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イアン・スティーヴンソンの「生まれ変わり」研究――真性異言と先天性刻印(2)

2010-08-06 00:53:43 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
(1)の続きです。文字数オーバーだそうでw

◆先天性刻印

 スティーヴンソンは、さらに、ESPでの情報取得によってはうまく解釈できない、生まれ変わりの証拠を提出しています。それが前世記憶と符合する母斑(birthmark)および先天性欠損(birth defect)です。総称する名称がないので、ここでは「先天性刻印」とします。
 これは、前世の人格が死亡した際の創傷、あるいは前世人格が持っていた痣や欠損、ないしは創傷痕・手術痕などが、現世人格に痣や欠損型奇形として再現されるものです。つまり、現世人格に見られる痣や奇形などが、前世人格が殺された際の刀・銃弾の跡や、前世人格の体にあった傷跡、手術跡、ほくろ、あざなどと一致するということです。中には、殺される際に手や指を切断されたために、その部分が先天性奇形(欠損)となって現世人格に再現された例もあります。
 スティーヴンソンは、Reincarnation and Biology: A Contribution to the Etiology of Birthmarks and Birth Defects (4 volumes, Westport, CT: Praeger Publishers, 1997) という厖大なモノグラフと、その概説書である『生まれ変わりの刻印』(笠原敏雄訳、春秋社)で、112に及ぶ「前世に関連する先天性刻印」の事例を報告しています。
 その中から一例を簡単に紹介してみます(これが特に有力とか印象的とかいうことではありません)。

 1935年トルコのハタイ地方(当時フランス占領下)アンタキヤに生まれたセミル・ファーリシは、誕生の2、3日前に死亡した遠い親戚のセミル・ハイイクの生涯と死の状況を話した。
 セミル・ハイイクは、自分の2人の姉妹を強姦した2人の男を殺害し、逮捕されたが、逃亡に成功、山岳地帯に潜伏し、旅行者の金品を強奪していた。結局密告によって彼はフランス警察に包囲され、火をかけられた隠れ家の中で、ライフルで自殺した。
 セミル・ファーリシが生まれる前の晩、父親はセミル・ハイイクが自宅に入ってくる夢を見、彼が自分たちの息子として生まれ変わろうとしていると思った。生まれてきたセミル・ファーリシは、右顎の下側に顕著な母斑があり、生まれて数日の間、そこから出血があったため、縫合する必要があった。
 セミル・ファーリシは、言葉が話せるようになる2歳頃から、セミル・ハイイクであった「前世」を語り、警官に対して敵対的な態度を示し、投石すらした。棒きれをライフルに見立てて遊び、父親のライフルを持ち出して何人かの兵士を撃とうとしたこともあった。
 セミル・ファーリシには、右顎の母斑のほかに、左頭頂部に髪の毛のない直線状の部分があった。これらの母斑は、喉にライフルの銃口を当て、足で引き金を引いて自殺したセミル・ハイイクの遺体の状況(姉妹の一人とフランス憲兵の証言)と一致した。頭頂部の直線上の部分は、顎から入った弾丸が頭蓋の骨を一部持ち上げて外へ貫通したことと対応した。

 これを、超ESP仮説で説明すると、どうなるでしょうか。生まれる直前の胎児であったセミル・ファーリシは、なぜか、遠い親戚であるセミル・ハイイクの死をESPで知り、セミル・ハイイクの生涯の記憶や感情の一部を取得し、さらに死亡の際の銃弾創の状態を知り、それを自らの体に部分的に再現して、生まれてきた、ということになります。このようなことが正当な説明と言えるでしょうか。
 確かに、人間が、ある種の特殊精神状態(極度の集中状態)で、実在体験や、時に非実在体験(イメージ体験)をありありと想起すると、その体験中の身体状況が、再現されることがある、ということが報告されています。幼少時(時には「前世」での)の暴行体験を想起した人が、殴打された部分に赤斑を生じさせたり、また、深い催眠下の被験者に、「熱い火箸を触れます」といって通常の火箸を接触させると、その箇所に水疱が出現したりする、という例です。先天性母斑や先天性欠損なども、これによって説明できるでしょうか。胎児のセミル・ファーリシは、なぜかセミル・ハイイクと強烈に自己同一化し、彼の体験を自らのものとして強烈にイメージしたために、銃弾創が生まれたことになるのでしょうか。

