父親は洋画が大好きでした。
幼稚園へ行くか行かないか位だったわたしは新京極辺りの映画館によく連れられていきました。
いつも、ターザンか西部劇でした。
映画を見た帰りには三条通を通って帰るのですが
そして少し行った所のコーヒースタンドに入るのです
父親はコーヒー、わたしはジュース。
ハイカラさんだった父親はいつも世間様より少し先を行っていました。
更に少し行くと北側に蛇の目だったかブラザーだったかのミシンやさんがありました
この辺りでいつも聞こえてくるのが
♪旅~ゆけばぁ~・・・駿河の里にぃ~茶のかおりぃ~♪
母の話では広沢虎造の清水次郎長伝だそうです。
人気者だったようです。
えっ?
なんでわたしが父親と洋画上映の映画館へ???
その時は何も思いませんでしたが今考えるとお荷物代わり???
父親には祇園の芸妓をしていたお妾さんがいました。
映画を見に行くと言ってお妾さんの家へ?
母親が危険防止???の為にわたしを連れて行かせてたのだと思います。
このお妾さんとの間には男の子が生まれました。
わたしの義理の弟です。
そうそう、このお妾さんの妹だか妹芸者さんだったかは
あの頃のCMソングを歌っていたらしいです。
お醤油メーカーの歌・・・ヒガシマルだったかな?
実はわたしは父親が苦手でした
一言で言えば怖かったのです。
昔人間だから威厳がありすぎて子供心に こ・わ・い・・・😂
なんてとりとめも無い京都の昭和庶民の話でした。
こんな細かい昭和の京都話は数え切れない程ありますが・・・いずれ又😁
そうそう、ちょっと一言・・・昨日7月21日は一人と一ワンのマンション初日でした😆
おちゃこさんとこほどではないですが、昔の父親はどこの家でも怖い存在だったと思います。
昭和初期の商家の旦那さん、その見本みたいなお父さんだったんですね!(笑)
私は一番上の姉に連れられて映画を見に行っていました。私の面倒を見る口実で!(笑)
ブログを読んでいて、三条通の昔の風景が浮かんできました!古き良き時代だったんでしょうね!
昭和の昔話、続きを期待しています!(笑)
そうか、昨日で独立1周年なんですね!
そうか~、
たいていの家の父親は怖い存在?
現代の若い父親は凄く家庭的!
そこまでするか~って言うくらい😆
はい、ご期待に添いまして昭和の京都どす😁
お姉さんとは、どんな映画を見たはったんでしょうかね~?
わたしらとほぼ同じ年代?
裕次郎、旭?
それとも錦之助?😜