ばちかぶり季記 人生いきあたりばったり

なんとかなるもんよ。・・・・・・たぶんね。

台風15号の長い話。

2019年10月07日 | 海っぺりの話

    ↑ 落ちた鬼瓦(隅棟の切据鬼)

9月8日から9日にかけての台風15号について書いておきましょう。長文になりますよ。
停電解消後にとりあえず近況報告は猫ブログのほうに書きました。
こちら→ 「今日のクラウスたち。」9月ぶん。

≪概要≫
9日(月)未明:停電
9日(月)10時頃:docomoが圏外に。TV電波も停波。
10日(火)水道局が給水所の開設始める。
11日ころ 防災行政無線がバッテリー切れで停止。(←ダメじゃん。)
12日(水)出が細くなっていた水道、完全に断水。
12日(水)15時:中継塔付近の停電解消し、docomoの電波復活。メールどさっと到着。
12日(水)20時:我が家の電力復旧。だが、私のパソコンが通電しない事が判明。
13日(木):陸自の災害派遣部隊が3キロ先の施設に到着。夜からお風呂の提供。
       その他、福祉施設などで浴場開放あり。
15日(日):我が家の断水解消。
17日(火):こども園、小学校、中学校の再開。

まずは8日夕方。予報では最大瞬間風速60m/sということで、雨戸嫌いの私も雨戸を閉めました。
なんで私が雨戸が嫌いかというとですね、実家には雨戸がなかったからなんです。
上京後に雨戸がある部屋や家に住んでも、真っ暗な部屋がいやで雨戸は使いませんでした。
アパートの部屋で写真を現像するには便利でしたが(笑)。
雨戸がなかったのは実家の特殊事情ではなく、あまり強風が吹かない地方だからです。
おそらく大昔は和紙の障子と雨戸、という構造だったのが
小さな普通の家ではガラス窓が雨戸に取って代わったのでしょう。
近所の大きな家の縁側はガラス窓と雨戸の二重になってましたけど。
更にアルミサッシ窓の登場で当時の雨戸はほとんど省かれたのかと思います。
ところが、今では全国共通ハウスメーカーの仕様で雨戸は標準装備めいています。
昔は実家から信越線で上京する時に軽井沢までは沿線の家々に雨戸はありませんでした。
横川峠を過ぎて群馬県に入ると、ほぼすべての家に雨戸が出現。
なんで昼間でもわかるかって、そりゃ昔の戸袋の有無は遠目でもわかりましたわ~~。

閑話休題。

風雨が強くなったのは22時過ぎくらいからの夜更けです。
開けっ放しの窓と扇風機で夏を過ごす家なので、暑いよ暑いよと言いながらも就寝。
雨戸のせいで通常の嵐の音との比較ができませんが、バタバタボタボタと音はうるさかった。
午前2時過ぎに目が覚めたら停電していました。でもまた寝まして。
9日は非番だったので少しのんびり起きだしたら、まだ停電中。
家の外に出てみましょう。
あらぁーーー 雨どいがほとんど落ちてしまいました。
南側上部壁の漆喰も落ちました。
屋根を見ましょう。傾斜地なので上から見られる裏側。北西隅の切裾鬼瓦が塀の外まで飛んでました。
あんな重いものがねえ。幸いにも塀の外は草地なのでパカッとは割れていません。
平板瓦はあちこちでズレていますが、重大な被害ではなさそうです。
ブロック塀の一部がこわれてアルミフェンスが曲がっています。ま、これ無くてもいいヤツ。
その真下、敷地北西の隅にある稲荷の祠が台座から後ろにズレています。
私ひとりの力では1cm傾けるのにも苦労する、××(伏字)重い材でできているのに。
格子扉のある前側から相当な風が吹き込んだのでしょう。
私、そのすぐ脇の座敷で寝てたんだけどなーー(^^A;

西隣の家では銅板葺き屋根の一部がめくれました。
150軒ほどの地区内では半壊の家もあります。
地震災害のように板瓦がザアーーと落ちた家あり、棟瓦が落ちた家あり、壁が抜けた家あり。
古い家や物置が壊れて破片が風下の家に飛んで、その家の破片がまた飛んでという事があったようです。

