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感情について霊学的に考える

2010-07-30 00:17:08 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 「感情」というのは、一般的には「理性」に比べて低次のものとされる傾向がある。特に、人間を「理性・知性を持った唯一の生物」と捉える近代的世界観(だいぶ崩れてきているが)では、「理性という素晴らしい働きを邪魔する厄介なもの」という捉え方すらある。
 ところが、霊学的に見ると、感情は非常に大切なものとなる。

 われわれの魂は死後も存続する。肉体を離れた「個性」は、その人格の主要部分を保持したまま、霊的世界へ向かう。この際、物質的なとらわれは消失する。性欲・食欲などの肉体由来の欲求はなくなる。同時にそれに付随する思いや感情もなくなる。そこに残るのは、その魂の本質的な思い・感情である。記憶も、魂としての思い・感情の出来事は残るが、物質的な生活に付随する細かな出来事の記憶は薄れていく。
 たとえば、前世療法で過去生の記憶を甦らせることができた場合、そこで甦ってくるのは、「魂に深く刻まれた事柄」である。履いている靴や窓から見える風景を思い出すとしても、それは、その靴や風景になにがしかの強い感情や思いがこめられていたからである。何月何日に何を食べたかとか、家のバスルームの蛇口がどうだったかということは、強い感情や思いが伴わなければ、甦らせることはできない。(ちなみに、「アカシック・レコード」[人類の全記憶庫]に記録されている出来事も「魂の経験」であって、実際の史実[物理的事実の微細な記録]ではない。)
 つまり、われわれの魂を構成する主要な内容は、思いや感情なのである。
 そして、こうした「思いや感情」は、通常の魂が赴く世界より高次な霊界でも、魂の主要な働きを構成する。
 マイヤーズ通信は、一般的な魂の赴く霊界=「幻想界」を超えた高次霊界の様相を詳しく伝えている。人間の魂は、多くは「幻想界」と「現実界」との間を生まれ変わりして霊的成長を遂げていくが、そこでの学びを終えた魂は、「形相界」へと赴く。そこは、「形相の創造が行なわれる世界であり、地上世界の源泉となる『限りない色彩と音の世界』である」。この世界においても感情は働いている。「地上のものとは違うが、悲しみもあれば喜びの陶酔もある。ここでの悲しみや陶酔は霊的な性質のものである」。そしてさらにその上の霊界=「火焔界」[人間から見れば神々の世界、報身仏的世界]では、「形相の超脱」「他魂との感情的融合」がなされる。「魂は、永遠の絨毯の中に自己の本霊が織りなしつつある図柄に気づき、同じ霊の中に養われている同類の魂たちの感情生活を知悉する」。「類魂内において同じ本霊に養われる様々な魂たちのこれまでのあらゆる段階の経験を感情的な思考作用の上で知る」。
 このように、高次の霊的世界においても、「感情」は重要な役割を果たすのである。ただし、それは「知的な感情」「精神的情熱」といった、非常に洗練された、高度な感情である。
 このことは、改めて考えてみれば、さして異常なことではない。神々や、菩薩や、天使たちが、感情を持っていないとは、誰も思わないだろう。彼らは彼らなりの感情を持ち、また、人間のような低レベルの存在の感情も共感的に知ることができる。

 われわれは、感情について、実はかなり無知である。特に「理性」を重視する近代人は、感情についてあまり目を向けたがらない。
 感情というと、「喜怒哀楽」と捉えてしまう。喜び・怒り・哀しみ・楽しみ。ずいぶん単純な捉え方である。喜怒哀楽の中にも様々な微細な感情があるし、それぞれが混じり合っていたりする場合もある。喜怒哀楽の範疇には収まらない感情もある。
 たとえば、芸術というものは、われわれの感情を刺激する。思考を刺激するものもないとは言わないが、素晴らしい芸術は、必ず「感動」を伴い、それはなにがしかの「感情」を惹起する。
 その感情は、多くの場合、言葉にはできない。しかし、ゴッホの絵を見た時、ドビュッシーの音楽を聴いた時、ポーの小説を読んだ時、われわれは何かしら「感情」に近いものが動いているのを感じる。それは、心地よいとか、驚くとか、喜び・哀しみとは異なる、より繊細で高度な感情である。
 話は芸術に限らない。「愛しい」はしばしば「いとしい」であり、「かなしい」である。子供でも、焦がれる異性でも、可憐な花でも、人はそれを見る時に、喜怒哀楽に収まらない、複雑な感情が動いているのを感じる。「面白く、また哀しい」ものもある。「悲しいのに崇高な何かを感じる」ものもある。「憎らしいが懐かしい」ものもある。われわれの感情機能は、非常に複雑なのである。

 感情は魂の本質的な働きであるから、感情を大切にすることは精神的な成長にとって非常に重要である。
 われわれは、自分の中に湧き起こっている感情に関して、実はあまり知らない。感情モニタリングとかフォーカシングとかヴィパッサナー瞑想といった心理的アプローチがあるが、それらは、まずは自分の心に起こっている感情をていねいに拾うことをする。多少なりともそれを実践してみると、われわれは、心に動いている感情を無視したり、思考によって歪めたりしていることがわかる。そして、そうやって無視されたり歪められたりした感情が、日常生活に支障をもたらしていることも多い。
 われわれは、もう少し、自分の感情に対して注意を向けるべきなのだろう。そして、物質的な事由による感情を超えた、「魂の働き」としての感情を、汲み上げるようにする必要があるだろう。

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1 コメント

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独裁者 (へちま)
2010-08-01 11:41:50
F.C.スカルソープ著(近藤千雄訳)の霊界紀行に感情に関する面白い記事があったので紹介します。
「1937年、私(スカルプソープ)は独裁者(ヒトラー?)のことで悲しみの情を覚えた。それほど強烈にして深い情を覚えたのは初めてのことで、涙が溢れ出るのを禁じ得無かった。
独裁者のために、この種の情を覚えるのは、普段の私の人間性には似つかわしくないことは言うまでもない。」
とのことで、これは高級霊からの流入による体験紹介でした。
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