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お好み夜話-Ver2

レジェンドから明石焼を学ぶ

15年前に明石焼をやめたワケは、オーダーが入って焼きはじめるともうそれに掛かり切りになってしまい他のものが何も作れず、それに加えて当時もタコがものすごく値上がりしたということがあった。

 
ま、それも真実なのだが・・・。
 
 
2013年の「大阪マラソン」以来11年ぶりに千日前道具屋筋にやって来た。
 
明石焼の焼き台と銅の焼き鍋を仕入れるために、宇宙人みたいなロボットに案内されて進む。
さすが大阪、使命を与えられたエイリアンくんは外人観光客に「ワタシには仕事があります」と告げて人混みを避けてゆく
 
目当ての店で明石焼の台と鍋を仕入れ、こと粉もんの道具になるとかっぱ橋とは比較にならないほど品揃え豊富な店々で必要なものを買って、今度は心斎橋へ向かう。

「大阪マラソン」で走った御堂筋を進み、PARCOの地下の入口に設置されている

ゴジラ第二作目の通称「逆ゴジ」像を見た。

せっかく大阪にきたんやから、これを見なきゃゴジラ好きとはいえんやろ^_^


そこから御堂筋線に乗って梅田まで移動し、大阪駅から山陽本線 新快速 姫路行に乗って明石へ。

明石へ来るのは2014年の「第4回神戸マラソン」以来10年ぶり。
 
懐かしの「魚の棚商店街」。
ここで「ハゲ食いましょう、ハゲ」と人の顔を見て「ホリちゃん」に調子こかれ、美味い「ハゲ=カワハギ」を食べ明石焼を味わったものだ。
 
明石へ来た目的は本場の玉子焼=明石焼をふたたび味わい再確認することと、明石焼専門店「よこ井」を再訪することだ。
 
大正8年に「向井清太郎」さんという方が屋台で玉子焼=明石焼を売り歩いたという記録が確認されているもっとも古いもので、その「向井流」のレシピをそのまま受け継いでいるのが「よこ井」というお店。

店主の横井さんは推定83、4歳の小柄な方で、たとえば20歳でお父上から店を引き継いだとしたらなんと60数年間も明石焼一筋で商売をされてきたということになりまさに明石焼のレジェンド。
そのレジェンドに教えを請うべく焼くところを見せてもらい、写真撮影とお話しをお聞きした。

明石では20個が一人前というところが普通なのでその鍋もあるが、寄る年波で20個の鍋はキツイのでゴメンねと微笑まれ、かつてモグランポでも使っていた10個の鍋で焼いてくれた。

動作はゆったり何のてらいもなく、実に柔らかく生地が返されてゆく。
 
台(あげ板)の上に並んだフワッフワの明石焼、

隣にあるのが冷たいだし汁。
 
あわてて口に入れようとする小僧を押しとどめ、だしをちょっとかけて冷ますように教える。
 
大正の昔から、小僧のように熱いとわかっているのに頬張っちゃう人がいたものだから、この「向井流」の冷たいだしにつける食べ方が開発されたのだ。
 
その伝統の明石焼を粗熱がとれたのを見計らって口に入れてみると、えも言われぬ優しい食感と上品な味にかあちゃんと顔を見合わせる。
 
そうだ、そうなのだ、この味をだそうとやってみたのだが、どうにも自分なりに納得がいかなくてやめてしまったのがもう一つの真相なのだ。
 
20個の明石焼を家族三人瞬く間に腹におさめ、オヤジはビールで喉を潤し、いろいろとお話しを伺って感激した。
 
その様子に「よこ井」のお母さん
 
「あんたまさか、こんな儲からない商売をやろうなんて考えてるのとちがうか?」
 
と逆質されてしまった。
 
そう言われてしまったので、実はと、27年前に商売を始めて明石焼もやっていたのだと明かし(シャレじゃない)、今回明石焼をふたたび始めるにあたって基本を学びにきたのだと正直に話した。
 
するとお母さん、よっしゃとばかりにさらに詳しい話しをしてくださり、オヤジの疑問が一気に晴れたのだが、蛸が不漁で値上がりしていると嘆き、デタラメな明石焼が横行していると嘆き、跡継ぎがいないことを打ち明けられ、「向井流」のレシピは墓場まで持っていくとおっしゃられた。
 
