庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

2018年5月5日  俵山にハイキング

2018年06月22日 | 俵山


2018年5月5日 快晴 

俵山ハイキング

11時「萌の里」で弁当を買い 駐車場横の登山道を上り始める。

5分ほど登ると


駐車場は下方になり 熊本平野が見渡せる


前方の風景  なだらかそうに見えるが急坂である

左は北に当たる  鞍岳が見える


右は南に当たる  一ノ峰が見える


春リンドウの花が咲いていた


2年前の地震で山には多くの亀裂ができた

登山道は尾根伝いの道である 

山の石は激しく揺れ  地面との間に多くの隙間を作った


2年たっているが亀裂は登山道からでも見つけられる


草の間に数カ所の亀裂が見える



地面が水面のように揺れたのか

草原に波紋のような亀裂が残っていた


俵山は頂上まで草地だった  私が子供のころは

私が杉の植樹に気が付いたのは40数年前    

それより以前は、というより西原村の山はどこも草原だった
  

大きく崩れた山肌  あの頃植樹された杉 火山灰の山肌を滑ったのだ





ここからは有明海も見える  ぼんやりと雲仙普賢岳が金峰山の向こうに

視界の良い時は普賢岳がくっきり黒々と浮かんでいる



帰りの道  牧場の中を歩くことになる


地震の時も地震後も赤牛は放牧されている

東風の谷(こちのたに)と呼ばれる湧水が牧場の上にある  地震で配水管が壊れた

牧場主は牛の飲み水を 毎日 下から運んでいた



ここは水無川である  この岩の100メートルくらい上に山の神の岩がある
この二つの大岩がまるで神殿の門に見える  丸い河原石を敷き詰めた川底がまっすぐに山の神に届く

前を通る時に わずかな冷気を感じる  真っ暗な神殿の道をじっとのぞくが  長居はおことわり


もとの「萌えの里」の駐車場に帰って来たのは午後3時になっていた。

行きは急な登り  帰りは長い下り坂 

半日コースのハイキングだった

6月の萌の里   本格的な梅雨はこれから

2017年06月15日 | 俵山

「萌の里」の裏の芝の斜面から「萌の里」を望みました。

奥に見えるのは高遊原台地の稜線です。

断層によってつくられた崖線で熊本市内にまっすぐに伸びています。

西原村は熊本市と阿蘇山の間にあります。

熊本市のビルの屋上から見ると、西原の俵山は東にくっきりと見えます。

9時30分に開店ですが、今は9時です。

朝の光に包まれた休憩所。見た目よりも、はるかにさわやかですよ。

裏の芝生の斜面を上ってみますと。

草原に続きます。

牧草地は草が刈られた後です。

牧草地の境に「キジ」がいますが、わかりますか?

我が家の庭には今年になって狸が数回来ました。

私と1,2秒ほど見つめ会いますが逃げてしまいます。

イノシシは連休前まで毎夜来ていました。

草を倒して歩いた後と、鼻先で落ち葉の下のミミズを探した跡がありました。

キツネも早朝に吠いています。

カッコウが鳴くと、静けさが染み渡る気がしますよ。

「萌の里」には山羊がいます。

どの生き物にとっても梅雨は嫌な季節でしょうね。

大雨にならないことを願っています。


瓦礫はどこに   一次的な集積所

2017年06月08日 | 俵山

地震から一年

西原村は変わりなく見える。

高遊原のあたりから俵山、冠岳に向かって右側の風景。

 

上の写真は一番高いところが冠岳。

手前に一ノ峰と二ノ峰が見えます。

俵山。冠岳の左にあります。

山には多くの亀裂が見られる。

左側の低くなっているところが阿蘇の内側に入る立野口。

風車が並んでいます。

阿蘇の入口は一年中強風が吹くため風車が建てられたのでした。

羽が残っている風車は2機しかありません。

地震で壊れたのです。

村の家屋の多くが倒壊しました。

瓦礫はどこに行ったのでしょう。

西原村の全体が見渡される高遊原台地の中ほどに集積所があります。

「グランド」と呼ばれるスポーツ広場です。村のレクレーションが行われていました。

一次的にここに集め、細かく砕いて本格的な処理所に運んでいます。

家庭から割れ物特にガラスを出す時には、細かく砕いて出さなければならず大変でした。

といっても私には手に負えず、若い甥が手伝ってくれたのでした。

 

