11月23日、奈良の高取山へ行ってきました。
山頂の高取城跡を昼食地点とします。
高取城はもとは周囲3キロにも及ぶお城(城郭の周囲は30キロ)で、
日本最大規模の山城です。日本三大山城です。
この日は、まったくたまたまに城下町の祭りが行われていました。
さらには紅葉の季節、三連休の最終日(?)、そのせいか、凄い人込みでした。
近鉄壺阪山駅。
壺阪山に着く前の電車の中は、山行きの人で満員です。
でも、吉野の方へ行くんだろうな~って思ってたんですよ。
それが、まさかここだとは。
駅から旧街道の石畳を行きます。
家老屋敷長屋門。現在は殿様の子孫が管理しています。県文化財指定。
古い街並がなかなか良い雰囲気です。
お祭りのこともあり、地元の方々がたくさんお店を出していました。
さて、城下町を抜け、観光客も減り、山道へ。
水車小屋が見えます。
朝、この辺りは霧が立ちこめていて、濡れてしまわないか心配したほどです。
田園風景あり。
道標と警告。
「山林内での~火事の元です。と注意下さい」って、
火に気をつけろ!じゃなくて、そういうやつらに注意しろ!って警告?
※「と」だと思ってたら「ご」だと気づきました。
黒門(一ノ門)を過ぎ、
宗泉寺(藩主植村氏の菩提寺)へ。
あ、宗泉寺は門の前までは行きましたが、軽く無視しちゃいました。
宗泉寺
「七曲がり」と言われる曲がりまくった坂道へ突入します。急坂です。
道標。
気持ちとしては、いや実際100曲がりって感じです。
ふぅ。ひと休み。うめ子。
本格的な細い山道に入った辺りでは人の列が出来ていました。
有名な山、とくに富士山だとかはこんな感じなのかなと少し思いました。
道標。
「土佐街並」とありますが、高取の大昔の旧名が土佐です。
道標。
あまりに急坂のため、労働者にボーナスとして米一升!
そういういわれのある坂だった気がします。
道標
猿石を見ておきます。
猿石
猿石は1690年頃(元禄年間)に飛鳥で発掘されました。
なぜここに移されてきたんでしょうね。
謎の石造物です。
道標
このあたりに「国見櫓」への道があります。
そこへ少し寄り道をすると、コーヒーブレイクに丁度いい場所に出ます。
景色も抜群です。
左に見える山が葛城山。雲に隠れている辺りが大阪方面で六甲山や二上山が見えるはず。
雲が無ければ、信貴山、六甲山が見えるはず。
ブログもコーヒーブレイク。
それじゃ今日はこれくらいで。またね。
山頂の高取城跡を昼食地点とします。
高取城はもとは周囲3キロにも及ぶお城(城郭の周囲は30キロ)で、
日本最大規模の山城です。日本三大山城です。
この日は、まったくたまたまに城下町の祭りが行われていました。
さらには紅葉の季節、三連休の最終日(?)、そのせいか、凄い人込みでした。
近鉄壺阪山駅。
壺阪山に着く前の電車の中は、山行きの人で満員です。
でも、吉野の方へ行くんだろうな~って思ってたんですよ。
それが、まさかここだとは。
駅から旧街道の石畳を行きます。
家老屋敷長屋門。現在は殿様の子孫が管理しています。県文化財指定。
古い街並がなかなか良い雰囲気です。
お祭りのこともあり、地元の方々がたくさんお店を出していました。
さて、城下町を抜け、観光客も減り、山道へ。
水車小屋が見えます。
朝、この辺りは霧が立ちこめていて、濡れてしまわないか心配したほどです。
田園風景あり。
道標と警告。
「山林内での~火事の元です。と注意下さい」って、
火に気をつけろ!じゃなくて、そういうやつらに注意しろ!って警告?
※「と」だと思ってたら「ご」だと気づきました。
黒門(一ノ門)を過ぎ、
宗泉寺(藩主植村氏の菩提寺)へ。
あ、宗泉寺は門の前までは行きましたが、軽く無視しちゃいました。
宗泉寺
「七曲がり」と言われる曲がりまくった坂道へ突入します。急坂です。
道標。
気持ちとしては、いや実際100曲がりって感じです。
ふぅ。ひと休み。うめ子。
本格的な細い山道に入った辺りでは人の列が出来ていました。
有名な山、とくに富士山だとかはこんな感じなのかなと少し思いました。
道標。
「土佐街並」とありますが、高取の大昔の旧名が土佐です。
道標。
あまりに急坂のため、労働者にボーナスとして米一升!
そういういわれのある坂だった気がします。
道標
猿石を見ておきます。
猿石
猿石は1690年頃(元禄年間)に飛鳥で発掘されました。
なぜここに移されてきたんでしょうね。
謎の石造物です。
道標
このあたりに「国見櫓」への道があります。
そこへ少し寄り道をすると、コーヒーブレイクに丁度いい場所に出ます。
景色も抜群です。
左に見える山が葛城山。雲に隠れている辺りが大阪方面で六甲山や二上山が見えるはず。
雲が無ければ、信貴山、六甲山が見えるはず。
ブログもコーヒーブレイク。
それじゃ今日はこれくらいで。またね。