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特別名勝「六義園」は東京都文京区本駒込にあります。
徳川綱吉の側用人であった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園したものです。
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庭の枝垂桜が有名です。 見にゆく機会がなく過ごしてきたので、今年の花見を楽しみにしていましたが
予定した散策の日はあいにくの冷たい雨でした。
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降りしきる雨の中
ボランティアガイドの方のお話を聞いて、ただただ驚き
そして この庭の作られた理由に興味が 湧いたのでした。
柳沢吉保が造った当時、ここは紀国(和歌山)の風景を現した庭でした。
吉保は庭を散策する前に 必ず和歌の神様である玉津姫神社に参拝したそうです。
和歌三神とは 住吉明神(山辺赤人) 柿本人麻呂 玉津島明神(衣通姫)ですが
この庭は玉津島明神(そとおりひめ)を祭っています。
六義園は和歌にちなんで造形された回遊式築山泉水庭園でした。
玉津姫神社は 正門からみて右手奥にありました。。
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この小高い築山の奥に社は建っていましたが 現在はありません
神社付近は吉保が築園した当時の形を失ってしまった場所だと説明されました。
社の正面までは右手の道を数十歩歩くのですが 雨でぬかるんでいるため神社跡を確認するのは断念。
玉津姫神社(そとおりひめ)の拝殿の後方には藤代坂(藤代山)があります。
参拝すれば神社と重なって藤代坂は見えていたでしょう。
藤代坂のある藤代山は、標高が35メートルあり 山手線沿線の関内では2番目に高い山だそうです。
池を掘り 土砂を積み上げて 造られた人工の藤代坂(藤代山)
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小高い藤代山
藤代坂といえば 万葉集の巻二 挽歌の最初の歌
有馬皇子が自ら死を悼んで読んだ あの歌しかありません
皇子は藤代坂で 殺害されました
六義園における玉津姫神社エリヤは衣通姫伝説をもとに作られていたそうです
衣通姫 有馬皇子 悲運の二人
有馬皇子が愛した高貴な女性は 万葉集の中で衣通姫と重ねて書かれています
吉保は二人の関係を 庭の中で語っている
もう一つ二人の関係を形にしたと思われる場所があります。
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中之島 (和歌の浦にある中の島からとられた名前)
手前の芝生は元は砂地 砂の流出を防ぐために杭を打ち芝を植えたと説明されました。
砂地は 和歌の浦と呼ばれています。
中の島には片男波と命名された場所が造られ 石の造形が美しい島となっています。
中の島には 妹山(いもやま)と背山(せのやま)が作られておりますが 間に「隔て石」がたっています。
ガイドの方に綱吉のために造ったと説明されましたが
男子ができずに苦しんだ綱吉のためとは 納得いかない説明でした。
高貴な女性は 有馬皇子を「我せこ」と呼び 藤代坂まで追っかけてきたのです。
その後の二人の運命を想像すれば 隔て石こそ 物語を伝えています。
他の和歌に関係する風景も 紀国ゆかりの地となっています。
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吉野山(紀ノ川の上流)
持統天皇が何度も行幸したところ
かっては桜が植えられていたそうですが 現在はつつじに代わっていると説明されました。
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紀ノ川の下流をイメージして作られています。
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紀ノ川の上流のイメージで作られたと説明されました。
明治になって庭園は没収され 岩崎家が買い取りました。
岩崎家の趣味が加えられて 庭は変貌していますが
柳沢吉保の和歌に寄せる並々ならぬ思いは十分に残されています。
八十八首の歌を取り上げたそうです。 吉保筆「六義園記」読みたいです。
思いがけなく 出会った柳沢吉保
彼は古今伝授を授かりました 吉保は和歌の神様(そとおりひめ)を 庭で語っていると確信します。
万葉集の柿本人麻呂 持統天皇 有馬皇子 衣通姫に興味を持っている方には
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