まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。

夫の誕生日です。

2022-04-15 18:54:27 | family
はははは・・・・また夫の話です。

68歳になりました。
10月までは私と10歳違いです。
私が年下よかったことに「加給年金」があります。
これは、有難いですね。

特に何もプレゼントをしてあげることはできず・・・
晩ごはんに夫の好物ばかりを作りました。
前日に筍のあく抜きをしました。
この香りを嗅ぐと本当に春が来たのだと毎年思います。

せめてケーキをと買いに行きましたが、夫が支払いました(笑)
そして、なぜか私好みのショートケーキばかりです。
ホールは食べきれないので最近はもっぱらショートケーキを
数種類買います。

さて、宴も酣ですが、
そろそろ酔っぱらって爆睡してください。
見たい番組やDVDが沢山あるので・・・・ʬʬꉂ(˃̤▿˂̤ *)

♡HappyBirthday(*˘︶˘*).。.:*♡




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先日の兄行方不明事件の続き。

2022-03-11 19:17:48 | family
会社の社長と連絡が取れなかったじゃないですかー
https://blog.goo.ne.jp/tuki-no-shizuku/e/485553e09aed19c1d600479f6db29bac
↑元のお話です。

あれは兄に聞くと知らない番号だったから出なかったじゃないか。というわけですよ。
んな、アホな。とおもったけど、まーいいや。
どちらかと言うと私は社長よりも社長の奥さんと連絡が取れるようになりたい。
女性同士なので。

兄の会社の社長の奥さん。
今まで二度しか会っていないけど、気さくな感じのお方のようですが、
兄は全く会社での出来事を話さないから、本当のところはよくわからない。

兄が会社に入った当時は亡くなった先代が社長で、
現社長は大学を卒業してすぐの頃だった。
そして、数年後に結婚したから、兄のことをお嫁に来たときから見てる。
年齢は兄よりも下で、私と同じ年くらい?
情報はこれだけ。

二度目にあったときは、母の葬儀の時で涙ぐみながら
「お兄さんをささえてあげてくださいね、お願いします。」と私に仰った。
あー、ずっとお兄ちゃんを見てきてくれてた方なんだなーと思った。

私は兄が他人様とどんな風にかかわりを持っているか分からないから
不安だった。頑固で協調性がないんだろうなーと思って、
融通がきかないことで迷惑を掛けているのではないかと心配だった。
だから、そんな風に言ってくれる人に私は感謝の気持ちでいっぱい。

で、話が前後しますが、兄に「私は奥さんの方が話やすいから、緊急連絡先と
して、奥さんの電話番号を知りたいし、私のも登録してもらいたい」と言って
教えてもらった。でもね、普通はさ、奥さんにお兄ちゃんが私の電話番号を渡して
「これ、妹が登録してほしいっていうとったけぇ」で済むよね?
そうならないのよー。
私に、奥さんの電話番号を教えて自分で掛けろっていうのよ。

えーーーーーー、
なんか、社長の奥さんっていうだけで緊張するーーーーー(;^ω^)
同い年ぐらいなのに・・・

勇気を出して電話をかけました。
すると、お兄ちゃんのことを滅茶苦茶に褒めてくれるわけです。

「真面目で丁寧な仕事で、ほかの社員もみんな頼っている。
長男がいま一緒に現場にいってて、教えてもらっている。
休みの日にも会社に来てもらって教えてくれているようで、
三男もこの春から入るから、お兄さんには申し訳ないんだけど、
また迷惑をかけます。お兄さん全然変わらない。ハンサムだし、優しいし、
無くてはならない、本当に感謝してます」と。

ありゃー、それは本当のことですか?
話半分、いや三分の一くらいにしておこう。四分の一?
ハンサムだって・・・(笑) 今ごろクシャミ連発だわ。

私は嬉しくなって、うるうる。
「母が聞いたら、きっと泣くと思います、人と付き合えない性格と心配していましたから。」というと
「もっと早くに話をしていたらお母さんに伝えることができたのに・・・」と奥さん。