この時点ではdocomoの電波は生きていました。お隣さんのauは早朝すでにダメだったようです。
停電なのでテレビは使えませんが、ワンセグTVは見れました。
テレビ電波送信塔は生きているということです。
当地区はNHKに見捨てられた地デジ難視聴地域なので地区独自で建てた受信設備です。
停電時用に蓄電池を抱かせてあります。
午前10時頃、ケータイが圏外になりました。最寄のdocomo中継塔のバッテリーが終わったということです。
ワンセグTVも圏外になりました。発電機は備えてありますがどうせ停電でテレビ見れないし。
テレビが見れたとしても、役にたつような情報はこの時点では流れてなかったでしょう。
ワンセグ需要もあまりないので、発電機は温存し作動させませんでした。
それでも蓄電池で8時間くらい動いた、という実証データは取れました(^^A;

停電なので当然、光ケーブルによるインターネットと光電話も最初からダメです。
ほとんどすべての連絡手段は途絶えました。
こうなるともう開き直るしかありません。幸いにも我が家には心配な親族もいませんし。

圏外になってるケータイでも防災情報メールは届きました。どういうシステムなんでしょうね。
情報メールが「広範囲で停電しています。」と流したのは午後1時前くらい。停電発生から既に半日。
「このまま停電が続くと断水の恐れがあります。」と言ってきたのは午後3時過ぎ。
でも、誰もが「どうせすぐに停電は終わるだろう。」と思っていました。・・・終わらなかった。

当日の月曜日は宅配コープの配達日でした。
どうなのかな?と思っていましたが、一週間分の食材すべて届きました。
お隣さんが発電機で冷蔵庫だけ生かしてるというので、冷凍冷蔵品の一部は預かってもらいました。
助かった(^^A;
この日の夕食はなんだったか忘れましたが、惜しい食材から使いました。
冷蔵庫はすばやく開け閉め。
調理はプロパンガスなので問題なし。インフラは原始的なほうが災害に強い。
給湯ボイラーは灯油なのですが着火が電気なのでダメ(泣)。
大昔のシンプルな風呂釜はマッチでも点火できたんだけどなーーー。
居間の真ん中に、普段使わない高さ40cmの燭台に燃焼時間4時間の大きなロウソクたてました。
田舎の古い家ですので仏壇にそんなものがあります。でも裸火って暑いね。
田舎の夜道は暗いので懐中電灯は大小各種常備してるけど、ランタン型の大きいのがあると良かったですね。

10日火曜日、パート勤務してるホテルに出勤しました。近所なので当然停電しています。
9日朝はレストランで朝食が出せず、軽食を客室に配ったりして大変だったようです。
エレベーター使えませんからね。私は非番で幸いでした。
1本だけ生きていた代表電話回線のバッテリーも終わり、予約客への連絡不能。
もちろんパソコンは使えず、ネットも断絶中。
電話がつながるところまで車で行って、本社に代行を頼んだらしい。(詳細は知らない)
窓ガラスとドアの破損数か所。真横からの強い風雨で、客室窓側からの浸水。
びしょ濡れになった窓辺カーペットを、ありったけのタオルとリネン類で救出。
その後数日間は冷蔵・冷凍食材の廃棄作業などなど雑用を。
エアコン無しだから暑かったですけど、真夏の客室清掃作業に比べればたいしたことない。
10階建てなので水は屋上タンクからの給水です。
停電後のチェックアウトで使ったぶんで終わったようで、全館断水。
通用口近くの1本だけが地下から直の配管で、海抜も低いので13日までそこだけ使えました。
1階トイレの前には大きな桶に汲み置きの水が水洗用に配置。
休業中はレストラン組も客室清掃組もお休みなので、
フロント組と住み込み組が交代で片付け作業に従事しました。
電気復旧してやっと全館掃除機がけ。
断水が終わればレストラン組も水を使った後片付けをしてました。
でもリネン洗濯屋さんの機械が被災して、通電してみなければ作動するかわからないという件もあり、
結局、営業再開は21日までずれこみました。再開後のキャンセルも多かったので経営的に大損害。
私も勤務時間が大幅に少なかったので大損害(時給パート)。

