城主 :石川通清 河野氏
築城者 :石川通清
築城年 :享禄年間(1528~1532年)定かでない
標高 :240m/170m
形態 :山城
享禄年中(きょうろくねんちゅう)-(1528年~1532年)周布郡(しゅうぐん)
の旗頭(きとう)に黒川氏がおりました。剣山城に居を構え、その勢力は
東へ東へと延びていました。新居(にい」郡の石川氏は高峠城にあって
二代勢力は互いにぶつかり合いしばしば不和、闘争に及んでいました。
郡堺(ぐんざかい)における領民同士の争いが原因となる両氏の
大きな戦いが、二度ほど記録されています。石川氏は黒川氏を牽制すべき
地を捜し求め、氷見尾土居(ひみおどい)に格好の場を見つけてここに
高尾城を構築し、有利な条件で和睦を結ぶことに成功しました。
高尾城が出来てからは、高峠城城主石川伊予守(いよのかみ」の家臣
である石川源田夫(げんだゆう)が、高尾城の城主として居城することと
なりました。源太夫(げんだゆう」は頭脳明唽(ずのうめいせき」で文武
両道に優れた実力者でありましたが、やがて高峠城勢に恐れられ
妬(ねた)まれるようになり、我儘や奢(おご)りによる陰謀の心ありと誘いだされて
騙し討(う)ちにあいます。場所は伊曽乃神社(いそのじんじゃ)南東の
木挽原(こびきはら)が選ばれました。
遺構は掘り切りが4条、曲輪が前方に4ヶ本丸の奥に1ヶあるようでした。
そのほかには、遺構は見つかりませんんでした。
所在地 愛媛県西条市氷見尾土居
車で国道11号線を松山市~川内町~桜三里~へと走り小松IC入り口から
約5km走ると下写真交差点につきます。そこを右に入ります。
左に四国車体、右側はスーパーです、
ここから約500m進むと右へ進みます。直進すると右側に神社(行きすぎです。)
数百m走るとトの交差点があります、そこを右に入ります。
その先、右側に神社あり(行きすぎです)
先交差点(信号なし)左に曲がります。
さらに数百m進むと高速道路が見えます。その下を通過すると到着です。
登り口標柱のところが、登り口です。橋を渡ります。
道跡がありますので、当分道は、分かりやすく登れます。
先ほどの高速道路です。
西条市氷見町が見えます。
しばらく登っていくと案内板標(古い)のでどちらか少し考えて左に進みます。
正解かな?
ヤバッ(; ̄◇ ̄)
赤い印がありました。('ー^*) オッケ!!
掘り切りらしい遺構が見えてきました
掘り切り発見(1)
掘り切り(2)
掘り切り(3)
掘り切り(4)
掘り切り(5)
到着のようです?
本丸と思われます。
奥に曲輪らしい跡が2箇所ありました。
本丸からの瀬戸内海の遠望、西条市(丹原、小松、東予」、新居浜市など
見えます。本日は霧がかかっており、眺めがいまひとつですが、晴天で
運よく当たれば、すばらしい眺望が期待できます。
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