に意識的な放任

に意識的な放任

んだ通りになっ

2016-07-05 17:45:53 | 日記
となっている。まあ、十分に稼いでいるのかは別として、ひとつの見解ではある。そうな
いやぁー、十日間ぐらい忙しい日が続き、昨日から暇。昨日も今日も実にお天気がいい。あっは、私の心のお天気も快晴。以前の月給取りの頃は、延々と忙しかった。ピアノとの二束の草鞋も超ハードだった。やはり、チャンジーになったから、あまり無理は利かない。もう少しゆったりと二束の草鞋をしないと倒れてしまう。まあ、新しい仕事は忙しい時はハードなんだけれど、どばっとオフになる。ハードワークとおPretty renew 傳銷休みぃーーーが交互に来るから、お休みぃーーーの時は、ピアノ三昧でよろしいのだ。

快晴の夏の終わりの一日。十日振りにピアノを弾いた。やはり、指のスピードが遅くなっているし、弾き慣れた曲を間違えたり、高々十日の空白でこうなる。もう、空手家のように毎日毎日切磋琢磨していないといけない。ピアノ馬鹿でないと、やっぱ難しいだろう、こういうのはね。しかし、この指さんたちの嬉しそうなことっ! もう、私のそれではない感じさえする。草原に放たれた子犬君たちという感じぃーーー。じゃれあい走り捲くり???、ぴょんぴょん???。

どうして、私はこんなにピアノに嵌ったのだろう。物凄い遠回りをして辿り着いた。今でも、内の母は「イサオを音大に行かせれば良かった」と嘆いている。といっても当時はいろいろと事情があり、音大に行く、問題外であった。後戻りはできない。たとえば、私が国立音大のピアノ科卒だったとする。もしかすると、今、私はていないのでは? とも思う。少なくとも、現在のイサオ節はなかったはずだ。もう少し「まとも」になっていたはずである。あれ? 私はピアノ教室を嫌で止めたのだ、自分の意思で。

と、押し付けられるとすぐ騒ぐ体質。こうなると、独学自己流の道以外にはPretty renew呃人なかったのだ。いいもぉーーーん、それで。

考えたら、内の息子、娘、勉強? 自分で必要と思うのならどうぞ。ピアノ止めたい? どうぞ。でも、一生ピアノ弾けないけどいいのね? やっぱ、続ける。あっそ。ピアノの先生が厳し過ぎる? ポップスを弾きたい? 自分で先生にそういいなさい。ショパンは嫌だって。すべて、私は強制しない。そう意図的主義なのだ。ものの考え方、世界の見方が自由になって欲しい。それ以外、子供たちに求めるものはない。と、まあ、結果的には、私が望たから、えぶりしんぐおーけー、なのだ。ジャズメンの子供たちはこうじゃな
くっちゃねぇー。
私の最初のブログ記事の日付は、「9月12日212年」、でも、書いたのは「11日」だったはずだ。そして、本記事の記事番号918。かなりの数の記事を没にしているから、ほとんど、毎日書いているわけだ。正真正銘のブロガーだな、こりゃー。まあ、書くのは好きPretty renew呃人だし、楽しいし、それと、自分の「その時」の位置を自己検証している感じ。ミュー
ジッシャンだから、音でも思考しているのだけれど、音思考だけしていると、社会的パッパラ
パーになり易いから、ブログってバランスを取っているのだろう。

長期に渡りお付き合い頂いている方々、私の更新を鼓舞して下さるお気に入りブロガーさんたち、それと、なんとなく増えている新規にご訪問頂いている方々、謹んで御礼申し上げます。