ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

マタイによる福音書7章12節

2021年08月17日 | 聖書

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。


イエスの教えを一言で言うとこの聖句になると思います。それゆえ黄金律ともいわれます。旧約聖書の律法は、「人にしてほしくないことをしてはならない」です。盗まれたくないから「盗んではならない」、うそをつかれたくないから「偽証してはならない」なのです。これも大切です。

律法の成就のために来られたイエスは、「愛されたいなら愛しなさい」「赦されたいなら赦しなさい」ということを言われたのです。

旧約の教えと新約の教え。両方とも大切なのです。

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イザヤ書39章

2021年08月16日 | 聖書

教会の聖書日課による聖書通読、今日はイザヤ書39章です。


39:1そのころ、バビロンの王、バルアダンの子メロダク・バルアダンがヒゼキヤに手紙と贈り物を送って来た。病気であった彼が健康を回復したことを聞いたからである。2 ヒゼキヤは使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫と、武器庫、倉庫にある一切の物を彼らに見せた。ヒゼキヤが彼らに見せなかったものは、宮中はもとより国中にひとつもなかった。3 預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て、「あの人々は何を言ったのですか。どこから訪ねて来たのですか」と問うた。ヒゼキヤは、「彼らは遠い国、バビロンから来ました」と答えた。4 更に、「彼らは王宮で何を見たのですか」と問うと、ヒゼキヤは、「王宮にあるものは何もかも見ました。倉庫の中のものも見せなかったものは何一つありません」と答えた。5 そこでイザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主の言葉を聞きなさい。 王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。 あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある。」8 ヒゼキヤはイザヤに、「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。


ダビデ、ソロモン、ヒゼキヤ、ヨシヤ、この4人を私は「ダビデ王朝の4大王」と呼んでいます。主の前に正しいことを行い、かつ国を発展させたからです。

ところが、聖書にはヨシヤを除く3人にはポカが記されています。ダビデはバトシェバとウリヤに対する罪、ソロモンは晩年の偶像崇拝です。そしてヒゼキヤはバビロンからの見舞い客にエルサレムの神殿の倉庫にある宝物(ほうもつ)を見せてしまうということです。エルサレムの神殿には大変な宝物があったのです。

バビロンからの見舞い客はそれを国で報告したと思います。そのため、エルサレムの神殿はやがてバビロンによって襲撃され、宝物がバビロンに運ばれてしまうことになります。


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イザヤ書35章

2021年08月12日 | 聖書

教会の聖書一日一章、今日はイザヤ書35章です。全節を読みます。


1荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。
2花を咲かせ
大いに喜んで、声をあげよ。
砂漠はレバノンの栄光を与えられ
カルメルとシャロンの輝きに飾られる。
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
3弱った手に力を込め
よろめく膝を強くせよ。
4心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」
5そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
6そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。
7熱した砂地は湖となり
乾いた地は水の湧くところとなる。
山犬がうずくまるところは
葦やパピルスの茂るところとなる。
8そこに大路が敷かれる。
その道は聖なる道と呼ばれ
汚れた者がその道を通ることはない。
主御自身がその民に先立って歩まれ
愚か者がそこに迷い入ることはない。
9そこに、獅子はおらず
獣が上って来て襲いかかることもない。
解き放たれた人々がそこを進み
10主に贖われた人々は帰って来る。
とこしえの喜びを先頭に立てて
喜び歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え
嘆きと悲しみは逃げ去る。


この章は第二イザヤ(40~55章)と通ずる箇所で、捕囚からの帰還の喜びを歌っています。躍動感がありますね。讃美歌21・173番になっている箇所です。

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イザヤ書34章5~6節

2021年08月11日 | 聖書

教会の聖書日課は、今日はイザヤ書34章です。5節と6節を記します。


5 天において、わが剣は血に浸されている。見よ、剣はエドムの上に下る。絶滅に定められた民を裁くために。6 まことに、主の剣は血にまみれ、脂肪を滴らす。小羊と雄山羊の血にまみれ、雄羊の腎臓の脂肪を滴らす。主がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大いなる殺戮をなさるからだ。


エドムは、創世記のエソウの末裔です。旧約聖書ではしばしば罰の対象となっています。特にボツラという町は赤いものと表現されます。なぜなら、ボツラがワインの産地だからです。それは、エソウが「赤い者」であったこととどう関係するのか?

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イザヤ書26章12節

2021年08月03日 | 聖書

教会の聖書日課、今日はイザヤ書26章です。12節を記します。


主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を、成し遂げてくださるのはあなたです。


イザヤはこのように語りましたが、平和の王としてイエス・キリストが来られました。私たちはキリストにおいて神に近いものとされています。それゆえにすべての人が近い者とされ、そこに平和が与えられています。

しかし現実の世は争いが絶えません。それゆえに私たちもまた「主よ、平和をわたしたちにお授けください」と祈る者とされます。すべてを成し遂げてくださるのは神です。

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