人にどう見られているのか、どう思われているのかってどうして気になるんだろうね。自分のしたいように生きられたらどんなに楽だろうね。寝起きでノーメイクでコンビニに買い物、上司や教師に正義の為に意見できたらいいだろうけど、山奥に自給自足で暮らして人間社会に所属しないっていうような状況でない限り実質難しい。仕事を得にくいし、すると食べていけないから、人前では最低限受け入れられる態度や見た目を保たないとなんだよね。
こうした点で周りに合わすってのは人間社会で安全に生きてゆくには重要な知恵。私が西洋に10年以上暮らしていて感じるのは、日本に比べたら断然周りの目のプレッシャーは少ないけど、やはり「常識」は存在するし、周りを察知して柔軟に適応してゆく能力は上手に扱うことで人生にプラスになる。でも極端に気になりすぎたら身動きが取りづらくて自由を失っていってしまうし、また、それが恐怖になってしまったら精神的に参っちゃうから理解して、切り替えられるようにしようね。
周りは常に周りを見張り合っている。この事実は現時点では変えられないから受け止めるしかない。この相互見張りが過去に人々を取り締まる方法として西洋の魔女狩りとか、日本の隣組制度とかで歴史的にも世界中で利用されてきたし、経済の発展に人々が一定の範囲内で同じように考えて行動することが(それが良かったことかどうかは傍においておいて)効果的だったんだよね。右向け右って小さい頃から徹底的に訓練する日本って、やっぱり流行品やブランド品が売れやすくそれが過去の驚異の経済発展の基盤だったんだよね。
大半無意識だけど、みんな生き残るために必死で方法を見出してきて、自分で今の生き方が「正しい」と思って(沢山妥協して、合理化して)今の自分を作り上げてきたんだ。年をとってから「今までの生き方が問題だったかな」って振り返るのって精神的に強く、高い目的を持った人でないと受け入れることは難しいよね。だから自分と違う人を否定しようと励む。また大半の人が変わるには必要なエゴの痛みを避けるべく様々な言い訳を利用する。人のせい、歳のせい、過去に嫌な目にあった心の傷のせい、など。変われないのって、全部基本的に自分の「幼いエゴ」にコントロールされちゃっているんだよ。
人目を恐怖に思わないようにしてゆくにはどうしたらいいかな?
・「自分の中に住み着いた周りの目」に気がつこう。
あなたを恐怖に陥らせているのは大抵こいつの仕業。小さい頃から人目を無意識に気にし続けることで心の中に住み着いて、自分の言動が周りと違ってしまっていないのかを恐怖の妄想を利用して行動を規制し続ける。暴走している防衛本能だね。いじめにあった人は勿論だけど、いじめを目撃した人やメディアで報道される人間の非道さ、不公平さ、非合理さを日々目にしていると無意識に恐怖に囚われやすい。
まずは自分の所属する環境での周りの目のプレッシャーの事実を捉えてその存在を認める。人同士監視し合っているもの。それでもどの程度かは自身の心配性の性格から余計に反応してしまっている場合も多いから、現実を見つめよう。
個性的で繊細で自分を持っている人ほど「論理的に事実を捉える力」を育てないと、日本の集団社会はとても暮らしにくく、最悪自分を「自分はおかしい」責めることになる。あなたの個性をおかしいと判断する、社会の作り上げられた枠に居心地よくはまっていられる人のほうがもっとおかしいとは思えないだろうか。人はみんな違って当たり前で、互いに尊敬して公平さを求めながらその違いを上手に利用して助け合うことがよりよい未来の秘訣なんだよね。
人間の持つ特別な能力としての創造力は、個性があってのもの。個性を押し殺して周りと同じように考えて行動させるようでは社会を繁栄させてゆく創造力を発揮することは難しい。また、その社会を繁栄させるには異なった個人の能力を見張りあって押し殺すのではなくて、発掘して、育てて、生かすようにしてゆかないと行き詰って荒廃している社会を立て直すことはできない。
他の能力だって同じこと。西洋では日本よりも個人が個性をもっと持てる自由があるから、周りを気にすることにエネルギーを費やすことを他に向けられる。クリエイティブ能力が発揮しやすく、また第六感にもアクセスしやすい。買い物先で話をするだけで随分多くの人が神秘体験を持っていて、サイキック能力やチェネリング能力があることに気がつく。第六感と個性の発揮って当然深い関係があるんだよ。古代からスピリチュアリティーの視点からすると、本当の自分は全部と繋がっているのだから、偽物の自分を脱ぎ捨ててゆくことで世界とつながり、未来がわかったり、人の心が読めたり、前世を思い出せたり、亡くなった人と交伝できる。一方で西洋の問題は自己主張すぎてまとまりがないこと。これは実に深刻な問題。やっぱり何でもバランスが鍵なんだよね。
・自分と向き合う
自分の中に住み着いて自分を怖がらせる他人の目に立ち向かうのは困難だが可能。その恐怖は防衛本能によるもので、生きて行く上では欠かせないものだが、暴走してしまうと常に周りが自分を攻撃していると判断してしまい、人を信頼できず人にあるいは自分に攻撃的になり、ストレスが溜まり、心身に支障を来すことも多い。子供やペットや身内をいじめることが止められないとか、身内の暴力に苦しむのってここにも原因がありそうじゃない?
