私は、産婦人科のおじいちゃん先生。
多分、母より少し年上だから
お元気でいらしたら今、94歳くらいだろうか?
出会いは多分40年前。20歳頃だった。
膀胱炎になって、泌尿器科に行くのが恥ずかしいので
結婚した友達が通院していた婦人科を紹介してもらった。
今考えるとまだ50過ぎだったのにもうすでにおじいちゃんの風貌だった(笑)
それからガン検診を年に一度受けるように。
30代半ばで子宮内膜症になり通院するようになった。
兎に角話が好きな先生で、診察よりもお喋りばかり
私を取り上げてくれた産婦人科の先生や幼いころお世話になった小児科の先生と
仲良しだったので、なんだか身内のような気持ちでいた。
私が、内膜症になって「薬を使うと献血に行けなくなるから困る」と言うと
(当時、成分献血に毎月2回行っていた)
「せんでもいい、人ばかり助けんでもええ、自分を助けんさい」と言われた。
待合室には【ご意見箱】があって「勉強になりますのでご意見お願いします」
と書いてあった。
トイレを和式から洋式にリフォームした時にも
「座ってみんさい、お尻が温いよ、これで妊婦さんが楽になる」とか
後頭部に赤チンを付けているので、どうしたのか聞くと
「こけたんよ、赤チンつけたら大概治る」とか
マーキュロクロムが大好きな先生(笑)
途中から近所の婦人科に通うようになって足が遠のいた。
6年前頃に懐かしくて、病院の前まで行ってみると
ドアのところに1枚の紙が貼ってあり、
「私も、超後期高齢者になりましたので、そろそろ閉院します。
御用の方は、奥の自宅におりますので声をかけてください」
先生らしい文章だった。
数日して、電話すると「遊びに来なさい。わたしは暇で仕方ない」と
母の介護中で行こうと思うがなかなか自由な時間がなかった。
そして、コロナ・・・
お元気であってほしい。
私も暇になりました。会いに行きますよ、先生。
多分、母より少し年上だから
お元気でいらしたら今、94歳くらいだろうか?
出会いは多分40年前。20歳頃だった。
膀胱炎になって、泌尿器科に行くのが恥ずかしいので
結婚した友達が通院していた婦人科を紹介してもらった。
今考えるとまだ50過ぎだったのにもうすでにおじいちゃんの風貌だった(笑)
それからガン検診を年に一度受けるように。
30代半ばで子宮内膜症になり通院するようになった。
兎に角話が好きな先生で、診察よりもお喋りばかり
私を取り上げてくれた産婦人科の先生や幼いころお世話になった小児科の先生と
仲良しだったので、なんだか身内のような気持ちでいた。
私が、内膜症になって「薬を使うと献血に行けなくなるから困る」と言うと
(当時、成分献血に毎月2回行っていた)
「せんでもいい、人ばかり助けんでもええ、自分を助けんさい」と言われた。
待合室には【ご意見箱】があって「勉強になりますのでご意見お願いします」
と書いてあった。
トイレを和式から洋式にリフォームした時にも
「座ってみんさい、お尻が温いよ、これで妊婦さんが楽になる」とか
後頭部に赤チンを付けているので、どうしたのか聞くと
「こけたんよ、赤チンつけたら大概治る」とか
マーキュロクロムが大好きな先生(笑)
途中から近所の婦人科に通うようになって足が遠のいた。
6年前頃に懐かしくて、病院の前まで行ってみると
ドアのところに1枚の紙が貼ってあり、
「私も、超後期高齢者になりましたので、そろそろ閉院します。
御用の方は、奥の自宅におりますので声をかけてください」
先生らしい文章だった。
数日して、電話すると「遊びに来なさい。わたしは暇で仕方ない」と
母の介護中で行こうと思うがなかなか自由な時間がなかった。
そして、コロナ・・・
お元気であってほしい。
私も暇になりました。会いに行きますよ、先生。