庭の木を伐りました。
地震後の後片付けと修復工事のために木の伐採が必要になったのでした。
作業用の重機が庭に入っりました。見る影もなく荒れた庭。
瓦礫にまみれている庭。
桜の木を数本伐りました。
すっかり薪に変りました。
重機で踏まれた土から水仙の球根が芽を出していました。
土が露わになると、大雨で土が流れてしまうのが心配になります。
次々に心配の種は出て来るものです。
庭の木を伐りました。
地震後の後片付けと修復工事のために木の伐採が必要になったのでした。
作業用の重機が庭に入っりました。見る影もなく荒れた庭。
瓦礫にまみれている庭。
桜の木を数本伐りました。
すっかり薪に変りました。
重機で踏まれた土から水仙の球根が芽を出していました。
土が露わになると、大雨で土が流れてしまうのが心配になります。
次々に心配の種は出て来るものです。
熊本城天守閣
明治10年西南戦争のときに焼失した熊本城。
昭和30年代復元された。
当時木造の巨大建築は許可がおりず、やむなくコンクリートで造った。
木造で造られていたら、地震の被害も変わっていたかもしれない。
おもてなし武将隊という案内人がいた。
熊本城には大きな門がいくつもある。
南の大手門からはいると
宇土櫓とよばれる櫓は、本丸天守閣の北隣にある。
西南戦争の火災の時、北からの強風であったため焼失を免れた。
小さなお城ならば天守閣といえるほどに立派である。
宇土櫓
建てられた時のままに今に残っている。
床板が外されて、足下の石垣を上から見ることができた。
武者返しの石垣がみごとに見えたのであった。
熊本城は2030年を目標に修復を進めるそうだ。
次はぜひ桜の満開のときに訪れてみたい。
昨年の三月末の庭の様子
我が家の庭は父と母が集めた花木と花で造られています。
父母の思い出のない植物はない、と言えるでしょう。
写真として見ると風景のすべてが小さくなりますので、
おまけにピンボケ気味な写真のおかげかな。きれいな庭みたい!
今年は庭の様子が違っていますけれど。 春には
ブログのためにデジカメを替えて、花を撮ろうと思っています。
西原村の我が家の近所の家の庭もそれぞれにきれいです。
庭が好きな方は大勢います。でも庭を訪ねたことは数家しかありません。
春には近所の庭を訪ねたいと思っています。ブログに載せられたらいいですね。
家も庭も失った集落があります。
5月18日の大切畑の集落を大切畑橋から撮りました。
どんどん解体撤去されています。土が見えている場所は解体が終了したところ。
今ではほとんどの家が消えている。
大切畑の集落から大切畑橋を見る。(5月17日)
向かいの山が崩れて橋の橋脚が押され、ズレが生じているとのことでした。
橋のつなぎ目
橋まで行ったのは5月18日の一回だけ。
立ち入り禁止になっています。
3か月ほどの地盤や地形の調査の後、
南阿蘇に抜ける道路の復旧工事と迂回路工事が始まりました。
それこそ、昼夜を問わず、急ピッチの大工事。
日曜日も、雨の日も、風の日も、朝早くから、夜は11時くらいまで。
山を削り、田畑を埋め立て、狭い道を広げ、橋を架け、12月の開通に向けて
工事は進みました。
田畑を失った人がいます。 みんなのためだと思ったでしょうか。
小さな集落の狭い狭い道は、一日に通る多くのダンプカーや工事用の重機のために
凸凹になり、さらに痛んでいきました。
道路は完成しました。
南阿蘇は近くなりました。
車は快適に走り抜けるでしょう。
4月11日の庭の片隅にヒトリシズカが咲いていました。
クサボケ
日本固有種のボケです。ボケの花は次々に咲くので、長く楽しめます。
50年くらい前には土手の隅に、この花は多くみられました。
草刈りで上部はカットされてしまうので、地面に這うように生えていました。
ほとんど踏まれながら咲く花でした。
田んぼや畑の農地整理が進んだあとは見なくなりました。
丈が高くならないので重宝な花木です。
俵山トンネルに向かう道は途中で崩れていました。
「萌の里」から100メートルくらい阿蘇方面に進んだあたり。
5月13日に見に行きました。それまでは余裕がなかったのかなあ。
なかなかここを見に行けませんでした。
どれだけ揺れたんだと改めて思う光景。
あの夜(2016,4,16)は1:56まで揺れが続いたので動けませんでした。
30分揺れてたわけです。激しい揺れとゆっくりした超周波のゆれが交互に来たのです。
その間、咽喉がカラカラになりました。たぶん血液どろどろになっていたでしょうね。
庭にクリンソウが花盛りでした。