集落と集落をつなぐ道。
四方に分かれる辻は、人が集まるところでもある。
西原村万徳の辻は、まさに村の真ん中にある。
東は古賀、蔓目(かずらめ)へ。
西は新所、高遊原(たかゆばる)へ。
北は馬場、小園(おぞの)、鳥子(とりこ)へ。
南は万徳集落の中心を通り名ケ迫(みょうがさこ)、風当(かざて)へ。その先の大切畑、袴野へ。
(ブログを読んでくださる方には耳になじみのない地名ですね。)
万徳の辻は各集落につながっていた、いわば旧山西村の真ん中であった。
その辻にあるのが「種馬所 しばしょ」と呼ばれた共有地である。
牛、馬の競りが行われた場所。
今も牛馬をつなぐ策が残っている。
真ん中の道は新所に向かう西の道。道幅はほとんど昔のまんま。
道の反対側には山西小学校。
学校ができたのはここが広い空地であったからかもしれない。
小高い場所から、低くなった広場の人と牛馬の動きがよく見えるようになっている。
今は倉庫が数個あるだけの広場。
この辻に記念に残された木がある。(下の写真)
古木だがあまり大きくはない。
牛馬をつないでいた木なので胴回りが多少すり減っている。道路を拡張する時にもわざわざ残したとのことであった。
長く村の目印となっていたであろう。
「種馬所」でセリ競り市があるときには、屋台が出たようなかすかな記憶があるのだが、確かめたことはない。
小さな映画館もあって、時々上映されていたという記憶も確かめてはいない。
当時は活動写真と呼ばれたのかな。
今やどこにも当時の様子を知るための手がかりがない。
「種付けさん」や「博労さん」たちが行きかい、村人と戦々恐々のやり取りをした万徳の辻。
樫の木に聞いてみたいなあ。むかしのにぎわいの様子を。
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