ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

ハバロフスク紀行《28》赤軍博物館

2007年10月09日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

赤軍博物館に展示されていた絵などが一体何を示すのかよくわかりません。本当はよく調べてからウェブにしたいのですが、そんな事いってるといつになるかわからないのでとりあえず写真だけアップします。皆さんの中でわかる人がいたら教えてくださいね。



↓下2枚は出陣のもようっぽいです。




↓これは共産主義のプロパガンダっぽい感じがします。


↓結構大きなものです。


↓その一部です。


↓何の旗でしょうか?




つづく


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ハバロフスク紀行《27》戦車

2007年10月08日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

4日目の午前中は、ハバロフスク市内の赤軍博物館というところに行ってみました。「地球の歩き方」によれば、「1918~22年まで続いた国内戦争の歴史や、ノモハン事件や張鼓峰事件に関する資料が展示される」とあります。別途料金を払えば、写真撮影可でした。

ここの庭には戦車が展示されています。





よじのぼってみました。



こちらは小型機です。なんというのでしょうか?



銃の中を覗いてみました。



ロシアの歴史はいくさの歴史です。ですからロシア民謡は兵士の事を歌ったものが多いのです。

つづく
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ハバロフスク紀行《26》ホテルのレストランで夕食

2007年10月04日 | ハバロフスク紀行
前回のつづき

今回の旅行はホテルの朝食は代金に入っているというものでした。ですから昼食と夕食はどこで食べてもよかったのですが、この日はホテルのレストランで夕食をとることにしました。

まだロシアに来てからボルシチを食べていないので食べてみたいと思っていました。メニューを見るとちゃんとあったのでそれを注文。「フレープ」と言うと「パンが付いている」(なぜロシア語がわかったか不明)との事でした。

ということでこの日の夕食。



乾杯。今日は貴重な体験をしました。



ステージでは歌い手によって歌が歌われています。



写真撮らなかったのですが、歌によっては客たちもフロアで男女ペアでチークを踊っています。

ボルシチはまあ特段のものではなかったです。これは日本でいえば味噌汁でしょう。さてパンの方ですが、



ピロシキでした。ピロシキとボルシチ、これは日本でいうなら納豆ご飯と味噌汁っていうところでしょうか。

つづく

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ハバロフスク紀行《25》さらばビロビジャン

2007年10月03日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

午後5時の列車でハバロフスクに戻ります。列車が来ました。



今度も3号車です。一番前。



3号車の車掌さんは女性。朝はパスポート提示もとめられたけど、今度は省略。やはりコンパートメントでした。また優雅な旅の始まりです。



皆さん何を考えているのでしょうか?コンパートの前の席には母親と男の子が座っていました。ロシア語教則本を見ながら聞いてみました。「いくつ?」「12歳」彼ははにかみながらそう答えました。それ以上会話は進まず。お母さんは気にもとめずにアメリカの雑誌見ています。

2時間近くたった頃アムール川通過。



幅広いですね。日本にもこんな川あったでしょうか?



ハバロフスクが近づいる感じです。7時10分ハバロフスク駅到着。ホームに降りると待っていた家族と抱き合っている大学生っぽい男性を見ました。日本では見られない光景です。↓ちょっと写真撮るの失敗しましたが、奥の方の人たちよく見てみて下さい。



↓やっぱりこの列車モスクワから来たみたいです。





つづく
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ハバロフスク紀行《24》新潟市と姉妹都市

2007年10月02日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

ビロビジャンの街なかのウェブは今回で最後にします。ロシア語ヘブライ文字並置の看板を二つ。



右側のロシア語のほうにмузей(博物館・美術館)という文字が見られますが、ヘブライ文字の方にもそれに該当するらしきものがあります。



左側の看板のРЕДАКЦИЯ ГАЗЕТЫはおそらく編集局・新聞の意味ですが、РЕДАКЦИЯは右側の看板のヘブライ文字でも同じ発音で表記されています。外来語でないロシア語とヘブライ語が同じ発音ということは考えにくいですから、いわゆるイディッシュ語というものかもしれません。

これでビロビジャンの街なかの写真は終わりです。今回は少しだったのでビロビジャンについて掘り下げてみます。Wikipediaのビロビジャンの項目です。

ビロビジャン(Birobidzhan,ロシア語表記: Биробиджан,イディッシュ語表記: ביראָבידזשאן )は、ロシア極東にあるユダヤ自治州の州都。人口約8万人で、ハバロフスクの西方約150kmに位置する。日本においては新潟県豊栄市(2005年に新潟市と編入合併して姉妹関係を継承)の姉妹都市である。中国国境近くのビラ河、ビジャン河沿いにあり、『ビロビジャン』と命名された由来となっている。シベリア鉄道・長距離路線バスが通っており、いずれもハバロフスクから2-3時間。

旧豊栄市とどういういきさつで姉妹都市になったのかはわかりませんが、今は新潟市と姉妹都市なんですね。ちなみにハバロフスク市も新潟市と姉妹都市です。

つづく
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