お好み夜話-Ver2

思ひ出の旅

1945年3月10日の東京大空襲で焼け出されたばあさん一家は、新潟の親戚をたより疎開した。

その当時食品や医薬品などの卸問屋を営んでいた親戚の家で、ばあさんは男衆に混じって働いたのだという。

そんな思ひ出の地に、もうろくして動けなくなる前に、もう一度行ってみたいとばあさんが言い出したのは昨年の秋のことだった。

では、本格的な冬になる前に行こうと計画を立てていたのだが、思いがけないドカ雪が降ってしまい、新潟行きは延期になり、ばあさんはすっかり気持ちが萎えてしまっていた。


今年の3月になって、再びばあさんが行く気になったので、先方に確認してようやく4月21日の水曜日に出かけたのだった。

新潟の弥彦には、86歳と88歳になるばあさんの従姉妹がいて、82歳のばあさんよりもずっと元気そうで、住まいも200年以上も経っているという田舎家だが現役だ。

我が家のワンフロアがすっぽり入るほどの仏間に、冷蔵庫の数倍もの大きな仏壇があり、壁には無造作に槍や火縄銃が掛けてある。



屋根裏に隠し部屋があったり、鎧兜もあるそうで、「山岡鉄舟」の書なども飾られ、まさに歴史好きにはたまらん家であった。


3人のばあさんたちの止めど尽きせぬ思ひで話の合間に、のっぺ汁など、たくさんのお昼ご飯が用意された。
香りのいい桜ご飯。


オヤジが小学校の2、3年くらいの時に、ばあさんに連れられ一度おじゃました事があったが、この家のことはほとんど覚えていない。

覚えているのは、裏山を上っていったところにある砂防ダムのところで遊んだことだけだ。

さして大きくはない池のような湖だったが、清涼な山の水が流れ込んだ水面は蒼々として、木々が水の中に倒れ込んで神秘的なたたずまいだった。

そこへ行ってみよう、と思い立ち、着替えてランニングシューズを履き、ばあさんを残して先においとまをした。

子どもの頃は、ずいぶん山道を行ったように思えたが、なんのことはない、ほんのちょっと走っただけでその湖についてしまった。

だが、あの頃より水は濁り、清々しい神秘さは微塵もなく、ただ廃れてしまっていたことにがっかり。

気を取り直し、この道を真っ直ぐ行き、山を越えると寺泊の海に出るということは知っていたので、先に行くことにした。

しばらく行くと案内図があり、この地は「上杉謙信」ゆかりの「黒滝城」という要害があったと書いてあった。


「黒滝城」址はまったく観光地化されておらず、剣が峰から下りてきたというトレッキング中の男性にあったきり、山を越えるまで人と会わなかった。

そうして寺泊まで出てみたら、帰りの道がわからなくなってしまい、弥彦山のスカイラインを目指して行ったら、日本最古の即身仏が祀ってある「西生寺」に行き当たった。

日本全国には約24体の即身仏が祀ってあるが、そのほとんどが江戸時代以降のもので、この「西生寺」の「弘智法印即身仏」だけが鎌倉時代・約640年前のものだそうな。

せっかくだからミイラでも拝んで行こうかと思ったが、拝観料がかかるため、一円の銭も持たず給水すらできないオヤジは、このまま水分補給をしなかったら自分の方がミイラになっちまうので、諦めて境内を見渡すと、弥彦山の裏参道という登山口を発見。

スカイラインを行くよりも、ショートカットで山頂へたどり着けるとみて、ぬかるんでいる山道に足を踏み入れた。



1/3ぐらい登ると、かたくりの花が群生していた。
しばし見とれる。



登山開始から30分ぐらいで、山頂にたどり着く。

で、ノドがからからぁぁぁ~~っ、となるわけだ。

その晩、宿でまた年寄りの思ひ出話に花が咲き、オヤジはせっせと給水活動に精出し、10時頃爆睡した。

ばあさんは、また思ひ出旅に行きたいと言っている。

ボケ防止に、ぜひ出かけた方がいいと、かあちゃんとオヤジはそれに便乗するのである。



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