◆言語能力や身体刻印は「霊」自体にあるのか

 ただし、真性異言にしろ先天性刻印にしろ、それがどのように「前世人格」から「現世人格」へと伝達されるのかは、もちろん現代の科学でも、またこれまでの霊信を総合した「霊学」でも、的確に説明されうるわけではありません。ここでは少し余談になりますが、その点を霊学的に推察してみます。
 言語能力(あるいはその他の、「訓練」によって獲得された、身体と深く関連した動作や技能)は、人間の霊魂自体というより、霊と身体との中間にある「エーテル体」や「神経魂」(マイヤーズ通信に出る用語で、日常的生命活動や適応活動を司る精神の非意識的領域)などに関連しているように思われます。霊界においては言語は必要ではなく、思いはテレパシーによって伝達されると、ほぼすべての霊信が述べています。
 したがって、言語は、純粋に霊の世界に属するというより、霊界と現界との中間部分・媒介部分に属すると考えられるわけです。ですから、特殊な意図を持った場合や例外的な事例を除けば、生まれ変わりを経れば、言語能力を始めとする訓練獲得性の動作・技能は、消去されると考える方が自然でしょう。応答性真性異言が、きわめて珍しいのは、そこに由来すると思われます。
 シャラーダの事例では、当人自身に死んだという自覚がなく、現世(現世の状況や自らの身体)に強く執着しているために、彼女の霊魂は通常の「中間世」(つまりは霊界)を経ることなく、つまり消去のプロセスを通過せずに、ウッタラに再生したか、あるいは憑依したか(どちらの解釈が正しいかは決定されていません)なのでしょう。そのゆえに、好みや仕草などはもちろん、言語能力というものも、持ち越されたのだと思われます。
 先天性刻印についても、同様のことが言えるでしょう。胎児が前世人格の体験を強烈に再現したために刻印が生じたのではなく、前世人格のエーテル体(霊的身体のうち肉体に近い部分)の欠損(これは当人の魂がそれをどれほど固定的なダメージだと捉えているかによって、保全されたり消去されたりするようです)が、そのまま現世の人格のエーテル体に影響を与え、生物学的には相同ではない(実際の致死創傷をそのまま保持したら当然、生存が危険になってしまいます)ものの、イメージ的に似た母斑なり欠損を作り出したということになるでしょう。

 つまり、前世記憶を鮮烈に持っている人や、前世の傷などの刻印を持ち越す人、また前世の言葉を話す人は、たいてい「前世で悲劇的な死を遂げて」おり、生に対する執着や恨み、無念の情を抱いているため、すぐに生まれ変わろうとするのかもしれません。そのため、通常は行なわれる、直前の生の回顧や次生の選択、霊体の修復や過去世の記憶の一時消去といったプロセスを経ることなく生まれ変わってきてしまったと推定されます。
 言い換えれば、スティーヴンソンの収集例は、「きわめて特殊な例外」であって、そこから一般的な「生まれ変わりの法則」を導き出すことは危険だということになります。
 (多くの魂がどのように生まれ変わりをするのかに関しては、むしろ前世療法家マイケル・ニュートンによる報告などを参照した方がよいと思われます。)

◆超ESP仮説は棄却された――死後存続は証明された

 死後存続研究の長い歴史の中で、いかに奇矯とはいえ、超ESP仮説は、死後存続を否定するものとして立ちはだかっていました。先天性刻印や真性異言の事例によって、それが突破されたということは、「死後存続は証明された」ということになります。
 もちろん、超ESP仮説は、はなから妄想的・教条的護教主義的な仮説で、考慮する必要もないとする立場も、不当とは言えないでしょう。それは、なぜか死後存続をどうやっても否定したいために、ついに人間の超能力に「神の万能」を与えてしまうという、とんでもなく破廉恥な試みだからです。しかし、偉大なるスティーヴンソンの研究のおかげで(おそらく後世の人々は、彼を「死後存続を実証した偉大な科学者」として正当に評価するようになるでしょう)、私たちは、今、超ESP仮説を、大手を振って棄却できるようになったのではないでしょうか。そして、繰り返せば、百年余に及ぶ死後存続の証明問題は、超ESP仮説が棄却された以上、「すでに証明された」ということになるのではないでしょうか。

【文献】(絶版が多くて残念です……)
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子供たち』日本教文社、1990年
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を語る人々』春秋社、1996年(絶版)
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『生まれ変わりの刻印』春秋社、1998年(絶版)
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子供たち2』日本教文社、2005年
笠原敏雄編『死後の生存の科学』叢文社、1984年(絶版)

