つぼみは下向きです。
暖かな日が2、3日続けば開くでしょう。
例年は25日には満開でした。
3日間冷たい雨が降りました。
キクザキイチゲの白い花弁が下を向いていました。
この斜面に一輪草が咲くのが楽しみです。
家の庭にも花が咲き始めています。
つぼみは下向きです。
暖かな日が2、3日続けば開くでしょう。
例年は25日には満開でした。
3日間冷たい雨が降りました。
キクザキイチゲの白い花弁が下を向いていました。
この斜面に一輪草が咲くのが楽しみです。
家の庭にも花が咲き始めています。
医王寺の観音堂。
昔のお堂はなく今は集会場と兼用になっていなす。
医王寺は湧水が豊かでいまでも日向地区の水道はここの湧水です。
各家々にきれいな水が引かれています。
この石塔は医王寺集落の出入り口にあります。
この石の前から道は二つに分かれています。見えているのは下の道。
母はこの道の言い伝えを話してくれたことがありました。
嫁に行くときには必ず上の道を通らなければいけなかったと云うこと。
下の路を行くと災いがあったそうです。(ホントの話かどうか疑問ですが)
下の道は大きな石の下を通ることになるのですが、この石が災いのもとだったようでした。
医王寺の先に昔は鉱山があったということも、母から聞いていました。
医王寺の観音堂の観音様も盗まれました。
昔は立像、今は座像と書いてありました。
由緒のある観音様だったので、母も残念そうに話していました。
白い石垣は地震で壊れた後、コンクリートで固めたもの。ここも揺れたのですね。
観音堂の横の道に大粒のミカンがたわわに下がっていました。
暖かな春の一日でした。
例年よりどの花も開花が遅れています。
その中で馬酔木の花が満開です
この庭に植えられて40年を超えた馬酔木。
花房の長い馬酔木。挿し眼で分けて10年くらいです。親木は工事の時に処分しました。
木瓜の花も次の日には咲きました。(3月19日の撮影)
梅もそろそろ終わりです。
だいぎりのつぼみ。山道にありますが枝が大きく切られていました。
今年の花は少し寂しいかも。
山道はまだまだ春遠し。
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畑は春の植え付けの最中、
畦には白花タンポポが咲いていました。
ここは井出口集落に向かう農道。
正面は一の峰と二の峯。
山沿いの旧集落は日本の野草が多くみられます。
暖かい日曜日になったので、南阿蘇に向かう道は混雑しています。
3月17日。一つ二つと高い土手に白い花。
春霞の農道でキクザキイチゲを見つけました。
花弁が菊の花に似ています。
周りの土手は昨年の地震と大雨で崩れたまま。
作物は作られていません。
今年は荒れ地になっていたので写真に撮りました。
同じ斜面に10日くらい後には5弁の一輪草が咲くのです。
今年は花が遅れきみですが楽しみです。
今日は快晴。風もなし。
野焼きから10日。まだ山肌は黒いまま。
真下に大切畑のダムが見えます。水が抜けて乾いています。
遠くに大津の町が見えています。
手前は大切畑と小園。
井出口と宮山がみえます。
焼けた草原にはあざみの新芽がありました。
歩くのはあと15日ほど後がよいでしょう。
昔から、春に山仕事を始める時に、必ず山の神さんにお神酒を挙げていました。
この医王寺の山の神さんはきれいに保たれています。
川べりの崖の上にあります。
地震でも崩れていませんでした。
急峻な階段をてすりを頼りに登って行くと、榊を備えた岩があります。
榊は最近飾られたのではないでしょうか。
ここもきれいに掃除されていました。
上から下の道を映しました。道が舗装されたのもそう昔ではありません。
道の下には木山川が流れています。
山の神さんに近寄りがたい威厳を感じるのは、私個人の感覚でしょうか。
凛とした清らかな空気を感じてしまうのです。
西原村の旧集落は湧水が生活の中心だった。
湧水を集落の人たちは昔から大切にしてきた。
塩井社もその一つ。
小さな社が立っている。
老人会の人が毎日管理をしている。
湧水を汲みに遠くから人が集まるようになり、今は取水口が付けられている。
駐車場も数年前に作られた。
ここの水は近くの大切畑集落の水道に使用されていた。
また山西小学校の水道水も塩井社の水であった。
祭りをしたのであろう祭壇用の石が残っている。
この周りの水底には古い土器のかけらを現在でも拾うことができる。
我が家の息子たちもここでかなりの土器のかけらを拾っていた。
昔の悪童たちは石包丁や石刀を拾ったと自慢をしていたと聞いている。
地震の影響はここにもある。
水ででなくなった湧水もあるので、塩井社の豊かな水に感謝する春である。
庭の木を伐りました。
地震後の後片付けと修復工事のために木の伐採が必要になったのでした。
作業用の重機が庭に入っりました。見る影もなく荒れた庭。
瓦礫にまみれている庭。
桜の木を数本伐りました。
すっかり薪に変りました。
重機で踏まれた土から水仙の球根が芽を出していました。
土が露わになると、大雨で土が流れてしまうのが心配になります。
次々に心配の種は出て来るものです。
前回の続きです。俵山トンネルを通って南阿蘇に向かいます。
ここ萌の里のあたりから外輪山の草原が見渡せるようになります。
冬枯れの草原から、春前の野焼きの風景です。
萌の里の丸い屋根が見えます。
萌の里は3月15日に再開する予定です。営業時間は10時から16時まで。
道路の半分が崩落していた場所もとのように桑鶴方面への道も回復しています。
旧道(山越)が迂回路に使われています。
道のしたは復旧工事が行われていました。
俵山の名物の風車も修理中。
羽がついているのは数台です。
トンネルに急カーブでつないでいました。
阿蘇望の郷は雪が降っていました。
阿蘇望の郷の観光案内所には、通行止めになっている箇所を記入した道路地図が置いてありました。
4月には一心経の桜を見に来ませんか。5日ころが見ごろでしょう。
昨年(2016年)の12月に俵山トンネルをとおて南阿蘇に向かう道路が復旧した。
阿蘇熊本空港から南阿蘇村に向う。
正面の山が俵山。西原村高遊地区あたり。
俵山の白い筋は地震で崩れた山肌。
地震前はまっすぐ通れた道ですが、現在は右折して迂回路に回る。
ここでさらに右折
山が削られ、谷が埋められ、新しいみちになりました。
田や畑が道にかわっている。道は5年間の借地となっている。
カーブの地点で元の道につながっている。
俵山高原に着きました。
やはり迂回路はカーブが多い。
野焼きの翌日
熊本市方面から見ると阿蘇の外輪山のほとんどの草原が焼かれて黒くなっていた。
一月もすれば緑に代わるのだが。
昨年の地震で崩れた山肌が痛々しい。
今年の大雨を心配している。
地震の亀裂にはコンクリートが塗ってあった。
白っぽい筋となって残っている。
野焼きが来年以降も続くように願う一日だった。
3月5日の日曜日に、西原村の野焼きがありました。
阿蘇地方の多くではこの日が野焼きでした。
遠くの山々で、空に上がる煙がいくつも見えました。
西原村は俵山の麓一面を村の消防団の人達が野焼きします。
萌の里に見物の人が徐々に集まってきました。
3月5日の日曜日に、西原村の野焼きがありました。
阿蘇地方の多くではこの日が野焼きでした。
遠くの山々で、空に上がる煙がいくつも見えました。
西原村は俵山の麓一面を村の消防団の人達が野焼きします。
萌の里に見物の人が徐々に集まってきました。