直木賞受賞の”ホテル・ローヤル”は日陰の男女が端正な筆致で書かれていて決して淫らな情感は湧かず感心した。この”ブルース”も影山博人という出自もあやふやな…が「ぞっとするような色気があり、6本の指を持っている」男を軸にミステリアスに話が進む連作短編集で面白かった。指が6本あるが格好が良くて多くを語らない男…気持は悪いがこの男を知りたいと言う思いが膨らむ。著者は「原田康子の挽歌に影響を受けた」と何処かで言っていた。釧路を舞台に静かな流れの中にも背後にある苛烈な生き方の退廃的で暗闇の部分が、何故か夢まぼろしにさえ思わせる筆致が不思議でシャンソンやファドに通じるものを感じた。彼女には短編の名手になって欲しい。
珍しくもないけれど、私の好きな丸大根が手に入り、そして鰤の切り身が安かったので鰤かまでなく切り身の鰤大根となりました。かまより少々酷がなくあっさりした鰤大根です。椿の花(ハンド・ライティング)の当地作家の器がお惣菜を引き立てています。
昨年の夏三大映画祭週間が首都圏ではあったようですが、我が田舎は只今で巨匠集の一つ”仕立て屋の恋”を観た。原作ジョルジュ・シムノンはメグレ警視シリーズで有名なベルギーの作家で若かりし頃よく読んだ覚えがある。1992年に公開された”仕立て屋の恋”は原題”イール氏の犯罪”人付き合いが下手で隣人からは疎まれ孤独に生きる神経質な中年男イールの唯一の楽しみが、向かいに住む若い女性を覗き見すること。そして愛してしまい女性が関わった殺人事件に巻き込まれ裏切られ「私は後悔していないが、胸が苦しい」と伝える。いい人なのにただ不器用で一途なところが切なくて悲しくて私も胸が苦しくなった。抑えたパステル調の画面、スクリーンの大きさとまさに大人の映画だと思った。切なくて悲しいのに何故か心の充足を覚えます。
昨夜は12時までストーブを焚いていたが、今朝6時半に起きたらリビングは6℃しかなかった。日が登ると暖かく一昨日の雨のお陰で大気は澄んで、きりりとし雲一つない青空が広がりました。お昼前裏山へウォーキングに行きヒル・トップでご覧のような富士山に出会いました。電線が邪魔しない富士山の写真は難しい。我が家の庭からの富士山はお隣に家が建ち消滅、北北東の片隅にある物置小屋の端の狭い空間にやっと顔を覗かせています。家を建てた30年前は立派に我が庭の富士山として鎮座ましましていたのに…。