昨年8月にしな鉄まつりin黒姫が開催されました。
転車台の見学会も実施するとのことでしたので参加してみました。
以前に訪問した転車台訪問も合わせてご参照ください。
北陸新幹線で長野まで移動し、しなの鉄道北しなの線のフリー切符を利用しました。
この時は北陸新幹線が台風で大打撃を受けるとは夢にも思いませんでしたね。
転車台ツアーの主催は古間駅・黒姫駅ファン倶楽部の皆様です。
この転車台の製造年は1911年(明治44年)とのことですが、黒姫に設置されたのは1935年(昭和10年)だそうです。つまり製造されてから24年間はどこか他の場所で使用されていた可能性が高いとか。
桁の両脇に広がる骨組は豪雪地帯ならではの装備で、冬場は天板を敷いてピット内の積雪を防いでいたそうです。県内だと飯山の転車台がそうでしたが、北陸新幹線の開業に伴う駅の移転工事で撤去されてしまいました。(骨組はそれ以前に撤去されています)
ファン倶楽部ではクラウドファンディングなどでこの転車台の活路を考えているそうですが、冬場の管理等、恒久的な維持は難しい…というお話を伺いました。確かに一度復活してもそのまま放置ではすぐに元の状態に戻ってしまいますからね。機械は人がいないと生きていけません…
SLによる最後の使用実績は1971年(昭和46年)夏に運行されたファミリーD51号 。(D51 2)
同機はこの営業運転を最後に廃車され、弁天町の交通科学博物館に展示されていましたが、同館の閉館に伴い現在は津山まなびの鉄道館で余生を送っています。
当時としては貴重なカラー写真ですね。骨組と垂直に補強の角材が設置されています。
転車台が最後に使用された実績は1987年に運行されたEF55ファミリー号です。(EF55 1)
このEF55 1は同年の民営化に先立ち1986年に車籍が復活したばかりでした。
2009年に引退し、2015年からは鉄道博物館に展示されています。
転車台には架線が張られていませんので入換動車か後補機のEF64を使用して載せたと思われます。
この時既にD51の写真にあった骨組の上の角材が無くなり、牽引車は不調なのか手押しで回していたことが分かります。
説明を受けた後はピットの周りを散策。普段は立ち入れない場所なのでしっかり目に焼き付けておきます。牽引車は新潟鐵工所製ですが製造年は不明でした。
モーターハウジングがラウンドタイプの牽引車もだいぶ貴重になってきました。
豊岡の転車台もいつの間にか新型に代わってしまいました…
接続線の枕木には位置ズレ防止用の繋ぎとしてラックレールが使用されていました。
信越本線と言えばアプト式ラックレール。何かと縁があるものですね。
長らく固定されていた名残でしょうか、桁と地上側のレールに継目板用と思われる穴が開いています。津軽中里の転車台も復活するまでは固定していました。
施錠レバー台はトタン製。手動用テコは持ち手が失われています。
転車台の先の線路には夜間停泊用の車庫があったそうです。
夜に到着したSLはここで一晩を明かし、翌朝の運行に当たっていたのでしょう
これらはしなの鉄道や信越本線の歴史を語るうえで外すことのできない遺構です。
むしろその土地の歴史の一つと言っても過言ではないと思います。
クリックお願いします
↓ ↓ ↓