城主 :大野直之
築城者 :大野上総介直之
築城年 :戦国時代(1467~1590年頃)
標高 :200m(比高/130m)
形態 :山城
築城期は確定していないものの、大洲城の支城として戦国期(1467~1590年頃)
大野直之が築城したと言われてる。大野氏は久万高原町の大除(おおよけ)城主
大野道直の六男とも言われてる。伊予大野氏の名が出てくるのは
南北朝期(1336~1392年頃)1368年、丹波、丹波守護であった仁木義ヲ(よしただ)が
武家方(幕府)として伊予に入ったとき南朝方として仁木義ヲ(よしたか)と戦ったのが、
大野氏や吉岡、森山と言われてる。しかし、この戦いで大野氏らは、敗れる。
大野直之については、戦国期における下克上のもっとも殺伐とした時代を、代表するような、
残忍、冷酷な首領であった。
伊予での戦いの場所は、現在の内子町東部小田川周辺部であったと言われているため
久万高原町地域を本拠としたのはその後と思われる。下って室町期(1336~1573年)
にいたると、大野氏は、隣接して支配していた森山氏と共に細川氏と仲間になり
伊予河野氏と対立していた。
遺構は,郭、空堀、石ずみなど、見る事ができた。
所在地 :愛媛県大洲市菅田町菅田
高速道路内子ICを降りて左に曲が直進します。
約100mくらい進むと斜め左へ進み信号を左に(五十崎町方面)進みます。
しばらく進むと信号を左(橋)わたり右に進むと内子町市役所があります。
次にその先の交差点を右に(橋)をわたりそれから左(R229号線)になります。
しばらく道なりに走ります。
左の店から約10分~20分走ると橋と信号のところに到着します。
この信号を大洲方面へ走ります.約7.3km走ると菅田町商店街入り口につきます。
菅田町商店街入り口です。
少し先を右に曲がります。
泉徳寺方面へ坂を走ります。
泉徳寺へお願いすれば、駐車できると思います。
今回は、寺の下の空き地に無断駐車しました。
ここから登山口までが、分かりぬくいので、写真どうりには自信ありません。
出来れば、民家がありますので、尋ねてください。
駐車した所から歩きます。ここから数百m戻ります。
ここの民家の方がおられましたので、訪ねると、この先の谷川に沿って登れば
尾根に着きます。尾根に着いたら、右に尾根を歩きます。
右側が谷川です。ここからが少しきついかな(*'へ'*) ンー
険しい道になりそうだ~
(;◎_◎)ノ ヤバヤバ この先簸、想像できません、とにかく尾根まで。。。。
まだ今のところ道らしい、いまのところ安心!
谷川から離れていきます、目印を付けなくちゃ
もう少しで、尾根かな?
尾根に到着 ヤレヤレヽ(~~~ )ノ
城の周りが見えてきた 石積みだヤッター!(^.^)>
郭の周辺は急な崖になっておるので、持参のロープを使って降ります。
下山途中、目印が分からず迷いました。仕方なく尾根からは、まっすぐ下に降りれば何とかなる
だろと思い、山を降りました。着いたところは、朝、登ったと所とは、あまり離れたところではありま
せんでした。の人に尋ねると、登山口も2~3ヶ所あり、また、登山口までが道が狭いのと、
入り口がたくさんあるので地元の人に尋ねれば、教えてくれるそうでした。
それでは、菅田城の城主(大野直之)の墓があります。現在大野直之の家系に
ある人(大野さん)が管理されてるそうです。日を改めて家を訪ね、話が聞ければと
、思っています。では、大野直之の墓へ行きます。最初に駐車したところからの道順です。
泉徳寺までいきます。
泉徳寺とは関係ないそうですが、住職様に許可を得てここに駐車します。
矢印の方に坂を歩きます。泉徳寺の墓を通ります。
ここが、大野直之の墓です
イソヒヨドリが無事お帰りとささやいてくれています♪~( ̄。 ̄)
久しぶりにお伺いしましたらあちこちの山城を見させて頂きました
寒くなりましたので無理しないようにして下さい