運転免許証更新。

2021-03-17 20:55:01 | 日記
もはや身分証明書でしかない運転免許証を更新した。

ワタシは、
誕生日より前には更新したい!
という意味不明なこだわりがあり、
誕生日前に行ってきた。


いつだったか、
メガネを忘れて更新出来なかったこともあったな…。
サイアクな思い出。


都庁の免許更新センターに行ったんだけど、講習は都庁の中の通路の隅にパーティションで仕切られた仮設会場だった(笑)


コロナ対策で人数制限があるから、
仮設会場をいくつも作ってやっているらしい。

混んでるかなーと思ったけど
流れ作業でサクサクと進んで、
写真もパパッと撮られて。

「スーパーで
あんパン万引きして捕まった
太ってる疲れた主婦」
って感じの仕上がりになった。


(^-^)v

ミートソース。

2021-03-17 20:21:59 | おうちごはん

ミートソース作った。
旨かった。

かわいいから島から持ってきたお皿。

こういう昭和っぽいの好き。

島で家の片付けを少しづつやっている。

食器棚がパンパンで
出し入れがストレス!!

ジェンガ状態なのよ(*_*)


母さんに言うと
「そのうちやる」だの
「もったいない」だの
言うから、

「もう、わざと皿割っちゃいたいよね😑」
とノラと話した…






1月22日のこと。

2021-03-17 15:48:00 | 日記
この日は遅番で、
11:15に家を出るつもりだった。

父母宅分の洗濯を済ませ、
「洗濯物終わったから取りに来てー」
と母さんに連絡したのが午前10:00前くらいだったか?

