このコロナ禍の前からもう長くないと言われ、何回かは覚悟してくださいと医者から告げられながら、その都度持ち堪えていたばあちゃんだったが、96歳の誕生日を目前にして逝ってしまった。
このコロナ禍で天草へ帰ることはできず、実の母親の死に目にも会えず、かあちゃんは小僧のこともあって毎晩眠れない日々を送っている。
「オレはもうブスになってしまったなあ」
と、テレビでAKB48をみながら笑うありし日のばあちゃんを思い出し、オヤジも眠れない。
「天草弁はわからんじゃろ?」
とオヤジに気をつかってゆっくりなんちゃって東京弁で話してくれるばあちゃんが可愛らしかった。
なんの因果かはわからないが、小僧の腎臓摘出手術とオヤジの白内障の手術が同じ3月11日に決まり、それはばあちゃんの96歳の誕生日なのだ。
天草にはいつになったら行けるのだろう?
2月1日、2日、3日と朝8時前に駅のホームに立ち、通勤のように京成電車に乗ってクリニック、女子医大、東大病院へ行った。
いずれも医療機関ではお金はかからず、都営線と都営バスも無料で乗れるので、お金を払うのはの上野駅までの京成線の行き帰りの運賃とコーヒー代や昼食代だけだ。
前回1日がかりだった東大病院は今回は昼前に終わったが、検査でまた目に霞がかかって世の中ピンボケで歩くのが危なっかしい。
外へ出ると陽射しが酷く眩しく、サングラスなしではとても目を開けていられない。
かあちゃんに腕を取られて、それでも歩いて上野駅まで帰ろうと構内を進むと、東大の第二食堂が営業中と出ていたので昼を食べていくことにした。
歴史を感じさせる古い建物の中の食堂は小学校の講堂ほども広く、だけどコロナ禍で学生も少なく空いていて、メニューも7、8種類に抑えられていた。
定食にサラダと豚汁を付けても700円に満たないほど安くて味もいい。
かあちゃんは大学の学食は初めてだがオヤジは何十年ぶり、東大生にまじって人生大学を何年も留年しているジジイはメシを食った。
2月4日夕方、小僧の担当医と面談、病状とこれからの予定を訊く。
炎症が治まってきたので明日一旦退院、様子をみながらさらなる回復を待ってもう片方の腎臓を3月11日に摘出することになった。
癌の転移は今のところ見られないので、今回腎盂腎炎をおこした右の腎臓がしっかり回復をしていれば術後も普通の生活ができるとのこと。
なんとか一安心、だが・・・。
腎臓を患った原因は遺伝や体質の他に、小さい時からもう30年も飲んでいる癲癇の薬「テグレトール」があるというのだが、この薬を変えたら途端に発作を起こしてしまったのでやめられなかったのだ。
う〜ん、むずかしいのう、なんとかならんのかねぇ?
2月5日、退院する小僧を迎えに慈恵医大病院へ。
9日間の入院中ナースを煩わせるようなこともなく、かあちゃんが急に呼び出されることもなく、本人はいたって元気。
とはいうもののやはりストレスがあったのだろう、髪の毛をむしったりもみあげをざっくり剃ったりして変な頭になっていた。
まあこれから一週間はあまり動き回ったりせず、水をよく飲みよく出すことで体を慣らしていかないと。
しかし食事制限がないのは小僧にとっては幸い、オヤジのようにタンパク質制限や脂質制限なんて課せられたら小僧は耐えられないだろう。
3月の手術が終わるまでは体内にチューブが入ったままの小僧と、およそ1ヶ月半ほど膵臓にチューブが入ったままのオヤジと腎臓が片方しかないかあちゃんは、退院したらタンメンと餃子が食べたいという安上がりな息子の要望を叶えるべく病院を後にして亀有へ向かうのだった。
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