ののさんとここさん。
二人ともオシャレでしょ
センスって子どもの頃から磨くものなんでしょうね。
大人になったらスタイリストさんやモデルさんになるためには、
小さい頃からのセンスみたいなのも必要なのかもね!
お母さんの両隣にしっかり座って、お食事できました
それとね、お二人からお母さん大好きってオーラが感じられて愛おしくなりました。
お母さんもお子様が大好きな様子がよくわかりました。
だってこのイラストとメッセージ。
どうもありがとうございました
ののさんとここさん。
二人ともオシャレでしょ
センスって子どもの頃から磨くものなんでしょうね。
大人になったらスタイリストさんやモデルさんになるためには、
小さい頃からのセンスみたいなのも必要なのかもね!
お母さんの両隣にしっかり座って、お食事できました
それとね、お二人からお母さん大好きってオーラが感じられて愛おしくなりました。
お母さんもお子様が大好きな様子がよくわかりました。
だってこのイラストとメッセージ。
どうもありがとうございました
大雨と強風で子どもたちが登校するにも帽子が飛ばされたり、
思わず立ち止まったりしてしまうほどですね。
こんな時でも毎日子ども達を見守ってくれる方々が
いっぱいいっぱいいることを改めて実感しました。
はその中のお一人、伊藤さん。
長いこと朝も夕方も通学路に立って安全を守って下さっています。
雨の日も風の日も
寒い寒い吹雪の日も
カンカン照りの日も
伊藤さんは全国小さな親切運動で表彰もされています。
でも伊藤さんは多分表彰されたくて毎日立っていらっしゃるのではないと思うんです。
誰かの評価とか見返りを求めて活動しているのだったら、多分挫折するんじゃないでしょうか。
大きな大きな使命感のようなものを感じます。
伊藤さんの黄色い上着には、たぶん児童が書いたであろう寄せ書きが
いっぱい書いてありました。いいよね
その他にも、安全を守るため毎日通学路に立って下さってるたくさんの方々。
「おはよう!」と声をかけて子どもたちに元気を下さってる方々。
私達が小学生の時だっていたはず。でも大して気に留めてなかったなぁ。
いつの頃も、これからもこうして地域に私達は育ててもらっているのだと思いました。
今朝も揺れましたね。
何ていうか311以来、揺れた時の緊張の度合が高い気がします。
あの日私達は、地も心も大きく揺さぶられたのだと感じています。
少しずつ日常に戻ってくけれど、以前とは確実に何かが変わってきているように思います。
かつて産業革命で経済が変わり、情報革命を経てインターネットが普及したように、
今後は意識革命が起こると聞きました。
大切なものは何か?たくさんの方がそれぞれ考えたでしょうけれど、これからも
少しずつ少しずつ変わっていくような気がしています。
よく聞かれた「きずな」。
語源は「気の綱」なのだそうです。
誰かと思いをつなげることで、離れていてもつながれるのだとか。
最近そんな実体験を感じています。
ネットで見た 母子疎開支援ネットワークhahako さん。
「鶴岡市で一時避難受け入れます」とあり、びっくり
メールしたらなんとすぐ近所の方でした。
現在でも被災地から、あるいは原発で鶴岡市内に避難中の方もいらっしゃると聞きます。
例えば夏休みに避暑に来るくらいの感覚で鶴岡で過ごすのもアリですよね。
応援したい方、どうぞご連絡下さい。
今は亡き店長の母は刺し子が趣味でした。
一針一針縫って作ったのがこののれんです。
若かりし頃は電話局で交換手をしていた今で言うキャリアウーマン的だった女性が
紳士服仕立て屋に嫁いでから、嫌いだった針仕事をしているうち、
刺し子をするようになったのだとか。
晩年は毎日ひたすらに刺していた思い出があります。
家事をするか、刺し子をしているか、くらいでした。
庄内刺し子で代表的な麻の葉の模様に自分で本などから写したりして
デザインを考えて作っていました。
手仕事のあたたかみが感じられる今や大切な財産です。
先日載せた店長のアゴヒゲ時代の写真。
知っている人の昔の写真っていうのは面白いもので、話が弾みますよね。
で、他にもこんな写真が
まだ車が一家に1台ではなかった頃、紳士服仕立て屋の営業もするために
買ったセドリックに乗ったアゴヒゲ姿の店長。
ボンネットに乗っているのは私だそうな。。。
もう少しさかのぼるとこんなのも
カラーではなく白黒の写真。
もっともっとさかのぼって店長が幼かった頃
店長は長男で跡取りとして、他の兄弟とは待遇が違ったそうです。
食事は、家長のおじいちゃん、次にお父さん、その次だったそうです。
お膳は足つきのお膳。他の兄弟は一回り小さくて平膳。もちろん足なんかついていない。
今では考えられませんね