「情」というもの
小林秀雄が「殆どのものは情で片付く」と言ったが、これは彼自身が情に脆かったのだと、自らの有様を吐露しているにすぎぬ。ただその情が若干緻密で思考と結びついていたから深く懊悩したのである。彼自身が情に惑わされて或る地点に至ると視界が曇るのはそれ故である。
人は環境により影響を受けるがその逆も然りである。個々人の自我は世界と密接に連動しているが、個体を所有している限り外的世界とも対立している。
私がかつて「小林秀雄論」を書いた時は彼の情の脆さ、優しさに準じ、即して書いた。
だが私自身が還暦を超えても未だ生かされているという事はやり残している事がまだ多くあるという事であろう。
かつて「小林秀雄を超えて」という人物等の浅薄な考察の著作を読んだ。
今日でも小林秀雄が謂わんとした内容、本質は頗る難解のようである。
自明であるが、誰でも自分自身に引きつけて読み解くしかない。各自の人生観の自覚の程度により視点観点が違う。これも当然の事である。例外無く自分自身が苦労して得たものを捨てる者はいない。無論、自分自身の視点観点を捨て去ることが出来得れば物事を公正かつ偏見なくあらゆる事物や現象を観る。
おのれを消去して観る事の出来る存在には自明の事であろう。此処に又情の厄介さが忍び込む。捨てても良い情と捨ててはならぬ情というものがある。是もまた同じ「情」という言葉の質という問題が生じる。
今日のように相対的世界観が蔓延している時代に於いては十人十色とは真に個々人に都合のよい言葉である。
下記に掲載する引用文は、私が肺結核になる前年に書いた文章である。推敲もせずに一気に書き上げた故足取りは乱れて文章の体を為してはいぬが、謂いたい事は言っている。
ただ、今は同じ内容でももう少し違う書き方をするであろう。今でも内容自体は大して変わらぬと思うが。
―――――
「表現について」(1)」
次の文章は小林秀雄の「批評家失格」に書かれていたものだが、今日におい
ても最も重要と思われる問題を含んでいる。それに私自身一表現者として、一
生活者として「核」に係わる問いでもある。少々長いが引用する。
「――『件pを通じて人生を了解する事は出来るが、人生を通じて件pを決し
て了解する事は出来ない』と。これは誰の言葉だか忘れたが或る並々ならぬ作
家が言ったことだ。一見大変いい気に聞こえるが危い真実を貫いた言葉と私に
は思われる。普通の作家ならこうは言うまい、次のように言うだろう。『件p
は人生を了解する一方法である』と。これなら人々はそう倨傲な言葉とは思う
まい。だが、これは両方とも同じ意味になる、ただ前者のように言い切るには
よほどの覚悟が要るだけだろう。理屈を考える事と、考えた理屈が言い切れる
事とは別々の現実なのだ。
件pの、一般の人々の精神生活、感情淘汰への寄与、私はそんなものを信用
していない。(略)彼らは最初から、異なったこの世の了解方法を生きて来た
のだ。異なる機構をもつ国を信じて来たのだ。生活と件pとは放電する二つの
異質である。』と。
断わっておくが、この文章に吐かれた言葉は小林秀雄の本音ではない。彼の
時代状況と若さが言わしめた言葉である。方便と言えば方便、レトリックと言
えばレトリックである。
もし、小林秀雄が先の言葉を本気で吐いたものであれば彼が最も強く影響さ
れたフランスの天才詩人アルチュール・ランボオのごとく「砂漠」にそうそう
に消えたであろう。もし私が小林秀雄の他の文章を読まず、先の引用文だけを
読んだとしたら「何というど盲な男だ!」と思っただろう。こんな男に人生だ、
件pだ、などとうんぬんする資格はない!と、断じる。――残念ながら、遺憾
ながら、ここに「表現」の難しさがある。伝達の困難がある。
又、少々長いが別の面白い引用文をのせる。「わたしはキリストにあって真
実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこう証し
をしている。すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる
痛みがある。実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身
がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。――」(ローマ人への手紙、
第九章)と。これはパウロのセリフである。かつてパウロは最も過激なキリス
ト教徒の迫害者であった。――ダマスカスへの途上の路上で、ふいにキリスト
の「啓示」を受けた。以来、最強のキリスト教の戦士となる。その存在が小林
秀雄と似たようなセリフを吐く。吐かざるを得ぬ、――。
紀元前になると少々事情が異なる。ソクラテスは真理を説きつつ、たとえ国
法が誤っていても国自体には汲ゥず「毒杯」をあえて仰ぐ。ソクラテスは
小賢しいレトリックなど一切認めぬ。緻密な対話法を持って相手を着実に「無
知の知」へと追いつめる。がゆえに敵を作り、謀られて死刑を宣告される。
だが深く見れば彼らには時代を超えて常に一貫した精神が流れている。ソク
ラテスと同時代人の荘子においても表現の仕方は違うが「――自分が蝶なのか
蝶が自分になった夢を見ているのか」と。自己と自然の、万物との境界は有る
ようで無く、無いようで有る。その区別がつけがたいと、これはソクラテスの
無知の知と同質の内容である。人間のなかに、あらゆる現象的錯覚や思い込み、
偏見がある限り、実体はつかめず、真理へは至らない。常に彼らに流れている
のは真理への愛、万物への愛、人間に対する愛である。このことは現代におい
ても同じである。ただ時代やその時々の状況や、その個人をとり囲む環境が表
現方法や形式を生み出す。又、その努力をする。無論、その個々人の能力や素
質に応じてというのはいうまでもない。
一九八九年十月九日