でも今は全部平常通りです。オフシーズンですが観光客の皆様、来てください。

停電中、自宅では懐中電灯で本を読んで過ごしてました。
ヘタに作業などすればお風呂が使えないのに汗をかきます。
だから、開き直ってジッとしてました。
非常用のラジオではNHKが災害地用の情報を流すのを聞いていました。
でも防災無線と防災メールで地域限定情報は得てました。
防災無線が燃料切れで途切れてしまったのは「何してんねん!!」って感じでしたね。
水道もこうなるとわかっていたなら早めに電源の要請とかしたんでしょうか??
取水・浄水・給水には相当な電力使うでしょうから無理なんでしょうか。

停電よりも断水のほうが精神的にきつかったです。
給水制限で水圧が下がると海抜が高い場所から断水します。
2~3mの段差が海まで4段階くらいある海岸段丘の地形です。
うちが細々出ていた日には上の家ではもう断水してた。
うちが断水した日に下の家ではまだ出ていた。
買い置きの飲料水に加えて頂きものの飲料水、水がでていたうちに浴槽に貯めた水、
それに近所で年中じゃぶじゃぶ湧いている湧水(飲めるレベル)もある。
給水所に行かなくても水は足りましたが、蛇口をひねれば水が出るという文明の消失は耐え難い。
料理材料も調理手段もあるけれど、後で鍋釜を洗う手段を考えると料理する気力も失せるってもんです。
おかげで少々痩せましたよ(もう元通り)。
テレビやネットは放棄しても、やっぱり水は大事ですね。

今回の災害が地域外に周知されるのには時間がかかりました。
まずは、房総半島の南側半分で、域内を通過する人が少ないどん詰まり地帯ということ。
停電で現地からの発信ができないので、外に状況情報が出ない。
知人の様子を見に来た人が被害写真をネットにあげたのが周知の始まりとも聞いてます。
やっとTVで取り上げられ、知人縁者たちが私にメールくれたのが11日前後のようです。
田舎の自治体に機動力がないのは熟知してるけど、県も動かなかった。
東京電力の甘い復旧予測も足を引っ張ったんでしょう。
もっと早くに援助要請をしていれば電気復旧した翌日にやっと自衛隊が来るなんてことはなかったのに。
南房総市も水やブルーシートや食料、ベビー用品を配布したけれど遅かったし、機動力がある人だけが取りに行ける。
現場も住民の個人状況もわかる各区の区長を使えば、本当に必要な人に必要なものが届くでしょう。
区長・区役員はメチャ大変だけどさ。(役員経験あり)
停電中でも館山のホームセンターは懐中電灯で営業してたそうですし、
電気が来れば他の商店も開く。自家用車があれば少し遠くでも買い物に行ける。
物流は当初からそれほど遅延してなかったし、「災害備蓄品、配布しました!」という実績を作っただけでしょう。

停電・断水が解消した現在、残るのは被害家屋の補修です。
そこらじゅうの屋根にブルーシートやテープが張られています。
お隣さんが頼んだ板金屋さんは300軒の依頼を抱えているそうです。
シートを張るほどの被害がなかった我が家は初日に写真撮っただけです。
罹災証明は市の出張所方面についでがあった17日に申請し、28日に現場確認の人が来ました。
南房総市職員ではなく助っ人の県職員だったようです。まだ証明は出てません。
保険(共済)の請求もこれから~~。記入用の書類はもらってありますけど。
パソコンは色々雑事が落ち着いてから、中古の一体型VAIOをポチりました。
到着後数日間ぼちぼちと孤軍奮闘して環境を整え、
毎日更新の猫ブログを再開したのは停電から18日後でしたね。
やっとほぼ全地域で停電が解消したのも、そのころだったようです。


さて。長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後に教訓をひとつ。

★台風が来る前日には必ず洗濯をしよう!!(ずっと洗濯したかった)




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