ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

韓国旅行(26)チェチョン(堤川)で食べたヤギ汁

2009年05月15日 | 韓国&中国旅行
韓国旅行というカテゴリーを作って順番にいろいろ書いていた。最後忠清(チュンチョン)道に来て足踏みをしている。大体もう忘れちゃったよ。そもそも5年近く韓国行っていない。

そんな折思い出したのが忠清北道チェチョン(堤川)で食べたヤギ汁の事。

まずチェチョンとはどこか?忠清道は北と南に分かれ、忠清北道は韓国で唯一海に面しない道である。下の地図が忠清北道でピンクの下線がチェチョン。



なぜチェチョンに行ったかというと、チェチョン駅は江原道からの鉄道・太白線の終着駅であって、太白線で旅をしていた私はここで降りるしかなかったからである。

チェチョン駅は今では新しくなっているようだが、当時は全くしょぼい駅舎であった。駅を降りても何も無い。ぶらぶらと歩いていると염소탕ヨムソタンという文字の書かれた食堂があった。

タンは汁だがヨムソはなんだろう?と思って辞書を取り出してひいてみると、「ヤギ」とあった(ちなみに韓国語ではヤギと塩素が同音異義語である)。ヤギ汁??食っとく価値あり。早速その食堂に入った。

これまたしょぼい食堂であった。私のほかに客が一人。アジョッシが一人で調理をしていた。ヨムソタンお願いしますと言うとしばらくして出された。

ヨムソタンでPC検索するといくつか写真が出てきた。





私が食べたのはこんなに豪華ではなかったがまあ感じは出ている。もっとも韓国の食事の図は皆同じようなものかもしれないが。

ヤギなんて後にも先にもこの時しか食べた事無いが、牛肉のかたいのみたいなそんな味だったと思う。

日本でも終戦後はヤギの乳というのを飲んだんだそうな。でも今はそんなの無い。何も無かった時代の食料であった事からすると、結局日本には乳も肉も美食として残らなかったのだろうか(ただ調べてみると沖縄にはあるようだ)。

後で聞くとヤギ汁は韓国でもそれほど食べられるものではないらしい。でもチェチョンのヤギ汁というとちょっと有名ではあるようだ。

懐かしい旅の思い出だ。

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韓国旅行番外編・正露丸のにおいから

2009年03月11日 | 韓国&中国旅行
仁川(インチョン)で夕刻地下鉄(といっても地上鉄の部分だったが)に乗っていた時、ガラガラだったのにすぐ隣に座っていた30歳位のアジョッシ(韓国では60代くらいまでの大人の男性はすべてこう呼ぶ)がいた。日本だったら離れて座るだろうな。

そのアジョッシが私にいきなり怒ったように話しかけてきた。
「アジョッシ、口のにおいが臭いよ」

そう、私は少し前に正露丸を飲んだばかりであった。韓国に行くとついつい街なかでいろいろ食べてしまうのだが、そこはいかんせん外国。やはり食あたりをすることは良くある。正露丸は必携薬だ。

その時はおなかの調子が悪かったので、私流の特効方法・正露丸舌下療法を施していた。病院で知った事なのだが、要は薬を舌の下で舐めていると即効効果があるのだ(信憑性はない)。

韓国人はあれだけニンニクのにおいをぷんぷんさせるくせに、正露丸のにおいは嫌いなのか?私はそんな事を考えたがとりあえず謝った。

「ごめんなさい、おなかの調子が悪いので正露丸(ちなみに正露丸は韓国語でも同じ漢字語)飲んだんで。」

私とそのアジョッシの間にいやな空気がただよった。すいているんだから離れりゃいいのに。

その後何がどうなったか良く覚えていない。ただ私が日本人であるという事がわかった時に、彼は少し態度を変えたように思う。20分後には、これからどこに行くのか?俺は友人とポジャンマチャで落ち合う。それだったらそこに連れて行けよ。そんな会話になっていた。

私の韓国語の実力は実はたかが知れているのだが、こういう時は不思議にすらすらと言葉が出てくるものだ。

という事で、なぜかその30分後にはソウルに戻り、3人でポジャンマチャで夕食をしていた。

    

気心が知れてくると、次に行くのは普通カラオケである。

    

韓国ではこういう時だけ、そんなに高くない料金で、やって来て一緒に歌ってくれる女性がいる。4人で歌いまくったなあ。私は何歌ったか覚えていないが、あの頃は言葉を覚えようと思っていたから、ずいぶん歌を知っていた。

歌い終わって「楽しかったよ」と別れて、それでオシマイ。なんか懐かしい出来事だ。

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中国旅行⑱朝鮮族の家庭

2008年11月25日 | 韓国&中国旅行
2度行った中国旅行の事連載しています。最初から続けて読めるようにしてあります。よろしければここから読み返してみてください。各ウェブ最後の「つづく」をクリックすると次に進めるようになっています。

では前回の続き(ぷっ!1年たってるわ。)

민박(ミンバク=ホームステイの事)と書いた札を持った30歳くらいの男性に私が近づき、「一泊いくらですか?」とたずねると、「50元(=当時のレートで750円ぐらい)」という答えが返ってきました。「日本人だけれどいいか?」と更にたずねると、「えっ、日本人!」といささか驚いたようではありました。

ですがまあ簡単に交渉成立して、その男性の家に行くことにしました。駅からしばらく歩いたところにあるアパートの上階でした。2階か3階であったように思います。入るとこの男性の母親らしき人物と、男性より若い女性、そして少し年配の韓国人夫婦の先客がいました。