身内に対するお褒めの言葉はとても嬉しい、素直に。


で、結果、先日お兄ちゃんが電話に出ずにバタバタは、
車をいじっていたのではなく、仕事を長男さんに教えていたそうな。

言えよーーーー兄ちゃん(笑)
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不安に駆られるデキゴト

2022-03-06 13:45:09 | family
昨日、夕方から兄と連絡が取れなくなって・・・
最初4時頃に電話をしたら留守電になった。
普段なら折り返しの電話があるのにない。
7時頃に再度電話をしたけど、また留守電。
折り返しがない。おかしい。
再びかける、出ない。
最初は寝てるのかなと思ったけど、これまでは電話の着信で起きた。
かける。でない。
こんなことはない。
もう、こうなってくると部屋で倒れているのかもと思う。
急いで実家に行ってみると車がない。
部屋に上がる。いない。

今日は休み。
午前中に散髪に行くと言っていた。
兄は、休みの日でも会社に行ってガレージで車の
メンテナンスなどをする。
なので、会社にいる可能性が高い。
きっといる。

この間も何度も電話をするけど出ない。
会社の社長の名刺を母の葬儀の時にもらった。
財布にいれておいたはずだ。携帯の番号もあったはず、
会社と自宅は近いと聞いていた。
社長に見てきていただこう、倒れているかもしれない・・・
社長に電話する。
出ない・・・・

夫に電話すると会社に行ってみろと言われた。
タクシーに乗るが兄の会社のはっきりとした場所が分からない。
以前昼間に一度行ったきりだった。また、入りくんで分かり難い場所
ナビに住所を入力してもらい近所までとにかく行ってもらおうとするが
運転手さんが年配でナビを熟知していないので事にならない、
苛々しているところに、聞き覚えのある着信音

お兄ちゃんだ!

「もう!!なんしょーるね!なんで電話に出んのん?
なにかあったんかとおもって、タクシーで会社にいくところなんよ!」

我慢していた涙が溢れる。

運転手さんに、降りることを告げた。
実車にしていないから要らないと言われたがお金を渡した。

聞くと、朝、散髪に行ったときにマナーモードにしてそのままだった。
バタバタしてスマホを見ていなかった。
といった。兄は少し発達障害がある。

なんで、散髪屋さんに気を遣う?変なヤツ・・・。


兄だってもう若くはない。
血圧だって高い。
夫の妹の旦那さんも突然倒れて植物人間状態になった
おじいちゃんも長生きじゃなかった。
お父ちゃんも。
コロナ禍、ロシア問題。

独りにしないで!まだいやだ!
私の心の不安は限界だった。

とにかく何もなくて良かった。本当に良かった。

実家の母の写真に
「寂しくてもまだ呼んだらいけん、お兄ちゃんも私も。頼むよー」
と言った。
「何事もありませんでした、有難う」
と言わないのが私らしいと思った。ごめん。
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裁縫

2022-03-03 16:55:10 | family
兄が「作業着のズボンが破れた。膝のところが1cmくらい切れた。
裁縫箱に似た色の糸があるかいの~」と聞くので、
「分からん、お母ちゃんが買っていたらあると思う」と答えた。
自分でどうにかするつもりなのかな?
「持ってきんさい、直せたら直すよ」
簡単に考えていた。ピッと切れただけならコの字で閉じればよい。

針をさす。
あれれ??
針を刺すたびに生地がほどけていく。
ん?穴がどんどん大きくなる・・・
駄目だ、できない~( ノД`)シクシク…
ほどけるというか、崩れるというか・・・なんか変な生地・・・

