俵山交流館 「萌の里」です。
萌の里の向かい側に鳥居があります。
ここから「おいけさん」にいきまず。
鳥居とお宮に変わりはありません。
通称「おいけさん」と呼ばれる「揺ヶ池湧水」は、大正時代に霊水としてブレイクしました。
おいけさんから万徳集落までの1㎞の道沿いに、旅館が立ち並んだ当時の絵地図が残っています。
霊水を求めて多くの人が西原村に来ていたのです。
その後、ブレイクは終息しましたが、水を汲みに訪れる人は地震の前まで続いていました。
そのおいけさんの現在。
以前はろうそくと線香は途絶えることなく、清掃も行き届いていました。
お堂の中は片づけてありましたが、ロウソクと線香はありません。
灯篭はたおれて。
霊水は枯れていました。
おいけさんの裏側の崖が地震で崩れてれています。
地中深くまで崩れたのでしょうね。
この霊水は活断層と深い関係があったのでしょうか。
おいけさんが次の軌跡を起こすことを願っています。
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