それはもったいない、歴史的損失と言ったら、
 
「じゃあんた、このレシピこうてくれるの」
 
と返されてしまい、タジタジ・・・。
 
それでもいろいろなことが腑に落ち、「また困ったことがあったらいつでもおいで」と言ってくださったので、モグランポの所番地とオヤジの名前を書いてお渡しした。

お母さんありがとう、お元気で👋
 
「よこ井」を出て次は、「向井清太郎」がはじめた屋台の流れを汲むという「本家 きむらや」へ。

「向井」の流れをくむのならこちらが元祖のようだが、なんでも「向井」は子息にもレシピを教えなかったらしいので、やはり「よこ井」が元祖で「きむらや」は本家になるようだ。
 
でこちらも20個をたのんで、3人でそれでは申し訳ないからとオヤジはまたビールを飲み、今度は小僧もあわてず、だが熱い出し汁に漬けて食べた。

そしてかあちゃんとまた顔を見合す。
 
生地の具合も「よこ井」とはぜんぜん違うし、だし汁はうどんの汁のように濃い。
 
なるほどこんなに違うものか、こちらがスタンダードと思われたら「よこ井」は物足りないに違いないが、オヤジは断然「よこ井」派でそちらを目指すとあらためて思った。
 
もう1軒「神戸マラソン」の時に師匠に連れて行ってもらった「いづも」という店に行ってみたが、あいにくこちらは休みだった。
 
「いづも」はビックリするぐらい強火でガンガン焼いてパッと仕上げるのだが、なかなかわるくない味だったと記憶しているので食べられなくて残念であった。
 
 
でもまあそこそこお腹もいい感じだし、ふたたび電車に乗って今度は三ノ宮へ。
 
三ノ宮周辺もずいぶん歩き回ったものだが、さすがに10年も経てば街も変わり記憶も薄れてしまったものの、神戸の明石焼=三つ葉の入った熱いだし汁に漬けて食べる大人の明石焼として学んだ店「たちばな」へは迷わず行けた。

こちらでも20個をたのみ、申し訳ないからまたオヤジはビールを飲み、27年前と変わらない味を堪能した。
 
モグランポの明石焼のだし汁が容器に入って出され三つ葉を入れるのはこの店の影響大なのだが、今回はそのスタイルを少し変えるかもしれない、お客さんの言うままにソースを出したり紅生姜を入れたりするのは固くお断りしようと思う。
 
「よこ井」のお母さんのポリシーに賛同したので冷たいだし汁も取り入れたいし、シンプルを目指したいと思うが、蛸以外の具材を入れるのは時代の趨勢ということで大目に見てもらおうかな・・・。
 
「たちばな」でかなり満腹になったので腹ごなしに南京町の方へ歩いていくと、確かこの辺りにあったハズだがとキョロキョロして見つけた。

こちらも27年前に訪れた「蛸の壺」。
 
さすがに腹一杯で入りはしなかったが、飲み助がもうひとりいたら間違いなく扉を開けていただろう。
 
夕暮れせまる中華街をブラブラ、
目だけは旨そうな物を欲しがるが、もはや27年前とは違うポンコツジジイであります。
 
コーヒーだけ飲んで三宮駅へ戻る。

ホームドアではなくてロープ、酔っ払いがプロレスの真似をして突っ込まないかと心配してしまいながら電車に乗って新大阪へ。
 
駅にあった明石焼の自販機。

そしてこれまた27年前に十三で食べて参考にさせてもらったねぎ焼の「やまもと」がこちらにも進出していた。

だがさすがにもう食べられないので、待っている間に申し訳ないから生ビールをいただき、テイクアウトした。
店で使っていたのとおんなじテイクの容器に入ったねぎ焼は、以前より小さいかも、そして以前より値上がりしているかも、そりゃそうだこんな時代だもの。
 
明石焼もやはりどこも値上がりしていて、入っている蛸もやはりちょっと小さ目だったが、そりゃ、そりゃそうさ、こんな時代だもの。


朝早く出て日帰りだったが、いろいろ成果があって良い旅であった。
 
店ができて明石焼が焼けたら、その写真とともに「よこ井」のお母さんに手紙を出そうと思う。
 
長いこと明石焼一筋でやっているレジェンドも時には失敗することもあるのだそうな、それほど同じ鍋で同じ加減で焼いてもうまくいかないこともあるそうなので、たかだか10年で諦めてしまったオヤジなんか甘ちょびんというほかないと思い知った。
 
「よこ井」のお母さんが元気なうちに納得できる明石焼を焼いて、魚の棚をまた訪ねたいと決意した旅だった。

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