時間があるので「天草切支丹館」でも見ようかと思ったら、改装中とのことで、貴重な資料などは全部「天草市立本渡歴史民族資料館」のほうへ移転してるとのこと。
まあどちらも町からほんの近くなので、行ってみた。
「天草市立本渡歴史民族資料館」はそれほど大仰な建物ではなく、入場無料でアットホームな手作り感のある展示館だった。
正面玄関を入ったすぐに、なんと、じいちゃんの馬車が展示してあった。
かあちゃんが小さい頃、じいちゃんは当時の国際ホテルで観光馬車をやっていたのだ。
むろんオヤジはそれを見ていないが、NHKの朝のドラマ「藍より青く」にも出演したりして、けっこう地元の人気だったそうな。
昭和30年代頃は、たくさんの馬車が走っていたそうだが、しだいにそれらは姿を消し、天草ではじいちゃんの馬車が最後だったという。
やがて愛馬の「花子」も足がダメになり、業者によって馬肉へと姿を変え、じいちゃんは馬車を市へ寄付したそうだ。
その思い出の馬車に対面して、かあちゃんはウルウル
じつは、「天草市立本渡歴史民族資料館」のトイレで着替えをして、そこからオヤジは走り出したのだ。
膝も痛くならずに、あちこち寄り道して写メを撮りながら、それでもキロ6分ぐらいのペースで、34.5キロ地点の富岡へ着いた。
数年前、小僧と泳ぎに来た富岡海水浴場からフェリー乗り場の方へ向かう途中、「鎮道寺」というお寺を発見。
説明書きを見ると、龍馬の師匠「勝海舟」の落書があるという。(注 : 落書きではない。「らくしょ」と読みます)
それによると、1856年幕府の蒸気船観光丸で長崎から富岡に来航した勝は、この寺に泊まったさいに、本堂の柱に「日本海軍指揮官 勝麟太郎」と書いたという。
当時の彼は、長崎海軍伝習所の一仕官に過ぎず、そんな官名もなかったのだが、「これからオイラがやってやるゼィ」という意気込みが感じられて、さすが龍馬の師匠と思わせるエピソードだ。
実物を見たくて境内に入ったが、本堂は扉を閉ざし、誰も出てこないので諦めた。
「勝海舟」は翌年もこの寺を訪れ、「蒸気の御船にのりて再びここ旅に寝せしかば、たのまれぬ世をば経れども契りあらば ふたたびここに月を見るかな」と残したそうだ。
他にも、天草には「勝海舟」が寄港した地がある。
ひょっとするとその時、龍馬も一緒だったのかなんて想像すると、ちょっと面白いですな。
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