並木先生のヨブ記注解のおまけが届いた。
ヨブ記の私訳であった。
非売品なのでこれは儲け。
次のコラムに向けて一冊の本を読んでいます。ヘンドリクス・ベルコフ著「キリストと諸権力」です。著者はオランダ人で、1953年に出版されたものです。
聖書の当時、天は何層にも分かれていると考えられ、その最下層に「諸権力」があって、世を支配していたと考えられていたようです。エフェソ書では「秘められた奥義」が「諸権力」にも知らされたとされています。
著者のベルコフは、1037年にベルリンで「諸権力」(ナチ)が空中に漂っているのを目撃したと言います。「諸権力」は現在でも起こりうるのです。エフェソ書ではそれと戦えと言います(6章12節)。
出版されたばかりの並木浩一著「ヨブ記注解」を買いました。
祈祷会でヨブ記をするので。
私はエリフの弁論が好きなのです。
書評を書いてみたいですね。
年末年始はこれを読もうと思っています。
なかなか重厚な本です。
第1章 パウロ神学への緒言
§1.1. なぜパウロ神学を学ぶか?
§1.2. 「パウロ神学」とは何か?
§1.3. パウロ神学は書き得るか?
§1.4. パウロ神学をいかに書くべきか?
§1.5. パウロ神学を目指して
第1部 神と人類
第2章 神
§2.1. 神という原理
§2.2. 唯一神
§2.3. 他の神々?
§2.4. 神と宇宙
§2.5. イスラエルの神
§2.6. 神を体験する
§2.7. 結論
第3章 人類
§3.1. 人類に関する前提要件
§3.2. 体(ソーマ)
§3.3. 肉(サルクス)
§3.4. 体(ソーマ)と肉(サルクス)
§3.5. 理知(ヌース)と心(カルディア)
§3.6. 魂(プシュケー)と霊(プネウマ)
§3.7. 要約
第2部 告発された人類
第4章 アダム
§4.1. 人類の暗部
§4.2. ユダヤ教聖典におけるアダム
§4.3. ユダヤ教伝統におけるアダム(第二神殿期以降)
§4.4. パウロ神学におけるアダム(1)(ロマ1.18–32)
§4.5. パウロ神学におけるアダム(2)(ロマ3.23)
§4.6. パウロ神学におけるアダム(3)(ロマ5.12–21)
§4.7. パウロ神学におけるアダム(4)(ロマ7.7–13)
§4.8. パウロ神学におけるアダム(5)(ロマ8.19–22)
§4.9. 要約
第5章 罪と死
§5.1. 悪の力
§5.2. 天の諸力
§5.3. 罪
§5.4. 罪の影響(1)──宗教の倒錯
§5.5. 罪の影響(2)──放縦
§5.6. 罪の影響(3)──諸罪過
§5.7. 死
§5.8. 要約
第6章 律法
§6.1. 罪、死、律法
§6.2. トーラー、ノモス、そのノモス
§6.3. 神の要求と裁きの基準
§6.4. 律法の下のイスラエル
§6.5. 過去を生きる者の関係性
§6.6. 命に通ずる律法、死に通ずる律法
§6.7. 律法は罪か?
§6.8. 結論
第3部 イエス・キリストの福音
第7章 福音
§7.1. 福音
§7.2. 「聖典(Scriptures)にしたがって」
§7.3. 使信的あるいは告白的な定型句
§7.4. イエス・キリストの啓示
§7.5. 終末的「現在」
第8章 人としてのイエス
§8.1. パウロは生前のイエスに関心があったか?
§8.2. いくつかの前提事項
§8.3. パウロ書簡群に共鳴するイエス伝承
§8.4. イエス
§8.5. メシア
§8.6. アダム
§8.7. 受肉した子?
§8.8. 結論
第9章 十字架のキリスト
§9.1. 死んだ者として
§9.2. 罪の犠牲
§9.3. パウロの贖罪神学
§9.4. 愛する子
§9.5. 律法の呪い
§9.6. 贖い
§9.7. 和解
§9.8. 諸力に対する勝利
§9.9. 結論
第10章 復活の主
§10.1. 十字架と復活
§10.2. 最後のアダム
§10.3. 力ある神の子
§10.4. 主
§10.5. 神としてのイエス?
§10.6. 命を与える御霊
§10.7. 結論
第11章 知恵としてのキリストと先在性
§11.1. 神の知恵
§11.2. 知恵としてのイエス
§11.3. 知恵に関するその他の箇所
§11.4. フィリ2章6–11節
§11.5. アダムの先在性に関する他の箇所
§11.6. 結論
第12章 再臨の待望
§12.1. キリストの再臨(パルーシア)
§12.2. テサロニケ2書における再臨の希望
§12.3. 後期パウロ書簡におけるキリストと終末
§12.4. 来訪(パルーシア)の遅延
§12.5. 結論
第4部 救いの開始
第13章 転換点
§13.1. 新たな時代
§13.2. 出来事としての恵み(カリス)
§13.3. 新たな始まり
§13.4. 救いのメタファ
第14章 信仰による義認
§14.1. パウロに関する新たな視点
§14.2. 神の義
§14.3. パウロの改宗がもたらした影響
§14.4. ユダヤ教における律法の行い
§14.5. 行いによらず
§14.6. 義の自己獲得?
