前にもブログで紹介しました仙酔峡の供養塔の話です。
深山キリシマのある頂きは数か所ありますが、阿蘇高岳の鷲ヶ峰と呼ばれる岩場の登山路を見上げられるのはこの場所です。
そこは高岳で短い命を散らせた若い方々を供養する供養塔が数多くたてられています。
石の仏や地蔵たちはみな同じ方角を見つめています。
物言わぬ仏たちですが、家族や友人たちの思いを代行しているのですね。
多くの石仏が熊本地震で壊れたのでしょう、新しく作り変えられていました。
私が中学生の時、先輩の男子学生が19歳くらいだったと思いますが、冬の高岳で遭難し行方不明になりました。彼の母である近所のおばさんは、一月ほど高岳に毎日探しに行ったと町のうわさで知りました。3か月後に彼は遺体で見つかったのでした。そのおばさんの家もいまでは町にありません。一人息子を亡くした母の気持ちを思って、石仏に手を合わせ山を下りました。