それぞれに簡単に挨拶をしました。そしてまもなく朝食です。円卓を囲んでみんな一緒に食べます。韓国人の夫婦はやはり旅行をしているようでした。食事は質素ではありましたが、まあ申し分のないもの。やはり、韓国の食卓に近い感じです。

男性より若い女性は男性の妹かと最初思えましたが、男性の妻であることがわかりました。韓国人だ、朝鮮族だ、日本人だ、ということを感じることもなく、ごく普通の人間同士として会話を楽しむ事が出来ました。

つづく 次回は瀋陽の街の様子を書きます。

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中国旅行⑰夜行列車で瀋陽に

2007年11月16日 | 韓国&中国旅行
2度行った中国旅行の事連載しています。最初から続けて読めるようにしてあります。よろしければここから読み返してみてください。各ウェブ最後の「つづく」をクリックすると次に進めるようになっています。

敦化(ピンインはdun1 hua4)から瀋陽まで夜行列車で行くことになりました。中国の列車の等級は4つ、軟卧(臥)・硬卧・軟座・硬座です。軟卧はコンパートメント、硬卧は仕切り部屋のでない3段ベッド、軟座はリクライニングシート、硬座はボックスシートです。

この日は硬座しか取れませんでした。しかも自由席です。座れることを期待していたのですが、列車に乗ってみると満員でとてもそれどころではありませんでした。「1晩立ったままで瀋陽まで行くのか~。」なんだか気が滅入りそうです。

ところで延吉から瀋陽まであたりの地図ををグーグルでひき出してみました。



おわかりになりますでしょうか?下が北朝鮮、右中が延吉で、青のピンマークが敦化です。左中の沈阳が瀋陽です。ざっと見5~600キロはあります。夜8時過ぎに敦化を出て、丸一晩の旅でした。

人々の顔を見ながらいろいろなことを考えたのですが、一つは中国は多民族国家であるということです。日本人とよく似た顔つきの人もいました。朝鮮族かもしれません。しかしそれ以外ほんと多様です。

床に座ったり立ったりしながら時間をすごしました。みんなそうしているから恐くありません。時々売り子の男性が、キャスターを押して元気よくやってきました。そうすると道をあけなければなりません。・・・がこれが結構大変でした。一番困ったのはトイレ。電気がないんですもん。

真夜中に長春に着きました。幸いここでずいぶんたくさんの人が降りて、おかげで席を取る事が出来ました。もっともその後降りたのと同じくらいの人が乗ってきたのでむさっ苦しさは変わりませんでしたが、でも仮眠する事が出来たのは幸いでした。

早朝に瀋陽駅到着です。



早朝だというのに駅前にはたくさんの人が迎えに来ていました。そんな中でこんな紙を掲げてたっている30代くらいの男性を見つけました。



民泊と書いてあります。ホームステイをさせる朝鮮族家庭です。 しめたっ!つづく
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韓国旅行(25)群山

2007年06月28日 | 韓国&中国旅行
久し振りの韓国旅行記。

昨年の4月に韓国旅行記書き始めて、全羅道→慶尚道→江原道→京畿道と時計の針の8時のあたりから反対回しに書いてきました。最後は忠清(チュンチョン)道で、実はこの忠清北道は時計の真ん中・針の軸のあたりであるわけです。最後に真ん中に行き着くようになるわけで、その意味ではまあ良い書き方だったかな?と思ったりします。



済州道はまだ行ったことのない唯一の道です。いずれ行ってレポート書きますね。

というわけで最後の忠清道に入りたいのですが、その前にうっかり事を一つ・・・。実は一つ勘違いしていた事がありました。一度行った群山(クンサン)という街です。実はここを忠清南道だと思っていたのですが、正しくは全羅北道でした。ですので、全羅道紀行書いてる時に落としていた事になります。



↑赤丸つけたところです。この街の事書いてから忠清道紀行に進みますね。

なぜこの街に行きたいと考えたかというと・・・・、それは一つの映画がきっかけでした。「ペパーミントキャンディー」という映画です。ある男性がたぶん42,3才の時に鉄道自殺する場面から映画は始まるわけですが、実際にはそこからフィルムを逆回し。7年くらい前に韓国で大ヒットした映画です。真っ暗な内容の映画です。この男性は工場員、兵役、警察官、実業家と渡り歩くわけですが、なんか「はずれて」いるわけです。それゆえ人生が真っ暗で、この映画も真っ暗に作られているわけです。けど、真っ暗だけれどなぜか引き込まれてしまう映画であるわけなのです。

そんな真っ暗な内容だったのですが、ただ一箇所、男性が警察官時代に、この群山の「忘れな草」という居酒屋の少女と関わったシーンが、唯一ほっとするところであったわけです。全体が暗かっただけにこのシーンのあたたかさは印象的でした。まあそれでそのシーンに惹かれた私は、「群山に行けばもしかしたら忘れな草というお店があるのかもしれない。」と、「春川に行けばチュンサンとミニョンに会えるかもしれない」と考えた(?)ヨン様ファンのオバサマ達と同じ思考回路で、この街に行ってみたというわけです。 3年前の夏の事です。確か西大田(ソテジョン)から群山行きの列車があって、それで行ったのだと思います(このためこの街を忠清道と勘違いしていたのかもしれません)。かわいらしい駅でした。







駅前の様子です。



駅を出て右手の市場です。港町だけあって、結構活気があありました。



街を一回りしてみました。もちろん「忘れな草」はあるわけありません。ただ埃くさい港町でした。食堂で海鮮鍋を食べて、バスで川を渡って忠清南道方向に戻ったように記憶しています。

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