小林秀雄が「殆どのものは情で片付く」と言ったが、これは彼自身が情に脆かったのだと、自らの有様を吐露しているにすぎぬ。ただその情が若干緻密で思考と結びついていたから深く懊悩したのである。彼自身が情に惑わされて或る地点に至ると視界が曇るのはそれ故である。
人は環境により影響を受けるがその逆も然りである。個々人の自我は世界と密接に連動しているが、個体を所有している限り外的世界とも対立している。
私がかつて「小林秀雄論」を書いた時は彼の情の脆さ、優しさに準じ、即して書いた。
だが私自身が還暦を超えても未だ生かされているという事はやり残している事がまだ多くあるという事であろう。
かつて「小林秀雄を超えて」という人物等の浅薄な考察の著作を読んだ。
今日でも小林秀雄が謂わんとした内容、本質は頗る難解のようである。
自明であるが、誰でも自分自身に引きつけて読み解くしかない。各自の人生観の自覚の程度により視点観点が違う。これも当然の事である。例外無く自分自身が苦労して得たものを捨てる者はいない。無論、自分自身の視点観点を捨て去ることが出来得れば物事を公正かつ偏見なくあらゆる事物や現象を観る。
おのれを消去して観る事の出来る存在には自明の事であろう。此処に又情の厄介さが忍び込む。捨てても良い情と捨ててはならぬ情というものがある。是もまた同じ「情」という言葉の質という問題が生じる。
今日のように相対的世界観が蔓延している時代に於いては十人十色とは真に個々人に都合のよい言葉である。
下記に掲載する引用文は、私が肺結核になる前年に書いた文章である。推敲もせずに一気に書き上げた故足取りは乱れて文章の体を為してはいぬが、謂いたい事は言っている。
ただ、今は同じ内容でももう少し違う書き方をするであろう。今でも内容自体は大して変わらぬと思うが。
―――――
「表現について」(1)」
次の文章は小林秀雄の「批評家失格」に書かれていたものだが、今日におい
ても最も重要と思われる問題を含んでいる。それに私自身一表現者として、一
生活者として「核」に係わる問いでもある。少々長いが引用する。
「――『件pを通じて人生を了解する事は出来るが、人生を通じて件pを決し
て了解する事は出来ない』と。これは誰の言葉だか忘れたが或る並々ならぬ作
家が言ったことだ。一見大変いい気に聞こえるが危い真実を貫いた言葉と私に
は思われる。普通の作家ならこうは言うまい、次のように言うだろう。『件p
は人生を了解する一方法である』と。これなら人々はそう倨傲な言葉とは思う
まい。だが、これは両方とも同じ意味になる、ただ前者のように言い切るには
よほどの覚悟が要るだけだろう。理屈を考える事と、考えた理屈が言い切れる
事とは別々の現実なのだ。
件pの、一般の人々の精神生活、感情淘汰への寄与、私はそんなものを信用
していない。(略)彼らは最初から、異なったこの世の了解方法を生きて来た
のだ。異なる機構をもつ国を信じて来たのだ。生活と件pとは放電する二つの
異質である。』と。
断わっておくが、この文章に吐かれた言葉は小林秀雄の本音ではない。彼の
時代状況と若さが言わしめた言葉である。方便と言えば方便、レトリックと言
えばレトリックである。
もし、小林秀雄が先の言葉を本気で吐いたものであれば彼が最も強く影響さ
れたフランスの天才詩人アルチュール・ランボオのごとく「砂漠」にそうそう
に消えたであろう。もし私が小林秀雄の他の文章を読まず、先の引用文だけを
読んだとしたら「何というど盲な男だ!」と思っただろう。こんな男に人生だ、
件pだ、などとうんぬんする資格はない!と、断じる。――残念ながら、遺憾
ながら、ここに「表現」の難しさがある。伝達の困難がある。
又、少々長いが別の面白い引用文をのせる。「わたしはキリストにあって真
実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこう証し
をしている。すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる
痛みがある。実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身
がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。――」(ローマ人への手紙、
第九章)と。これはパウロのセリフである。かつてパウロは最も過激なキリス
ト教徒の迫害者であった。――ダマスカスへの途上の路上で、ふいにキリスト
の「啓示」を受けた。以来、最強のキリスト教の戦士となる。その存在が小林
秀雄と似たようなセリフを吐く。吐かざるを得ぬ、――。
紀元前になると少々事情が異なる。ソクラテスは真理を説きつつ、たとえ国
法が誤っていても国自体には汲ゥず「毒杯」をあえて仰ぐ。ソクラテスは
小賢しいレトリックなど一切認めぬ。緻密な対話法を持って相手を着実に「無
知の知」へと追いつめる。がゆえに敵を作り、謀られて死刑を宣告される。
だが深く見れば彼らには時代を超えて常に一貫した精神が流れている。ソク
ラテスと同時代人の荘子においても表現の仕方は違うが「――自分が蝶なのか
蝶が自分になった夢を見ているのか」と。自己と自然の、万物との境界は有る
ようで無く、無いようで有る。その区別がつけがたいと、これはソクラテスの
無知の知と同質の内容である。人間のなかに、あらゆる現象的錯覚や思い込み、
偏見がある限り、実体はつかめず、真理へは至らない。常に彼らに流れている
のは真理への愛、万物への愛、人間に対する愛である。このことは現代におい
ても同じである。ただ時代やその時々の状況や、その個人をとり囲む環境が表
現方法や形式を生み出す。又、その努力をする。無論、その個々人の能力や素
質に応じてというのはいうまでもない。
一九八九年十月九日
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