著者は1950年6月横浜からマニラ、シンガポール、コロンボを経て民族に触れながら、シブチに感動しコルシカ島の前を通りフランス、マルセーユに一ヶ月後到着する。船旅は四等、不潔で暑さと船酔いに悩まされ壮絶な旅だった。リヨンでの生活はフランス語が達者だった著者はクリスチャンとしてリヨン大学で勉強する。多くの本を読みフランス国内を旅し、しかし孤独にも陥り結核発症に生きたいと叫び、これからカトリックの信者として又作家にならんとしている時の苦悩は大変なものであった。二年半の留学生活に終止符を打ちブロンドの恋人とも別れ帰国をする。カトリック関係者や多くの友達との交友、フランス国内は勿論、イギリスやスイスへの旅などこの後の作家としての糧を得たのだと思う。偉大な作家の日記はとても深く、立派な随筆であり物語でもある。やはり留学中の日記はフランスの旅行記のようで面白く読後の充実感が私の心のエナジーになった。心を奪われたあの”沈黙”には私がまだ50歳を過ぎたばかりの頃出会った。苦しくて苦しくて悲しく、しかし何処かに希望を見出そうと必死に読んだ。歳を重ねた今はとても自身が耐えられなく押し潰され読めないとつくづく思う。数年後世田谷文学館で遠藤周作文学展を観たが木製の”踏み絵”やいつも枕元に置かれていた母親からのマリア像など彼の晩年を偲び切なかった事を思い出す。その後私は長崎の外海の遠藤周作文学館も訪ねてしまった。