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (ken)
2010-08-08 11:56:28
 私も、スティーヴンソンの研究については、不正がなければ、生まれ変わりと捉えるのが一番理にかなっていると思います。
 ただ、中心人物にあるという母斑を、ほとんどの事例で、目で確認できたのかどうかがよくわかりません。これに関しても、家族の証言に拠るものだとしたら、客観性に疑問を感じてしまいます。
 また、前世が死亡する前に、中心人物が生まれていたという事例もありますが、こういう作り話のような事例があることから察すると、前世を語る子供の出現に、大人たちが集団妄想を起こして、生まれ変わりのストーリーを皆で作り、皆でそれを信じ込んでしまった、ということも考えられませんか? 実験的刻印の話なども、狂信的な感じがしますよね?
 
 
 
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Unknown (高森光季)
2010-08-08 14:30:55
ken様

母斑の確認は当然行なっていると思います。今ちょっと手元にありませんが、母斑問題を扱った原書は全4巻の分厚い研究書で、写真もたくさん入っています。
スティーヴンソンの研究方法は、基本的に家族の証言だけに頼るものではないと私は理解していますが、違反するような事例がありましたらご教示いただければ幸いです。

前世人格の死亡前に中心人物が生まれたというケースは、確かに奇妙なものだと思います。これは「憑霊」と理解すべきものなのかもしれません。憑霊と再生に関しては、現在のところ厳密な判定基準はないと思います。稲垣勝巳氏もそのことを論じています。(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55351008&comm_id=2399316

スティーヴンソンの研究方法は、「集団妄想」といったことを排除するようなものだと思います。これも疑問のものがありましたら具体的にお教えください。

実験的刻印は、アジアの風習としてところどころにあるようです。日本でもあったという話を聞きましたし、カンボジアの知人からも聞いています。こうしたことを「狂信的」と言えるかどうかはわかりません。「近代文明」以外の文明では、様々な宗教的行為があり、近代文明の目から見れば「異様」なものもあると思いますが、それらを一概には「狂信」とは言えないようにも思います。

私はスティーヴンソンの研究には最高度の信憑性を認めていますが、もし不備があるようだったら、検討するべきだとは思っています。勉強になりますのでご指摘いただければ幸いです。
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ありがとうございます (ken)
2010-08-08 17:48:06
ありがとうございます。

市販の翻訳本や訳者の笠原氏のHPを読んで、少し疑問に感じた点からの、私的な浅はかな考察でした。

何冊も分厚い研究書が公開されているのですね。これを読まないとあれこれ言えませんね。
すみませんでした。

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Unknown (paw)
2010-08-10 16:52:26
なるほど、前世人格のエーテル体を携えての
生まれ変わりが、前世を知る子供たちになる
という解釈な訳ですね。霊学的には。
勉強になりました。

憑霊と生まれ変わり・・・う~む・・・
共に「霊」であるわけで、どう区別するので
しょう。
シルバーバーチとバーバネルは、バーチによる
と類魂ということのようですから、憑霊して(
インディアンの霊を介しているが)霊信を伝え
ているとも言えますし過去世の一部が転生?し
てきたとも言えるように思いますね。
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Unknown (高森光季)
2010-08-10 21:20:51
エーテル体を携えて、というのは言い過ぎかもしれません。前世記憶を持っている子供全般ではなくて、「先天性刻印」の一つの解釈可能性に過ぎないので……。
もしかすると、単に「強すぎる記憶」が身体変形を生み出したということに過ぎないのかも。まあ、よくわかりません(笑い)。

バーバネルは初めてバーチが憑依した時、意識を失っていますね(当初、彼はスピリチュアリズムをバカにしていたとか)。だから過去世ではないように思いますけど。
バーバネル自身は生まれ変わりを認めていなかったけれども、バーチは一応認めていたとかいう話もあったような。

まあ前世記憶か憑霊かはよくわからない問題ですね。生まれ変わり自体、わからないことだらけとも。
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再度すみません (ken)
2010-08-18 10:35:05
スティーヴンソンの研究の原書を閲覧したいのですが、私、かなり辺鄙なところに住んでおりまして、容易に書にたどり着けないもので、少し、以下のことをご存知でしたら教えていただけませんか。博士が調査した全てのケースについてなのですが、

・スティーヴンソンの集めた前世を語る子供と、前世だったとされる故人、および証言をしたとされる人達の実在した証拠は示されているのでしょうか?

