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古城(山城)を行く 高尾城

2018-11-23 20:12:05 | 歴史

城主   :石川通清 河野氏

築城者 :石川通清

築城年 :享禄年間(1528~1532年)定かでない

標高   :240m/170m

形態   :山城

 享禄年中(きょうろくねんちゅう)-(1528年~1532年)周布郡(しゅうぐん)

の旗頭(きとう)に黒川氏がおりました。剣山城に居を構え、その勢力は

東へ東へと延びていました。新居(にい」郡の石川氏は高峠城にあって

二代勢力は互いにぶつかり合いしばしば不和、闘争に及んでいました。

郡堺(ぐんざかい)における領民同士の争いが原因となる両氏の

大きな戦いが、二度ほど記録されています。石川氏は黒川氏を牽制すべき

地を捜し求め、氷見尾土居(ひみおどい)に格好の場を見つけてここに

高尾城を構築し、有利な条件で和睦を結ぶことに成功しました。

高尾城が出来てからは、高峠城城主石川伊予守(いよのかみ」の家臣

である石川源田夫(げんだゆう)が、高尾城の城主として居城することと

なりました。源太夫(げんだゆう」は頭脳明唽(ずのうめいせき」で文武

両道に優れた実力者でありましたが、やがて高峠城勢に恐れられ

妬(ねた)まれるようになり、我儘や奢(おご)りによる陰謀の心ありと誘いだされて

騙し討(う)ちにあいます。場所は伊曽乃神社(いそのじんじゃ)南東の

木挽原(こびきはら)が選ばれました。

遺構は掘り切りが4条、曲輪が前方に4ヶ本丸の奥に1ヶあるようでした。

そのほかには、遺構は見つかりませんんでした。

所在地 愛媛県西条市氷見尾土居

車で国道11号線を松山市~川内町~桜三里~へと走り小松IC入り口から

約5km走ると下写真交差点につきます。そこを右に入ります

左に四国車体、右側はスーパーです、

ここから約500m進むと右へ進みます。直進すると右側に神社(行きすぎです。)

数百m走るとトの交差点があります、そこを右に入ります。

その先、右側に神社あり(行きすぎです)

先交差点(信号なし)左に曲がります。

さらに数百m進むと高速道路が見えます。その下を通過すると到着です。

登り口標柱のところが、登り口です。橋を渡ります。

道跡がありますので、当分道は、分かりやすく登れます。

先ほどの高速道路です。

西条市氷見町が見えます。

しばらく登っていくと案内板標(古い)のでどちらか少し考えて左に進みます。

正解かな?

ヤバッ(; ̄◇ ̄)

赤い印がありました。('ー^*) オッケ!!

掘り切りらしい遺構が見えてきました

掘り切り発見(1)

掘り切り(2)

掘り切り(3)

掘り切り(4)

掘り切り(5)

到着のようです?

本丸と思われます。

奥に曲輪らしい跡が2箇所ありました。

本丸からの瀬戸内海の遠望、西条市(丹原、小松、東予」、新居浜市など

見えます。本日は霧がかかっており、眺めがいまひとつですが、晴天で

運よく当たれば、すばらしい眺望が期待できます。

 

 

 



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