来年の3月までは解体処理ができると聞いています。

ここが元のグランドに戻る日を待ちましょう。

 

杉山が切られています。

元の草原に戻すのでしょうか、また杉を植えるのでしょうか。

今、西原村は変わり目を迎えています。

この100年間に何度も来た節目がまた来ました。

人も生活もたたずまいも少しづつ変わるのでしょうね。

私も「節目」「変化」の境目を見てきた昔の村人の気持ちが少しは分かるのでしょうか。

 

 

 


萌の里、再開から2か月  ポピーの花も咲いています。

2017年05月15日 | 俵山

俵山高原にある「萌の里」

地震前は「ポピー祭り」をやっていました。

今年は例年の半分以下の広さですが、花畑はあります。

店舗から橋を渡って、ポピー畑に行きます。

川は地震で多少壊れていました。

川べりの白とピンクのウツギの花が可愛いですよ。

 

連休は大勢のひとが訪れていました。

しばらくはポピーが見られますよ。


だいぎりの花   山の花木ですが

2017年05月04日 | 俵山

しゃがの花が見頃です。

むろんどんなに美しく咲いても見るのは私だけですが。

「誰も見てくれないからもったいないわ」と、母から電話がかかってきた時、

「なんでもそんなものよ」  私は答えていました。

一人でも見る人があれば、素敵なことだから。

春になり、母が育てた花が一つ、二つ咲くと、このごろは胸がつんと痛みます。

 

だいぎりは山の花。

この花が咲くのを待つなんて。

この山道に咲いているのも、私は最近まで知らなかったのに。

短い花の時期に目にとめた人がいたのでしょうか。

今年は忘れずに見ました。

花が終わると、どれがだいぎりの木なのか見つけられなくなります。

山の花木は緑に埋もれてしまいます。

純白で華やかさのあるだいぎり。

この時期に山に入ったら探してみては如何でしょうか。

 


俵山の放牧  昔の農業の形を残している

2017年05月02日 | 俵山

阿蘇地方の草原は古くから農業にとっても大切な資源でした。

昔はどの家にも牛や馬がいました。農耕に使われていたのです。

夏の間は草原に放牧されていました。

現在も一部残っています。

雨が降ると牛も寂しくなるのか「モーモー」と悲しそうに泣いていました。

遠くの山から聞こえたものです。

牛たちは人里に一番近い場所まで山の上から下りて飼い主を待つこともありました。

 

牛がいます。昔は赤牛でしたが、現在は黒牛。

農家の方は毎朝夕牛の世話に牧場まで行きます。

地震の時は水場が壊れたので、毎日水を運んでいました。

そんなある日、農家の方の軽トラックが溝にはまって動けなくなり大変なこともありました。

牧草地数か所を移動しながら放牧をします。

何事も簡単ではないのですね、

牧場には柵があるので牛が逃げ出すことはありません。

草原はすっかり草に覆われました。

 

山歩きをしている多くの人を見かけました。

多分、カキランやオキナグサを見つけたことでしょう。

 

 

 


俵山の風車   今の風景

2017年04月22日 | 俵山

風車の羽は修理中です。羽は取り外されています。

二機だけ動いています。

修理に時間がかかるのでしょう。

先日トンネルを抜けて南阿蘇に入り、二重峠に行きました。

二重峠から見た阿蘇の五岳。

阿蘇というのはいわば地域の名前。

阿蘇地方の山が阿蘇山です。

二重峠と俵山は立野の谷を挟んで南北にあります。

こちらは二重峠の風車。動いていました。

 

