彼女の内では自問し戦っていたかもしれないけれど、自分を失い他者との疎通も失くし七年もの間揺蕩って、ついに息絶えたつるし雛の友達のお別れに行って来ました。思い返せばつるし雛は彼女が友達から型紙を借りてきて私たち数人で始めた事がきっかけでした。大らかでいつも賑やかに話していた彼女ですが、認知症は何処からどのようにやって来て取り付くのでしょう。ご主人は「我が家の太陽が沈みました」と言葉すくなに挨拶なさった。私は10年近く彼女に会わなかったが、彼女が認知症になった事が悲しくて同時に怖くて胸は一杯になり、知らせを聞いた時は倒れそうだった。
写真は母の遺品の着物の喪服を洋服にリメイクしたブラウス。背中に紋が出るようにデザインし、喪の時だけでなく少し改まったシーンにも着られるようにしてある。勿論スカートも。珊瑚のお数珠はこれも母の形見です。み~んな悲しい、寂しいことばかりです。
写真は母の遺品の着物の喪服を洋服にリメイクしたブラウス。背中に紋が出るようにデザインし、喪の時だけでなく少し改まったシーンにも着られるようにしてある。勿論スカートも。珊瑚のお数珠はこれも母の形見です。み~んな悲しい、寂しいことばかりです。