さて、世界で最も長い国内航空路線はどこだかご存知でしょうか。
正直いろいろなポジションの海外領土を抱えている国もあり
「国内線」「国際線」の定義が曖昧なところもありますが、
一般的には
モスクワ~ペトロパブロフスクカムチャツキー(ロシア/約6800km)や
パリ~レユニオン島サンドニ(フランス/約9400km)などが挙げられます。
しかしこの国内線の定義を「出発地と最終到着地が同じ国」とすると
パリ~タヒチ島パペーテ(フランス/約15700km)が世界最長となります。
15000kmというと東京からだとペルーのリマくらい離れた距離。
パリからそんなに離れたほぼ地球の裏にフランス領の島々があるんですね。
今回はその島々、フランス領ポリネシアに注目してみたいと思います。
このフランス領ポリネシアがどこにあるかというと、
南太平洋のちょうど中央らへん、オーストラリアとパナマを結ぶ中間点あたりにあります。
ソシエテ諸島を中心に118の島々から構成されており、
面積は約4,100㎢と東京都の2倍弱、石川県や福井県とほぼ同等と
以外に広めの土地に約30万人の人々が住んでいます。
ちなみに日本の沖縄県ですと面積が約2,200㎢、人口は約150万人です。
日本では「フランス領ポリネシア」という名前よりも「タヒチ」といったほうが
わかりやすいでしょうか。リゾート地として知られています。
ではなぜこの南太平洋の島々がフランスによって領有され、
21世紀になったいまもなおフランス領として存続しているのでしょうか。
もともとこのフランス領ポリネシアはポリネシア人が住んでいた土地でした。
よりオーストラリアよりのトンガやサモアよりカヌーでポリネシア人が到達したのが6世紀頃、
まずマルケサス諸島についたポリネシア人たちは現在のフランス領ポリネシアの
各島々に広がっていき、さらにハワイ諸島へと向かったとされています。
この地にヨーロッパ人がはじめて来航したのは1595年のことで、
この時にやってきたのはフランス人ではなくスペイン人でした。
その後1606年にポルトガル人、1769年にはイギリス人がそれぞれ初来航し、
フランス人が到達したのは1786年とスペインから実に約200年も後のことでした。
このポリネシアの島々がヨーロッパの注目を集めたのは1789年のことです。
フランスが初めて到達してからわずか3年後のことですね。
当時タヒチ島にはパンノキという食用になる植物が生えており、
イギリス海軍の徴用貨物船であるバウンティ号が奴隷用の食糧として
このパンノキをカリブ海へ運ぶ任務へとついていました。
1789年、パンノキやその他の物資を満載したバウンティ号は
インド洋や喜望岬経由でカリブ海に向けて出帆します。
しかし艦長であったウィリアム・ブライの苛烈な取り扱いや
満載されたパンノキで居住空間の環境が悪かったことで船員の反乱が発生、
タヒチ島から西へ進んだトンガのフレンドリー諸島で
ブライ艦長らは救命艇でバウンティ号を追放されてしまいます。
船に残ったメンバーはその後ポリネシアの島々を点々としたあと
イギリスの海図には載っていないピトケアン島に辿り着き、
バウンティ号を解体してその島で生活を始めることになるのです。
それに対して追放されたブライ艦長らは南太平洋を彷徨い、
オーストラリア北部のトーレス海峡を通過してティモール島に漂着、
イギリスに戻りこの反乱を本国に報告します。
これに対してイギリスは戦艦を派遣して反乱メンバーを捜索しますが、
ピトケアン島は海図に載っていないばかりか船も解体されてしまっていたため
結局反乱メンバーを見つけることはできませんでした。
このバウンティ号の反乱はヨーロッパ各地でセンセーショナルに伝えられます。
当時ヨーロッパではクックが持ち帰った植物の図譜などが話題を集めており、
エキゾチックな南太平洋というものが大衆の興味を集めていました。
そこに「南太平洋で貨物船が忽然と消え失せる」という事件が飛び込んできて、
ますます関心が高まっていったのです。