作戦変更で、なんというか刺繍のサテンステッチみたいな縫い方をしたけど・・・
なんだか少しポッチャリした毛虫のような・・・(笑)
しかも生地がつれてしまった・・・

最悪だわ・・・

ミシンがあれば、下に布あてて、いったりきたり縫い(笑)でよいのだろうけど・・・
うちにはミシンはない。
やっぱりミシンあったほうが良い気がするなー
6年前に安いミシンをネットで買ったら不良品で、面倒くさいので処分した。
店頭で買えば見に来てもらうとか持って行くとかできたのだろうけど。

とりあえず、兄に見せる。
優しい兄は「えーよえーよ、大丈夫。」と持って帰ってくれたが・・・
膝坊主のところなので、座るときに裏側の糸のゴロゴロが気になるかも・・・


ふと思い出した。


兄は高校の時に苛めにあっていた。
ある日、制服を引っ張られて袖の部分?が破れた
それを自分で直していた。
兄は母に、自分が虐めにあっていることを話せず、
仕事で忙しい母に直してくれとも言えず、
一生懸命下手くそに縫っていた。
母は、制服を見て泣いた。
兄に不憫な思いをさせたと泣きながら直していた。

母は、何年経っても「お兄ちゃんが高校の時にね・・・」
と話していた。

三人で力を合わせて生きてきた。
だから、私は母が好きだし兄が好きなのだ。


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さよならとこんにちわ

2021-09-07 01:46:00 | family
バイク買った。
正確には買ってもらった。

多分、15年くらい乗ったかな?地球一周しました。40000km!

暑い日も寒い日も私の足となってくれた相棒。
泣きながら運転したこともあったね(まぁまぁキケン)
2サイクルなので、馬力があり加速も良く
若いころは幾度となく信号で勝負したよね。(けっこうキケン)
メーター振り切って走ったね、多分下りは65はでてたよね。(はんぱなくキケン)
もう本当にボロボロで・・・今回の不具合はエンジン系じゃないから
まだ、いけそうなんだけど、いついきなり壊れて止まっても不思議じゃないって・・・
「I LOVE TOM」とステッカーを作ってもらい貼っていた。(笑)
なので、ご近所には私のバイクだと一目瞭然だった。
何度もタイヤ交換し、シートも2回張り替えて、ディスクブレーキ交換も
バックミラーは2度取られた。スターターも壊されて、
長距離走ると煙幕だらけで、人の迷惑で地球にも優しくない。
マフラーも錆びだらけになってしまい
ちょっと恥ずかしいくらいのビジュアルだったけど
それでも大好きな原チャリでした。

お世話になりました。どうもありがとう。


最初は10万くらいの中古でもいいかと思ったけど
夫が新車にしたら。というので甘えた。
お兄ちゃんに「いくらかカンパして」というと
「なんぼでもええよーいるだけ取りんさい」と言ってくれたので
思わず20万全額もらってネコババしようと思ったけど(笑)
バチがあたりそうなので、オプション代だけもらうことにした。
ってこれまで7台くらい乗り換えてるけど、ほぼお兄ちゃんに
買ってもらってる。あらら・・・100万くらい使わせてるじゃん!
だっていつも母が、「あんた、都にバイク買ってやりんさい」
ってお兄ちゃんに言ってくれて・・・
わたしがいつもビンボーだから気に掛けてくれて・・・
みなさんのお陰です。有難うございます。
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CDダンボールから救出

2021-05-03 12:40:44 | family
実家のリフォームが済んで仮住まいから戻ったのが2018年のことだった。
兄の荷物はCDと車関係の本がてんこ盛り。
ダンボールの数が服よりも多かったのではないかと言うくらい。
いつか本棚を買って箱から出すということで本棚を買ったのが
今年の1月の終わり。時間がなくて組み立てられずに放置すること三か月。
連休となって昨日早速組み立てていた。
夕方行くと、綺麗に整理されていた。
部屋の隅にあった、たくさんのダンボールも無くなりすっきり。
でも・・・隣の部屋には母の衣類とココのベッドやトイレやゲージや
まだダンボールに入って、たくさん積み上げられている。

