城主 :久保氏、床崎氏、城戸氏
築城者 :久保高実、室町時代(1336~1573年)推測
築城年 :越智(後の河野)喜多守が平安初期(794~1185)初めて砦を築き七代目の益躬にいたる間、居城してた
標高 :170m
形態 :山城
天正の初めには、城戸直宗が居城したが、曽根宣高が土佐の長宗我部氏の援助をうけて
これを攻略した。そこで直宗は、河野氏の援兵によってこの城を奪還したるも天正五年
(1577年)七月十四日夜再び宣高の猛攻を受け落城した。宣高は客将の河内駿河守吉行
を城代として、この地域を統治させた、天正十三年(1585年)に豊臣秀吉の四国征伐にあい
曽根城主の宣高は、征討軍の小早川隆景に降伏したので龍王城もついに廃城となった。
室町時代(1336~1573年)の初期の城主は、久保高実である。地頭としてこの
地を領していた。高実は、松前城の合田弥四郎とともに、伊予の南朝方として活躍した。
戦国時代は、城戸氏が城主で曽根城主の曽根宣高(内子町)との、戦いに敗れ滅んだ。現在は、
龍王公園として、展望台があり、周辺は、四季折々の花が見えます。又、フィットネスクラブや
、温泉(冷泉)などあり、地元の人はもとより、他方からも利用されています。現在の光景では遺構は
難しい・・・・・
所在地 :愛媛県内子町五十崎
内子ICをおりて、約500~600m大洲方面に行く
約500~600m走り二つ目の信号を左(五十崎方面)へ
左に曲がるとすぐ左へ(標識あり)
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