庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

村人の行きかう道だった    辻の樫の木の今

2017年06月10日 | 樹木

集落と集落をつなぐ道。

四方に分かれる辻は、人が集まるところでもある。

西原村万徳の辻は、まさに村の真ん中にある。

東は古賀、蔓目(かずらめ)へ。

西は新所、高遊原(たかゆばる)へ。

北は馬場、小園(おぞの)、鳥子(とりこ)へ。

南は万徳集落の中心を通り名ケ迫(みょうがさこ)、風当(かざて)へ。その先の大切畑、袴野へ。

(ブログを読んでくださる方には耳になじみのない地名ですね。)

万徳の辻は各集落につながっていた、いわば旧山西村の真ん中であった。

 

その辻にあるのが「種馬所 しばしょ」と呼ばれた共有地である。

牛、馬の競りが行われた場所。

今も牛馬をつなぐ策が残っている。

真ん中の道は新所に向かう西の道。道幅はほとんど昔のまんま。

道の反対側には山西小学校。

学校ができたのはここが広い空地であったからかもしれない。

小高い場所から、低くなった広場の人と牛馬の動きがよく見えるようになっている。

 

今は倉庫が数個あるだけの広場。

 

この辻に記念に残された木がある。(下の写真)

古木だがあまり大きくはない。

牛馬をつないでいた木なので胴回りが多少すり減っている。道路を拡張する時にもわざわざ残したとのことであった。

長く村の目印となっていたであろう。

「種馬所」でセリ競り市があるときには、屋台が出たようなかすかな記憶があるのだが、確かめたことはない。

小さな映画館もあって、時々上映されていたという記憶も確かめてはいない。

当時は活動写真と呼ばれたのかな。

今やどこにも当時の様子を知るための手がかりがない。

「種付けさん」や「博労さん」たちが行きかい、村人と戦々恐々のやり取りをした万徳の辻。

樫の木に聞いてみたいなあ。むかしのにぎわいの様子を。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