少し整理しよう・・・
ヤル気の神様がちょっと降りてきた。

ココの沢山の洋服。ちゃんと洗ってあるのにほのかに匂いがある。
泣くかも・・・・思った瞬間に涙だ・・・
新しい物なら人様にあげることもできるが・・・処分した。

母の洋服。
実家にあるものは母が元気だったころのもので
私の見覚えのないものが多い。
だからなのか不思議とわりと冷静に整理ができた。
それと違い私の家にある母の衣類は、介護が始まってからものだから
思い入れがあってとても整理ができない・・・

暇になった兄は古い書類などをシュレッダーにかけていた。
古い古いローン返済の用紙。
兄の車の購入時のものだ。
40年以上前かな?
少ない給料しかも家にも入れていた。お金がないのだ。
安い中古の車。それでもピカピカにしていたな。
ずっとずっと何台も中古車で・・・
自分の好きな車を新車で買うのが夢だったのだろう。
だから、大事に大事にするのだろう。
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報われた瞬間

2021-04-28 02:43:30 | family
以前にも書いたけど、
毎日、兄に仕事帰りにうちに寄ってもらい晩御飯のおかずを渡す。
今のところへ越してからだから5・6年になるだろうか?
早い日で7時半頃。大体は8時半頃。だけど9時過ぎることもある。
そして、年度末は11時過ぎることもある。時間が読めない。
とにかくまちまちなので、私の晩御飯ものんびり食べることはできない。
困ったことに、にーちゃんが大体の時間をあらかじめ言わない。
現場から帰って、色々とやることがあるんだろうけど・・・
だから、おなかの空いていない7時半までに食べるか、
それを逃すと9時過ぎになる。
会社から出る前に「今から帰ります」コールがあってそれから15分後に着く。
着いたら「着きました」コールがある。
ダッシュで3階から降りる。本日のメニューを口頭で伝え
「何か問題は起きていないか?」と聞き、
「お疲れさん、はよ帰って、はよご飯食べて、はよ寝んさい。
台所の椅子で寝んのよ。はよお風呂にはいりんさい。」
毎日同じことを言っている。笑
そして、兄の車が左に曲がり見えなくなるまで見送る。
ボーボーいわせて車が消えてゆく。

認知症になる前の元気な頃に母が言った。
「私が死んだら、あんた離婚して帰ってきてお兄ちゃんの面倒を見てよ。頼むよ。」
普通に考えて、そんなことを言う母親がどこにいるんだ。と思うが
それほど、母は兄を心配していた。
心配せんでいいよ。それなりに面倒みとるけん。
洗濯は自分でしてる。シーツ類だけ私が持って帰ってするくらい。

兄妹だし、「有難う」なんて言わなくて普通だし
私も無理をしているわけじゃないし。したくてしてる。

昨年、兄をメンタルクリニックに連れていったときに
先生から「一人暮らしは大変でしょう?」と問われたときに
「妹が助けてくれています」と言った。
へー、そう思ってくれているのね。と嬉しくなった。
ちゃんと報われているのねー。と思った瞬間だった。
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兄の礼服

2021-04-27 12:45:37 | family
兄の礼服は数年前に購入した。
これに関して不思議なことが発覚。
私は兄の礼服を兄と二人で買いに行った。と思っていた。
が、どうも違うらしい。

兄の礼服は冬物だった。その冬物というのも驚きだった。
オールシーズンの礼服を購入したと思っていた。
夫はサラリーマンだったので付き合いの幅も広く、夏冬を持っているが
兄は人づきあいがほぼ無いので分ける必要もない。なので1着でよいと。

母が亡くなったのが8月の半ば。
葬儀が終わってしばらくしたころ、「喪服が暑い、生地がごつい」という
何を言っているのかと思ったら、冬服だった。という・・・
「一緒に買いに行ったのに、なんで冬服・・・?」
「行ってないで~」
「なにゆーとん?」
「でも、行ってない」
「??」