そこに目をつけたのがフランスだったのです。
すでにオーストラリアなどを植民地化しているイギリスに対して
オセアニア地域への進出に遅れをとっていました。
そこでフランスは当時タヒチ島を中心に周辺の島々を支配していた
ポリネシア系のポマレ王朝に圧力をかけてタヒチ島とモーレア島を保護領化、
そして1880年にポマレ5世が主権をフランスに譲渡し、
正式にフランスの植民地となったのです。
その後フランス領ポリネシアとして両大戦を乗り切ったわけですが、
1949年には植民地から海外領土に昇格し、1957年には大幅な自治権を獲得します。
しかし1960年代に入ると、このフランス領ポリネシアを語る上で
避けては通れない歴史に直面します。
それが核実験です。
フランスは1960年に初めて核実験を成功させ、
アメリカ、ソ連、イギリスに次ぐ世界で4番目の核保有国となります。
当時フランスが核実験を行っていたのはフランス植民地であったアルジェリア南部で、
最初の核実験もこのサハラ軍実験センターで行われました。
しかし1962年のアルジェリア独立に伴いこの実験センターが使用できなくなり、
フランスは新たな核実験場の設置を模索することになります。
そんなときに白羽の矢が立ったのがフランス領ポリネシアでした。
フランス領ポリネシアではムルロア環礁やファンガタウファ環礁で核実験が行われ、
地下実験と空中実験と合わせて200回近い核実験が行われています。
この核実験に対してフランス政府は安全性を強調しており、
実験を行う際には海域封鎖を行うなど対策をとっているとしました。
しかしながら実際には多くの住民が核実験の影響を受けており、
フランス政府は2010年になってようやく核実験の健康被害を認め、
被害者への補償に向けて動き始めています。
またフランス領ポリネシアではこうした核実験への反発が独立運動へつながり、
1995年には数万人規模のデモ隊により暴動が発生します。
その後も2004年にポリネシア系として初めて行政長官となってオスカー・テマルが
フランスの支配からの脱却と独立を提唱するなど独立へ向けての動きもあります。
一方で、同じフランスの海外領土であるニューカレドニアほどの
盛り上がりはみせていないのも実情だったりします。
フランス領ポリネシアの産業はおもに観光業や黒蝶真珠の輸出がメインですが
ニューカレドニアのような地下資源には恵まれていません。
そのため現在でもフランス本国からの助成金に頼っている部分もあり、
また広域に島が点在するという国防上の観点からも
フランスという大国の傘の下にいたほうがいいのではとの意見も根強くあります。
ニューカレドニアについては具体的な独立の動きが出ている一方で、
フランス領ポリネシアについてはまだ独立への道は遠そうなのが現実です。
さて、このフランス領ポリネシアですが現在は世界的なリゾート地としても知られています。
日本からも東京からエアタヒチヌイが首府パペーテへの直行便を飛ばしており、
タヒチ島などは新婚旅行先としても人気を集めています。
実はこのタヒチ島、水上バンガロー発祥の地なんですね。
いまでこそモルディブやフィジーなどでも多数見られるこの水上バンガロー、
独立したプライベートな空間と目前に広がる青い海が魅力的です。
近年では「水上コテージ」という名称でも広く浸透していますが、
タヒチでは「水上バンガロー」または「水上ヴィラ」という表現がされています。
こういったリゾート地は主にカップルのほかシニア層やファミリー層にも人気。
ただし場所によっては子供の受け入れをしていないところもあるので、
利用する際はどんなリゾートかを吟味してから滞在場所を決めたいですね。
東京からは11時間余りで到着する南国リゾートタヒチ。
過去には植民地支配や核実験などの暗い歴史も抱えていますが、
是非青い海とおいしい魚介類やフルーツを楽しみに行ってみてもいいかもしれません。
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