古代哲学的アプローチでは、自分の中に哲学者のようなリーダーを育てて論理を利用し、自分の思考を明確化し、妄想から脱出するために現実を掴むこと。自分の無意識の反応を意識化して、自分に「それは必要ないよね」と頼れる両親のように自分を支えて納得させる。体が自然と反応する場合が多いから、それに気づいたら体をリラックスさせるよう言動をスローダウンし、穏やかさを思い出しながら深呼吸を続ける。自分を深く理解してゆくことは自信につながり、恐怖に振り回されない基盤となる。
・根拠のある自信をつける
自信がないと判断力が鈍り周りを気にしてしまう。社会に与えられた特権による(見た目の良さとか頭の良さとかお金があるとか)ハッタリの自信は脆い。自分が正しく生きることを目指して努力をし続けることが自信につながる。で、問題は「正しさってどうやって判断したらいいのか」。日本のような集団主義社会では集団の意見が正しいとされ、それは論理的ではないから推測が難しく流行について行けない論理的な人はお手上げ状態。
私が推奨する正しさの判断は古代からのスピリチュアルの基盤で、「世のより美しい調和に貢献する」こと。それは自然を守り、人同士心の成長を助け合って美しく繋がれること。慣れてくるまでは、自分の言動がどのように世界に影響をするのかを徹底的に推測するようにするといい。で、例え結果がまずくても自分を無駄に責める癖は辞めて、「今後のためになるからいいんだ!」って改善を目指してポジティブなモチベーションで自分を励ます。そうそう、自分との付き合い方を変えてゆくんだよね。
・スピリチュアリティーの理解
スピリチュアリティーの理解が人に自信を取り戻させてゆくのはその一貫性だと思われる。何よりも人生や世界の説明としてつじつまが合うってこと。自然は論理的だから人は当然論理的。エゴの合理化で論理を狂わしてしまいがちだけど、自分が何のためにどうしてそれをしているのかよくわからないと、「何の為にめんどくさいことを心を痛めてまで頑張らないといけないの?」と心の奥で納得できておらず、変わってゆく決意ができない。だから盲信にも限界がある。論理的に答えが導き出せるスピリチュアリティーを基盤にすることの強みはそのヒーリング力からも世界中で理解され始めているんだよ。
スピリチュアリティーの基盤は、「自分の本質は物質ではない霊(魂)で、周りのものすべての本質と同じ。だから、全部根っこでつながっている自分の一部だから、調和を保って大切にしあわないとね」って感じかな。古代ギリシャの哲学者らはこうして見えないものが世界の本質であるということを徹底的に論理で証明し(ソクラテス、プラトン、プロタイネス、プロクロス等)それが科学の発展を可能にしてきたんだ。だから、科学はスピリチュアリティーの子供でもあるんだけど、それを「科学で証明できないスピリチュアリティーは偽物」みたいに勘違いしてしまっている無知さは痛々しいだけでなく、人類の必要な科学の発展をストップさせ、人々を恐怖に陥らせ人の間をバラバラにして世界を破壊している自滅行為でもあるんだよね。
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全てのことには意味がある。人生は愛を学ぶレッスンの場所ってのはもはや世界中の意識レベルが高い人達(魂により目覚めている人)の間の共通知識。(意識レベルについてもまた今後説明しないとだね)好ましくない状況にあったとしたら、人や自分や出来事やらを責めたり悲しむのではなく、「ここで自分は一体何を学ぶべきなのか」という点に注目しよう。自分では自分が見えにくから頼れる人に相談することは決して無駄ではない。視野を広げてはまっていた穴から抜け出しやすい。
自由と幸せを目指すのなら、アドバイスを受けながらも必ず自分に責任を持つべきで、「ああ言われたからそうしたらこうなっちゃった」みたいに人のせいにしないで、人のせいにしてしまったらどうしてそうしたのかをちゃんと探って、自分で自分を理解して自分で考えて判断してゆく力をつけてゆくことは欠かしてはならず、それには今までと違った「自分との新しい付き合い方」を身につけて、自分探しの旅を深めてゆくといい。
人の目よりも「天の目」を気にして、自分が正しくあり続けることを望んでゆけたらいいよね。天はあなたの目を通して全部見ている。だからまっすぐ生きようって決意したら怖がることはないんだよね。
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