居候チャロとマロンとランとロロととと

ママ上様、ご厄介になりますがよろしくお願いいたしますですぅ♪
マロンは永遠の12歳♪ ランは永遠の11歳♪

丸竹夷二押御池

2022年04月14日 | 昭和の京都

まるたけえびすに おしおいけ
(丸竹夷二 押御池)

あねさんろっかく たこにしき
(姉三 六角 蛸錦)

しあやぶったか まつまんごじょう
(四綾 仏高 松万五条)

せったちゃらちゃら うおのたな
(雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚)

ろくじょうさんてつ とおりすぎ
(六条 三哲 通りすぎ)

ひっちょうこえれば はっくじょう
(七条 越えれば 八九条)

じゅうじょうとうじで とどめさす
(条東寺で とどめさす)

 

お馴染み京都東西に走る道を北から南へ歌った通り唄です。

もちろん碁盤の目だから北から南に走る道を東から西へ歌った唄もあります。

それは又の機会にして・・・。

今は分かりませんが昭和時代の京都の子ならたいてい歌えるでしょう

私の小学校は室町錦上がるにありました。

登校の際にはもっぱら新町通を歩きました。

この通りの思い出は数々ありますが・・・二つ強く記憶に残っているのが

吉田義夫さんが住んでいたこと。

新町の六角を下がったところだったと思います。

狭いろうじ(路地)の奥に家がありました。

東映時代劇のバテレン役者として結構知られていました。

美術大卒業で「絵描きさんなんやしぃ」と母親が言っていたのを覚えています。

 

その少し南へ行くと「松坂屋」がありました。

と、言っても外商と呉服仕入れのためのお店でした。

勿論小学生の私には、そんな詳しいことはわかりません

ただ友達の家も含めて呉服屋さんが並んでいました

結婚した後に松坂屋にもデパガとして勤めることになるとは・・・。

中京区の思い出は次々思い出すことが多く機会があればまた書きますね


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2 コメント

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こんばんは (楽母)
2022-04-14 19:00:28
おちゃこさんの京都話、大好きです。
どんなのでもいいから、どんどん書いて教えてくださいね、待ってます。
返信する
樂母さんへ (おちゃこ)
2022-04-15 12:52:05
応援、おおきに!
ウチの京都の話は超マイナーな個人話・・・。
しかも結婚と共に離れたし最近の情報は疎いどす。
まっ、美貌録・・・?
あっ、備忘録・・・のようなもんどす😅
返信する

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