風車が出来た時はなじめませんでしたが、壊れると寂しいものです。

再び風車の回る姿を待つ今日この頃です。


草原の芽吹き   今なら歩けます。

2017年04月20日 | 俵山

野焼きからひと月半。

蕨を摘むには良い頃です。

草が深くなると足元が危なくて、道以外は歩けません。

草原は草の根が長い年月重なり合って分厚い絨毯のようになっています。

火山灰の土をシートが覆った状態です。

草の下はさらさらの崩れやすい土。

ゼンマイ。摘んで帰りました。ゆでて天日干しにしました。

アザミ

キジムシロ

地震後こんな観測機が置かれています。今年になって作られました。

雉が毎朝鳴きます。今年も子育てすることでしょう。


4月肌寒い春   庭の木が遅れて花を付けました。

2017年04月06日 | 俵山

レンギョウが咲くと庭が明るくなります。

横に黒のネコヤナギがありますが。

花の時期がずれて二つの色を同時に眺められなかったのは残念。

桜も咲いた。

白のコブシも咲いた。

赤のモクレン。紫の大きな花弁は咲いても散ってもきれい。

八重先のコブシ。

ミズキとしろのミツマタ。

山桜桃梅(ユスラウメ)は母の気に入りでした。

かわいい実がなります。

あっさり味の実も母が好んでいました。

庭のすみれも咲きましたが、カメラが花の色を写せないのでブログに載せられません。

どの花も青い花になってしまいます。

とても残念です。


野焼きから10日   山に登ってみました。

2017年03月16日 | 俵山

今日は快晴。風もなし。

野焼きから10日。まだ山肌は黒いまま。

真下に大切畑のダムが見えます。水が抜けて乾いています。

遠くに大津の町が見えています。

手前は大切畑と小園。

井出口と宮山がみえます。

焼けた草原にはあざみの新芽がありました。

歩くのはあと15日ほど後がよいでしょう。

 


村を支える水   塩井社

2017年03月14日 | 俵山

西原村の旧集落は湧水が生活の中心だった。

湧水を集落の人たちは昔から大切にしてきた。

塩井社もその一つ。

小さな社が立っている。

老人会の人が毎日管理をしている。

湧水を汲みに遠くから人が集まるようになり、今は取水口が付けられている。

駐車場も数年前に作られた。

ここの水は近くの大切畑集落の水道に使用されていた。

また山西小学校の水道水も塩井社の水であった。

祭りをしたのであろう祭壇用の石が残っている。

この周りの水底には古い土器のかけらを現在でも拾うことができる。

我が家の息子たちもここでかなりの土器のかけらを拾っていた。

昔の悪童たちは石包丁や石刀を拾ったと自慢をしていたと聞いている。

地震の影響はここにもある。

水ででなくなった湧水もあるので、塩井社の豊かな水に感謝する春である。

 

 

 

 


俵山トンネル   西原村から南阿蘇へ

2017年03月10日 | 俵山

前回の続きです。俵山トンネルを通って南阿蘇に向かいます。

ここ萌の里のあたりから外輪山の草原が見渡せるようになります。

冬枯れの草原から、春前の野焼きの風景です。

萌の里の丸い屋根が見えます。

萌の里は3月15日に再開する予定です。営業時間は10時から16時まで。

 

道路の半分が崩落していた場所もとのように桑鶴方面への道も回復しています。

旧道(山越)が迂回路に使われています。

道のしたは復旧工事が行われていました。

俵山の名物の風車も修理中。

羽がついているのは数台です。

 

トンネルに急カーブでつないでいました。

阿蘇望の郷は雪が降っていました。

阿蘇望の郷の観光案内所には、通行止めになっている箇所を記入した道路地図が置いてありました。

4月には一心経の桜を見に来ませんか。5日ころが見ごろでしょう。


黒い山  野焼きのあとの俵山

2017年03月07日 | 俵山

野焼きの翌日

熊本市方面から見ると阿蘇の外輪山のほとんどの草原が焼かれて黒くなっていた。

一月もすれば緑に代わるのだが。

昨年の地震で崩れた山肌が痛々しい。

今年の大雨を心配している。

 

地震の亀裂にはコンクリートが塗ってあった。

白っぽい筋となって残っている。

野焼きが来年以降も続くように願う一日だった。


俵山の野焼き

2017年03月06日 | 俵山

 

3月5日の日曜日に、西原村の野焼きがありました。

阿蘇地方の多くではこの日が野焼きでした。

遠くの山々で、空に上がる煙がいくつも見えました。

西原村は俵山の麓一面を村の消防団の人達が野焼きします。

萌の里に見物の人が徐々に集まってきました。