
と、この年齢になって感じることです。そうすると、私は子供ながらも、父親に
「そんな絵は大嫌いやん。」
と駄々をこね、父親を困らせてしまっていたのです。(ごめんね。オヤジ)(懺悔)
と、そんな昔の事を思い出しながら、しみじみとロートレックを見ていました。
・・・・・つづく
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