§14.7. 信仰のみによって
§14.8. キリストへの信仰
§14.9. 義認の祝福
第15章 キリストへの参与
§15.1. キリスト神秘主義
§15.2. 「キリストの内に(あって)」、「主の内に(あって)」
§15.3. 「キリストと共に」
§15.4. その他の表現
§15.5. 集合体としてのキリスト
§15.6. キリストへの参与がもたらす結果
第16章 賜物としての御霊
§16.1. 第3の要素
§16.2. 終末的な御霊
§16.3. 御霊を受ける
§16.4. 御霊を体験する
§16.5. 御霊の祝福
§16.6. 結論
第17章 バプテスマ
§17.1. 伝統的理解
§17.2. 釈義上の問題
§17.3. 救いの順序(Ordo Salutis)?
§17.4. 幼児洗礼
第5部 救いのプロセス
第18章 終末的緊張
§18.1. 時代の重なり
§18.2. すでに/いまだ
§18.3. 分断された「私」
§18.4. 肉と御霊
§18.5. キリストの苦しみを分かち合う
§18.6. 救いのプロセスの完成
§18.7. 結論と推論
第19章 イスラエル
§19.1. 序(1):神の言葉は倒潰したか?(ロマ9.1–5)
§19.2. 序(2):イスラエルとは誰か?(ロマ9.6)
§19.3. 第1段階:イスラエルの選びとは何か?(ロマ9.7–29)
§19.4. 第2段階:召命を見誤るイスラエル(ロマ9.30–10.21)
§19.5. 第3段階(1):見捨てられないイスラエル(ロマ11.1–24)
§19.6. 第3段階(2):全イスラエルの救い(ロマ11.25–36)
§19.7. 終着地(ロマ15.7–13)
§19.8. 結論
第6部 教会
第20章 キリストの体
§20.1. 集団アイデンティティの再定義
§20.2. 神の教会
§20.3. 非儀礼的な共同体
§20.4. キリストの体
§20.5. 賜物を授けられた(カリスマ的)共同体
§20.6. 御霊の共通体験
§20.7. 多様性と一致のヴィジョン
第21章 職務と権威
§21.1. 賜物と職制
§21.2. パウロの使徒としての権威
§21.3. 他の職務
§21.4. 女性の職務と権威
§21.5. 会衆の権威
§21.6. 霊を見分ける
§21.7. 結論
第22章 主の晩餐
§22.1. パウロによる「主の晩餐」の神学の難解さ
§22.2. 他宗教からの影響
§22.3. 聖餐の起源
§22.4. コリント教会の状況
§22.5. 主の晩餐に関するパウロの神学1──霊的食物
§22.6. 主の晩餐に関するパウロの神学2──1つの体の分かち合い
§22.7. 主の晩餐に関するパウロの神学3──キリスト論
第7部 キリスト者の生き様
第23章 動機となる原則
§23.1. 叙実法と命令法(indicative and imperative)
§23.2. 再び律法
§23.3. 信仰と「信仰の律法」
§23.4. 御霊と「御霊の律法」
§23.5. キリストと「キリストの律法」
§23.6. 自由と愛
§23.7. 伝統的な知恵
§23.8. 結論
第24章 倫理の実践
§24.1. 社会的文脈
§24.2. 敵対的社会に生きる(ロマ12.9–13.14)
§24.3. 意見の根本的な不一致との共存(ロマ14.1–15.6)
§24.4. 2つの世界を生きる〔Ⅰ〕──性的行為(Ⅰコリ5–6章)
§24.5. 2つの世界を生きる〔Ⅱ〕──結婚と離婚(Ⅰコリ7章)
§24.6. 2つの世界を生きる〔Ⅲ〕──奴隷制(Ⅰコリ7.20–23)
§24.7. 2つの世界を生きる〔Ⅳ〕──社会的関係性(Ⅰコリ8–10章)
§24.8. 募金活動
§24.9. 結論
エピローグ
第25章 パウロ神学への結語
§25.1. 対話としてのパウロ神学
§25.2. パウロ神学の安定した基盤
§25.3. パウロ神学の支点
§25.4. 中心と発展
§25.5. 革新的で永続的な要素
少し前に、日本キリスト教団出版局の注解書のこんなキャンペーンを紹介した。
で、結局こんな買い方をした。
「箴言」「マルコ」「コリント」「ガラテヤ」を買うことで、「哀歌」が無料になったというところだ。
まあ良い買い方が出来たと思う。なぜなら、教団出版局の注解書で出版済みのものの内、ほしかったものはすべて手に入れたからである。現代聖書注解の旧約の一部やセンチュリーの一部は無いものもあるけれど、それはもうよい。ATD・NTDは全冊ほしいと思って買ったけれども、あそこら辺の幾冊かは無くても良い。
ということで、拾い読みをしているわけだが、FFブルースのコリントは、もっと保守的かと思ったが、予想以上に学問的な捕らえ方をしているように思える。NTJのガラテヤも斬新である。哀歌も良い視点。
なかなか良い買い物が出来たと満足している。
今年買った本は他に、JDGダン「使徒パウロの神学」とVTJ「コヘレト」と佐竹朗「Ⅱコリント10~13」とクランフィールド「ローマの信徒への手紙」とNTJ「第1、第2、第3ヨハネ書簡」。いずれも内容が重厚で満足してます。