多分、
何故なのかわからないが、私は夫と兄の礼服を買いに行った。
夫は177cm兄は173cmでウエストはだいたい同じサイズ。
兄が知り合いの葬儀に参列した時には夫の礼服を借りた。合う。
なので、夫にマネキンになってもらい、裾を少し多く上げてもらったのだろう。
冬服の謎は、たぶん夫がそうしろと言ったのだろう。
そして季節は冬だったのだろう。

なので、夏用の礼服が必要になった。
兄と買いに行かなければならないと思っていたが、
とりあえず夫と下見に行き、自分の礼服を買った。笑
私の礼服は母方の祖父が亡くなったときに購入。24歳だった。
それは若かったのでスリムなサイズ
30歳半ばまではこれで頑張れたが、父が亡くなったときにはどう考えても無理。
自分人生最大の体重だった。サイズアップで購入。
母が亡くなった。その大きな礼服を着た。
体に合ったサイズのものが欲しかった。
ネットでみると、オンラインで買えばweb割引で半額になると言う。
だけど、試着なしというわけにいかない。
ダメもとで、実店舗でも半額にならないかと聞くと「良いですよ」と
ならば。と出かけた。
夫にも見てもらい、自分の礼服を購入。 
しかし、体重の大幅な増減は、不経済だ。

さて、兄のものを下見しようとすると
夫が、「俺、礼服買う」という。
シングルのが欲しいらしい。
もうオールシーズンのもの1着で良いという。
なんでも古い礼服を1着下取りで2万引きという。
で、結果、夫の冬用を下取りに出して、夏用を兄にもらい。となった。
兄もそれで良いとなったので一件落着。

やっぱり、はっきりとは思い出せないが、
当時の心境を思うと…
母の介護が始まりそう遠くない将来にその時が来る。
兄と兄の礼服を買いに行くという行為が私にはきっと嫌なことで
母が亡くなる事は考えたくもなかったのだろう。
それでも必要なもので・・・
だから、夫に頼んだのだろうと思った。
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サクラを見ると夫を思い出す。

2021-04-07 16:16:07 | family
いや・・・・
生きていますよ・・・(笑)

実は、夫と出会ったとき夫には奥さんがいました。
といっても略奪とかじゃないですよ。
私と出会う前から別居して、全くの無関係です。

でも、どうのこうの言っても不倫ですよね。
誤解されて揉めるのもよくないので、
なかなか普通に付き合えなくて・・・

一度だけ満開の桜を見に行ったんです。
とても嬉しくて仕方なかったんです。

30年前の話です。

だから、夫と暮らすようになってからもサクラを見ると、

会いたいな。

と思っていました。

変でしょう(笑)



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ひとりの女性から母の顔へ

2021-03-18 11:16:06 | family




独身の頃の母。
母は、バーテンダーをしていました。
多分、1960年頃で、当時女性のバーテンダーは珍しい。
シェイカーを振るのが楽しかったと。
因みに、私もシェイカー振ってました。






私の母になる。
1964年、私は生後半年くらいでしょうか。


実は上と下の写真で微妙に母の顔が違うのです。
整形しました。嘘です(笑)

下の写真左眉のあたりに丸い傷跡があります。
父と母は付き合っているときに車で事故を起こしました。
助手席に乗っていた母は砕けたフロントガラスが飛んできて
かなり顔を負傷したらしいです。
で、父と本当は結婚する気はなかったけど
こんな顔だからもうお嫁にいけない・・・と思い
父と結婚したらしいです。
でも、意外と綺麗に傷跡が治ったらしく(笑)
早まった・・・・と思ったらしいです。
娘としては複雑・・・かしら?(笑)


オマケで、従兄のおにーちゃんと
多分私は七五三の五歳かな。


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