・その証言は、誰がどういう内容で証言したか、示されているのでしょうか? 録音テープは残されているのでしょうか。

.子供の顔と母斑の写真と、もしあれば故人の検死記録の証拠は示されているのでしょうか?

もちろん、被験者のプライバシーもあったかも知れないのでなんともいえませんが、どこまで客観性をもった証拠を残せたのか、お聞きしたくて、再度伺いました。コメントいただけたら幸いです。
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ken様へ (高森光季)
2010-08-18 21:17:29
前世人格の実在は全部ではありませんがあります。証言者の実在というのは意味がわかりません。
証言は全部ではないでしょうが示されています。録音テープは私にきかれても困ります(笑い)。ヴァージニア大学には残されているとは思いますが。
母斑の写真もすべてではありませんが、公開されています。検死記録は一部、あったと記憶しています。
なお、一部のケースではパスリチャというインドの研究者による追試もなされています。


まあ、詳しくは本をご覧頂くのが一番です。著作権の関係からここで写真などを引用するわけにはいきませんので。
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ありがとうございました (ken)
2010-08-19 08:01:44
ありがとうございます。
証拠を追求しだしたらきりがないですね。でもそれだけスティーヴンソンが発表した事例は凄いのです。
大方の世の人は、眉唾物と見られていると思いますが、私はなんともいえないところです。でも最終的には信じるか否かなのでしょうね。
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セミル・ファーリシの事例について (ken)
2010-08-24 08:13:34
たびたびすみません。
ご提示していただいた、トルコのセミル・ファーリシの事例なのですが、時間的に合わないのではないでしょうか。

セミル・ファーリシが生まれたのは、前世の人格が自殺して、二、三日後となっていますね。
前世が死ぬ二、三日前というと、すでにセミル・ファーリシ産出間際で魂も入っているはずですよね。頭の母斑も二、三日で形成されると考えにくいです。

これも憑依なのでしょうか?
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Unknown (高森光季)
2010-08-24 22:40:09
ken様

ご指摘のように、「生まれ変わり」と「憑霊」の区別に関しては、非常に曖昧で、はっきりしたことは言えません。
スティーヴンソンの収集事例には、前世人格(?)が死亡する数日前に中心人物が誕生している場合もあります。これは通常の生まれ変わり概念とは外れるわけで、「憑霊」とすべきかもしれません。

母体内の胎児にいつ「魂が入る」かは諸説あって、わかっていません。
母斑の形成がどの程度の時間がかかるのかも、わかっていないと思います。もしかしたら瞬時に形成される可能性もあります。通常の機序ではないもの(生体PKに近いもの)なので。

スティーヴンソンの研究は、あくまで「前世」を主張する人物の、証言の実証性に主眼を置いていますから、「再生」か「憑霊」かという議論はほとんどなされていません。もしかするとかなりの事例が「憑霊」かもしれません。
スティーヴンソンの研究は、「死後存続」の有無が主眼で、それ以上の議論は避けているようです。

「再生」と「憑霊」が区別できるかに関しては、現在のところ、広く合意される明確な基準はありません。
当ブログでも紹介しました、稲垣勝巳先生による真性異言の事例(ラタラジューの事例)でも、この問題は議論になりました。
mixiにご加入でしたら、稲垣先生のコミュ「前世療法の探究」での議論をご参照ください。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2399316

生まれ変わり問題は、非常に難しいものなので、すっきりと確定・言明できないところが多々あります。

憑霊ということを広く捉えれば、実は、われわれ自身も「憑霊」体になるのかもしれませんねw
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ありがとうございます (ken)
2010-08-25 09:24:00
うーん。難しいのですね。憑依か生まれ変わりかとなると、我々には分からないですよね。

ただ、セミル・ハイイクは、さんざん悪事をした人で、殺人もし、自殺しているわけですから、簡単には生まれ変われないのでしょうね。
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ポール・エドワーズの批判について (ken)
2012-04-10 16:15:58
こんにちは。また申し訳ありません。スティーヴンソンの研究について若干気になる点があり、ご意見伺いたく参上いたしました。

ポール・エドワーズという哲学の教授が書いた『輪廻体験』というスティーヴンソンの研究を主な標的として批判している著書があり、その内容についてお聞きしたいことがございます。宜しくお願いします。