母さんが洗濯物を取りに来て
また家に戻り、
ワタシはせっせと仕事に行く準備をしていた。

そろそろ出ようかな?
と思っていたところに
母さんからの電話。


「病院から電話があった!
すぐ来てくださいって!
タクシー呼んで!」


ワタシはその時にはもう家を出れる状態だったので、
タクシー会社に電話をかけながら父母宅へ向かう。

電話がなかなか繋がらない。

やっと繋がった。
5分くらいで来るとのこと。

母さんと父母宅前で合流。

母さんは、
どうしようどうしようと動揺している。


病院から詳しいことは聞いてなくて、
「すぐ来てください」
だけだったそう。

見てみると、
ワタシのスマホにも病院からの着信が残っていた。

着替えたり化粧したり、
仕事へ行く支度をしていて気づかなかった。


タクシーの中から、
母さんが病院に電話をして様子を聞く。



心肺停止だが、
色々手を尽くしてるとのこと。


どうしてそうなったのかも
何も分からないまま病院へ向かう。


心肺停止。

普通の人の20%しか機能してないというお父さんの心臓が、
また動きだすってことは無いだろうな…と思った。


昨日の夜、いつもより元気そうにしてたのに??
あれが最後???
帰って来ないの?
もう会えないの?
やだ…


病院に着いて案内された先には、
強心剤を打ち
呼吸器?をつけてマッサージをされているグッタリしたお父さん。


靴下を履いた力のない足先が目に入り、
あぁ…死んでるんだ
と思った。


透析前に
更衣室で倒れていたということだった。

なかなか透析室に来ないから、
看護士さんが更衣室に見に行ったら、倒れていたらしい。

発見までどのくらい時間が経っていたのか、聞いたような聞いてないような…よく覚えていない。

心臓マッサージを
「もう30分以上続けているけど、
これ以上やっても…」
という先生のお話し。

分かりました
と言うしかない。

最終的には心不全ということになってしまうけど、
調べなければ直接的な死因は分からない。

不整脈が起きて、
植え込み型除細動器が機能しなかったのかもしれないし、
何か他のことかもしれないけど
調べなければそれは分からない。

CTにかけて調べることも出来ますがどうしますか?
と聞かれた。

今さら調べてたところで…なんだけど、
家族の気持ち的に
ハッキリしたいなら…ということ。


かわいそうだからもういいよね、
と母さんと意見が一致した。

お父さんは、
まだ温かく
目は少し開いていて
全く苦しそうな顔をしていなかった。

きっと一瞬で
すぅーっと眠るように逝ったんだ。

きちんと透析用のパジャマに着替えて倒れていたお父さん。

看護士さんが
「これですか?」と
ロッカーの洋服と荷物を持ってきてくれた。


お父さんらしく几帳面にハンガーにかけられた服。

当たり前にこれを着て帰ってくるはずで、
お父さん本人も
いま死んじゃうなんて思ってなかっただろうに…。

病院に行く前に、
肉丸にも電話を入れておいたので
仕事を切り上げて肉丸も到着。

近くに住んでいるお父さんのイトコも来てくれた。

そこからはもうバタバタと色んなことが進んだ。

悲しむ間も無いってよく聞くけど、
ほんとそんな感じ。

すぐ葬儀社の人が来て、
棺を選んだり。

一旦お父さんは葬儀社に行くことになったので、
私たちは
お父さんが病院を出たタイミングで家に帰り荷物をまとめる。

遅番だから…と肉丸に作った大量の寄せ鍋を捨てたり、
それはそれは忙しかった。

葬儀社に着くと、
近くに住んでいる父さんの同級生が二人来てくれていた。

船の時間に間に合うように
葬儀社を出た。

母さんはお父さんと一緒。
私は肉丸の車で。

さっき居た父さんの同級生が
港にも来てくれていた。

お父さんのまた別のイトコや
Sー子ちゃん姉妹も。

何年か前にお父さんが入院していた時は、
「棺桶で島に帰るじゃあんまいなー😆」
と冗談で言えたけど、
今回の入院や退院後は
あまりにもリアル過ぎて、
そんな冗談は言えなかった。




少し落ち着いて考えると、
お父さんは完璧な段取りだった。

亡くなる日は私が遅番で、
夜船がある日で
(ちなみに前夜は夜船のない日)
場所は病院で。


これが私が早番の日だったら…
母さん1人では大慌てで
番号は教えてあったけど、
タクシーすら呼べなかっただろう。

夜船のない日だったら、
次の日のJFか葬儀社に1泊か。

昼のJFは個室がないから目立つ。
一度そういう場面に遭遇したことがあるけど、
他の乗客は
ちょっとビックリしちゃう…。

倒れたのが家だったら?
お風呂とか、
母さんとあたしが買い物行ってて留守だったら?

救急車呼んだり、
呼んでもなかなか来なかったり
受け入れ先が見つからなかったり
うちらも
きっとヤキモキしただろう。

そういった意味では、
ほんとに私と母さんの負担は最小限だったと思う。

島に着いたら、
たくさんの人が迎えに来てくれていた。

こんなに来てくれるのは珍しいど、
と何人にも言われた。

コロナのこの状況で
本当は良くないことなんだけど、
純粋に
お父さん、良かったね」
と思った。

お父さんは亡くなる2日前に、
広尾の定期検査に行っている。

私は、
その定期検査で引っかかって
また入院になるんじゃないかと思っていた。


次に入院したら、
そのまま病院で最期を迎える…ということになるんじゃないか?と。


病院終わりの父さんに聞いたら、
心臓はあんまり良くないと言われたらしい。


このコロナ騒ぎがなかったら
入院になってたんじゃないかと思う。

もし入院していたら、
まだ生きていたかもしれないし
病院で同じように倒れて
そのままだったかもしれないし、
それは分からないけど、

入院するとゴハンが食べられなくなって、
どんどん弱っていったから
最期の最期まで自由に外で暮らせて、これで良かった。

私と母さんに
やいのやいの言われつつも
ある程度好きなものは食べて、
こっそりタバコも吸えてたしね(笑)


お父さん、うまくコロナをすり抜けてたな😏