P.331から333に書かれていることですが、まず、スコット・ロゴという学者が著書『過去を求めて』の中で、70年代初めにスティーヴンソンの研究助手をしたランサムという弁護士の報告を次のように説明している件があります。

1970年から73年にかけて、ヴァージニア大学超心理学研究室で研究助手をした経験は、興味深くはあっても苦痛にみちたものでした。わたしはけっきょく幻滅したのですが、その原因の大部分は、研究者たちの(バランスのとれた態度とはかけ離れた)嫉妬深さや外部の懐疑主義に対する防衛的な態度と、証拠の弱さにありました。超常的な事象とされるものを徹底して調べれば調べるほど、超常的な説明が正しいとは思えなくなっていったのです。

次に書かれている、エドワーズ教授にランサム氏自身が提供した報告のポイントを挙げます。

 スティーヴンソンの研究におけるいくつもの方法論的欠陥について、誘導的な質問がされたこと、各事例の質問時間が非常に短いこと(一日か一日半、長くて四日ほどの滞在で、いったいどれだけ掘り下げた調査ができるのか疑問)、子供の遊び友達の調査もなく、問題にされている出来事が友達にどの程度知られているかも分からない。人間の誤りやすさという要因も無視している。記憶のかすかな歪曲、意図してではないが話を「補って」完全なものにしようとする傾向、自分の見聞きしたことを報告する際に多くの人に見られる全般的な注意の欠如、個人的な観察の細部に一般に信頼が置けないこと、証人の偏見と被暗示性。こうしたものすべてが、正確な証言を集めるにあたっての非常に現実的な障害になっている。ところが個々の事例報告は、このような問題に触れていない。更にスティーヴンソンの報告の仕方についても問題がある。たとえば、証人をその結論に導いた観察されたデータではなく、証人の出した結論を提示する、といった問題である。データが同じでも人によって異なった結論を引き出すことが十分ありうる。更に、証人の報告内容に含まれる弱点については、著作の別の部分でしか取り上げていない。(それも一般的な形で述べるだけで、個々の事例への参照があるわけではない)。



以上のようなランサム氏の報告に対し、エドワーズ氏は、ランサム氏が助手をしていたころよりましになったかもしれないが、十分ではないと述べています。

確かに70年代初頭の古い時代の研究状況についての批判ですが、それ以降の研究は早々改善されたとみていいでしょうか。








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Unknown (高森光季)
2012-04-11 01:45:58
ken様へ

すみません、エドワーズもロゴも読んでいないので、何も言えません。
ランサム氏の批判が具体的なものなのかどうか、正当性があるのかどうかも、ちょっとよくわかりません。

ただ、たとえばシャラーダの事例では、調査に相当な時間を掛けていますし、また、パスリチャ氏による別アプローチの研究もあって近似の見解が出されているので、手続き的に問題はないと思います。
こういった研究は、物理現象の実験検証とは異なって、どうやっても主観的な要素が入りますから、絶対的に明白ということはないように思います。(絶対的に明白なもの以外は信じないという態度もありだとは思いますが、それは知識として非常に特異な、偏ったあり方ではないかと思います。)

なお、この手の事柄をめぐっては、自称関係者から内部告発のようなものが出されるということも、どういうわけか時々あります。ハイズヴィル事件も、D・D・ホームの現象も(信者が告訴した)、F・クックやエウサピアなどの霊媒をめぐっても、様々な自称関係者による“告発”(あるいは当人による自白)がありました。こういうケースで問題になるのは、否定論者(告発者)の主張は厳密な検証もなしに簡単に受け入れられることがあるということではないかと思います。

最終的にはそれぞれが判断することだと思いますし、この論争に関しては勉強が足りませんので、すみませんが小生はこれ以上のことは言えません。
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ご意見ありがとうございました。 (ken)
2012-04-12 01:38:40
ご意見ご尤もだと思います。ただ、スティーヴンソンの研究について他にもいくつか批判が載せられていますし、また他の研究者では、エリザベス・キューブラー・ロス博士が特に叩かれています。本書は学者が出している著書であり、内容を読んでも客観性に訴えるものがあると判断し、問い合わせ申し上げた次第です。

ですが、仰るとおり、超常的事象に関する問題は結局自己解決しかないですね。確信的な超常現象体験がない自分としてはすごく難題ですが、なんとか解決していこうと思います。ありがとうございました。
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